
美容師への道
乙野さんが美容師を志したのは高校を卒業した18歳のころ。勉強は嫌いだけどものづくりの仕事につきたい、そんなふうに考えるうちに美容学校への入学を決めました。
「覚えてはないんだけど、友達に言わすと絵を描くのが好きで、スタイル画みたいなのをよく描いてたみたい。あとは髪の毛を触るのは好きだなって。美容師だったら学校一年通ったらなれる、と思って地元の兵庫県から近い鳥取の美容学校に入学したの」
美容学校卒業後は大阪の美容室で実習生として働き始め、免許の取得を目指します。驚いたのは、当時は住み込みで働くのが当たり前だったということ。初めの頃は都会の空気になかなか馴染めなかったそうで、お店を移るたびに枕かかえてね、という乙野さんの表情にはどこか切なさの混じる優しい照れ笑いが見えたような気がします。
「やっぱり大阪は合わなくて。お休みのたびに遊びにきて大好きだった京都で働くことになったのは21歳の時。祇園のキヌ美容室というところに紹介してもらって、そこから私の祇園での人生が始まるの」
今までの大阪での美容室とは違い、お客さんは花街の人ばかりで年齢層の違いや文化の違いに最初はただ圧倒されたといいます。
「お客さんが……。おはげがある人ばかりで。もうびっくりして。年齢も今まで相手させて頂いてたお客さんよりぐっと上がったし、かと思えば年の変わらないような舞妓さんもいて。京都ならではだなあって」
ここでみっちりと基本を学んだあと、着付けにも興味を持ち美容師の仕事を離れます。そうして20年が経ち、ふたたびキヌ美容室から声がかかった時には、二つ返事で戻ることを決めたそうです。
「40代の頃に若先生が呼んでくれて。そこから今度は本格的に日本髪に入るの。先生が日本髪結ってるのが綺麗やねん、それがやりたくてやりたくて。先生は自分の体の調子が悪くなってることにも勘づいてて、ものすごいスピードで詰め込むみたいに技術を教えてくれた。私も一語一句逃さないように、帰り道に全部ノートに書いてね。あとはお客さんも教えてくれる。もっとこうして、とかああだよ、こうだよっていうふうに。目も耳も見開いて一生懸命勉強した」

キヌ美容室には69歳まで在籍し、のち、ディティールさんに移ることになります。広い美容室ですが、入口入ってすぐのところに乙野さん専用のお部屋があります。よく見ると他はオレンジ色の照明なのに対して、乙野さんのお部屋だけは白い蛍光灯。これは洋髪だけでなく、毛一本一本の流れすら誤魔化しの効かない日本髪を結うからなんだそう。実は現役の舞妓さんの頭を結いながら、洋髪のセットもしている美容師さんは京都で乙野さんただ一人。他にもサイドに鏡があったり、こだわりの詰まったお部屋からこの仕事への熱意をじりじりと感じます。今回は実際に洋髪を結われているところも見させていただきました。
祇園に生きる
まず洋髪という頭は芸妓さんが白塗りでない時に結う髪型のことで、普通のアップのセットと違うのがこのまま二、三日持たすこともある、ということ。お風呂に入ったり寝たりしても綺麗な形が保たれるように、気持ち悪くならないように、さまざまな工夫がされています。芸妓さんが、と書きましたが乙野さんのお客様はお茶の先生や三味線の師匠などさまざまだそうです。

最初にカーラーで全体を巻くと、次は逆毛を立てながら形を作り上げていきます。素人目では捉えきれないような細かな技術の連続でするすると完成していくのが不思議です。そして、顔の形や毛の長さに合わせて、一口に洋髪といってもスタイルは人それぞれ違うそう。
「洋髪も時代のながれで流行りみたいなもんがある。それも時代のニーズでしょ。お客さんの顔見てたらこれが好きなんかな、とかはよくわかる。形作りながら顔見たらニコッとしたり、ちょっと違う、みたいな顔してたり……。やりながら察知しなあかんし、それをちゃんと人によって覚えとかなあかん。あと、顔周りは毛の流れで顔写りが全然変わるでしょ。これは実は日本髪とおなじ。やっぱり基本はそこなんですよ」

取材中、芸妓さんや女将さんが乙野さんに訪ねに来られる場面に出くわすことがありました。「この方も長いお付き合いよ」と私も交えてお話させていただきましたが、聞いているとどの方もキヌ美容室時代からの長いお客様で、乙野さんの頭じゃないと。という方たち。気心の知れた間柄から溢れでる放課後のような空気感に思わずほっこりしてしまいました。
「長いお付き合いの方とはもう自然とおともだちみたいな関係ね。週に二、三度は顔を合わせるし。逆に舞妓さんなんかは、孫みたいな存在。ここにきてる間はもうのんびり好きなようにさせてあげたい。だけど、舞妓さんに勇気づけられることもよくあるんですよ。あの子らは若いのにえらい、ほんまに」
お話を聞きながら印象的だったのはまだまだ未完成、と繰り返しおっしゃられていたこと。特に舞妓さんの日本髪は批評家がたくさんいるから……。と今でもたくさんの写真を見て研究しながら、「祇園町のスタイル」を模索中だそうです。尽きることのない向上心に思わず背筋が伸びます。
唯一無二であり続ける
お休みもほとんどないほどラブコールの絶えない乙野さん。やめたらみんながどうするか見てみたい、といたずらそうに笑っていました。
「乙野さんの頭が気に入ってるんです、っていわれると日曜日でもしてあげたいなって思うでしょ。そうなるとお休みってないなあ。ストレス発散はお店から家に帰る時に自転車漕ぎながら鼻歌歌うこと。朝はしないけど。御所なんて夜静かでいいんです。人がいないの確認して歌ったり(笑)」
ささやかすぎる発散方法に拍子抜けしたと同時に自転車通勤の事実に驚愕してしまいますが、この謙虚さこそ真似できない魅力のうちの一つです。
人にやさしく、自分に厳しく。求められることの最善を日々更新し続けることには、幾つになってもおごらない、おおきな精神力がありました。花街の影の立役者として、唯一無二の存在であり続ける乙野さん。今日もどこかで鼻歌を歌いながら街を走る乙野さんに頭が上がりません。
職人interview
#87
DTEEL(ディティール)
乙野四三恵
文・撮影:
井口友希(文芸表現学科)