職人
interview
1

うちわって、
扇ぐためのものじゃないの?

扇ぐことしか知らなかった
うちわについて
京都の“飾りうちわ”職人である
阿以波さんとお話。

Traditional Craftsman
interview 1
KYOUCHIWA
Aiba Tomoyuki
京うちわ 阿以波
饗庭 智之

空間デザインコース 2年
溝辺 千花

「扇ぐ」ことしか知らなかったうちわについて、
京都の“飾りうちわ”職人である10代目、 饗庭 智之さんのお話。
一昔前、うちわは買うものではなく、贈るもの。夏になったらお米屋さん、お魚屋さん、呉服屋さんらが、自分の店の名前が入ったうちわをお中元としてご贈答に用いていたそうです。電化製品が発達して、自然の風が減ってきている中、扇がず、見て涼しむ『透かしうちわ』が生まれました。

 

 

1_悪魔を打ち払う「うちは」

『京うちわ』の特徴はなんですか。

『京うちわ』は、うちわの面を柄の部分に差し込むセパレートタイプ(挿絵構造)であることが特徴です。
日本でこの作り方をしているのは京都だけです。
面の部分と柄の部分を分けて作るので、骨(竹ひご)が細く、数が多い構造で作ることができました。
昔は手の込んだものが上等物という風習があったんです。

「打ち払う翳→打つは→うちは→うちわ」

『うちわ』はどのようにして誕生しましたか。

うちわには2つの起源があると言われています。1つは“翳(かざし)”です。
高松塚の古墳の壁画に、お姫様の顔を晒さないように、侍女が大きなうちわを持っている絵があります。
また、うちわは精神性があり神事にも使われていました。悪魔を打ち払うという意味があり、「打ち払う翳→打つは→うちは→うちわ」というような流れです。

 

そしてもう1つの起源は
“大きな葉っぱで雨を凌いだり、虫除けにしたり、風を起こしたりした事”で、
今使われている用途ではこちらの意味が大きいですね。
これから分かるようにうちわの起源には全く別の末端があり、
いろんな国や文化で誕生しました。

そこから日本では、室町の頃に竹と紙のうちわが生まれるんです。
神事用途と風を起こすという用途がその頃合体しました。
竹と紙という安くて親しみのある材。そこから民衆にワッと広まりました。
京うちわの始まりは、南北朝時代。
出雲を通じて大陸から朝鮮うちわなどが伝わり、戦乱が治まった頃、京都で広がりました。
日本画の狩野派らが京都に移り御所の彩色を行っている頃、
御所で使われていたうちわにも彩色して、それがあまりにも美しく『御所うちわ』として
装飾性の高いうちわが流行しました。

うちわは買うものではなく、
贈るものだった

どの工芸も、何かの文化にお世話になって成り立っています。
うちわがお世話になっている文化は贈答文化で、一昔前はうちわは買うものではなく、贈るものだったんです。
夏になったらお米屋さん、お魚屋さん、呉服屋さんらが、自分の店の名前が入ったうちわをお中元としてご贈答に用いていました。
現在も舞妓さんが名刺代わりに配っているのも似たようなものです。 

うちわが贈答品として使われていたということを、初めて知りました!

うちわ、扇子、カレンダー、手ぬぐい、熨斗(のし)等は贈答用品です。
うちの業種は贈答をベースとしていましたが、贈答文化がだんだん薄れていきました。
そして、工芸の世界は職人の二極化も進んでいきます。
昔、職人の世界は必ずピラミッドの形をしていて、A級、B級ってあったわけですよ。
今は、業界を引っ張るイメージリーダーとなる、ごく一部の生産者(職人)と、
それに類するよく似た量産品を作る大多数に分かれ、
「1割のものづくりと9割のもの売り」というバランスになってしまいました。

作り手がいなくなるということは、
ものがなくなるということ。

高齢化や需要の減少、
材料の入手が困難などの原因で熟練の職人さんが
減ってきていますがどう思われますか。

職人というのは、やっぱり消えていくんじゃないですか。
段々技術革新が起きて、 大半の職人の方が
「これ(作るための原材料)がないからあきまへんねん」って言ったまま消えていってしまう。
作り手がいなくなるということは、ものがなくなるということ。
材料屋さんは単価を大きく変えることはできませんので、
需要が減っていってもそれに対応できません。


うちがお世話になっていた(竹を、うちわの骨に加工する)骨師さんが
10年前に廃業なさいました。
中国への需要が高まったのが原因です。


うちわに竹の骨は必須なので、私が行った対策は、京都の伝統工芸校から竹の加工専門として若い人に入ってもらい、その子に、廃業前の竹屋の骨師さんに1年程修行に出てもらいました。
「竹を加工する技術をできるだけ習得してきてくれ」と預けましたが、
骨師さんは肝心なとこは見せてくれないし、教えてくれない。
右往左往しながら習得して、竹の加工はうちでやれるようにしました。
そして、よりお客様に求めらる形を成すため、自己防衛策として、木材を削る機械をうちの工房に置きました。これはもう、気狂い沙汰です。
紙を漉く以外の工程は、ほとんどここで、自分たちでやっています。
常にどこかに穴が空きそうなのを私ら7人で手を回しながら、守っています。

つづく