京都文化
トリハダ通信
1

樂茶碗からみえたもの

「樂焼で自然とのつながりを 実感できる」
学生による
器づくりの授業レポート(7)

Kyoto Art class
Report #1
“Rakuyaki”
by Suzuki Hinae

基礎美術コース 2年
鈴木 日奈惠

(7)_「樂茶碗からみえたもの」

 

合評当日〉

 

その日は、清水先生、小川先生の他に
現代アーティストのミヤケマイ先生、
アンティークギャラリーを経営されている Masaさんが来てくださいました。

 

  • (椿先生のコメント)
    ひと味ちがう基礎美の合評。
    目の肥えた先達の方々から厳しい指摘を受けるチャンスです。
    最近の大学生はすぐに「心折れる」から優しくてもらっていては、
    大きな成長は望めません。
    悔し涙の先に至福のときあり!

持ち時間はひとり 6 分。
2 分で自分がどのようなお茶碗を作ろうとしたか
どのように向き合ったか、
結果どのようになって、
どのように今後繋げたいか、
などを話します。

作品のざらつきが気になる人は
サンドペーパーで釉薬面を傷つけないように擦っておきます。

私たちは作る前に、
先生にお茶碗について自分なりに調べまとめたことや、
エスキース(自分のイメージしている作りたいお茶碗)を
描いたノートを作る課題が出されました。
お茶碗をたくさんみて、 インプットしてきてください、と。
そのエスキースやデッサンを見せながら、
合評を行います。

▲お茶碗のスケッチ

 

合評が進み、 みんな真剣に、
お茶碗と向き合って来たことを話しました。

作品を見ただけではわからない、
作者の想いというものがみんなの言葉から伝わってきます。
先生方は、ひとりひとりにコメントをしてくださいました。
私にも、「スポーツマン的で、作ってから考えるタイプやね。
もっと作る、作り続けてみる。 問題を解決する力は持ってるから。
手出し過ぎてもいいよ、突き抜けて欲しい。」
とお言葉をいただきました。

  • (椿先生のコメント)
    なかなか「突き抜ける」のは簡単じゃないですよね。
    黙々とやっていると何か不思議な出来事が起こって、
    周囲の人たちが「抜けたね」と言ってくれる瞬間が来るのが自然かなあ・・。
    力んだり狙ったりしたら、すぐ作品に良くない欲が出てしまうので焦らない事。

以前話したように、続けることは難しいことです。
成果がいつ出るかわからないし、成功する保証もないから。
でも、それを乗り越えた人にしか見えないものというものを、
私は見てみたいと思ったのでした。

 

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苦手なことがあるということは、
苦手じゃないものに
可能性がある。

 

そして合評終了。
始まったのがだいたい13時、終わったのが19時。
時間がおしてしまうのは
合評あるあるなのですが
こんなに時間がかかるとは思いませんでした。
約 6 時間にも及ぶ合評でした。

話すことが多いのはみんな全力でやって来た証拠ですね。

何しろ全く初心者の状態から
5週間で最後までやらなくてはいけなかったのです。
逆に全員焼き上げることができたのがすごいと
清水先生も小川先生も関心していました。

みんなの合評を聞いていて
やっぱりすごい人はすごくて
自分はダメだなぁと思ったりもしました。

でも、先生は「大学で優秀だからといって、
社会に出て優秀とは限らない」
とおっしゃいました。

  • (椿先生のコメント)
    ほんとにそのとおりだと思います。
    社会に出てから死ぬまで長い(笑)

また、Masaさんは
「苦手なことがあるということは、
苦手じゃないものに可能性があるってことやないかな。
苦手なものは容量が少ないけど
反対に苦手じゃないものは容量がたくさんあるでしょう。」

  • (椿先生のコメント)
    同感ですね。

今まで逃げることは悪いことだと思って来たけど
別に逃げても良くて
逃げた先に自分の好きなことが見つかるかもしれない。

そう思うことで気持ちも楽になれるし
きっとうまくいくのだと思います。

以上で、樂焼の授業は終わりです。

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日本の、
ありとあらゆる精神性の
集まり。

陶芸は、長年愛されており、
今でも愛されているものです。

特にお茶碗は
日本のありとあらゆる精神性の集まりであり、
五感で感じるもの。
作品を持った瞬間に、データが身体に入ってくると先生方は言います。

その言葉通り、
自分は体育会系だとミヤケ先生に指摘されました。
(中、高とバスケットボール部でした。)

この授業では
先生とひとりずつ面談をしました。
お茶碗は自分の鏡であります。
お茶碗に向き合うとは、自分に向き合うことなのです。

私は、お茶碗がこんなにも
精神的にしんどいものだと思っていませんでした。

しんどいと思う中でも
楽しいと思えるもの、
喜びを見つけることができたら、
続けられるのでしょう。

 

約 400 年続く楽茶碗からは
学ぶことが本当に多かったです。

基礎美術コースは、
このように昔からあるものが、
なぜ今まで続いてきたのかを知り、
日本の基礎を識り、モノゴトの本質を見極める力をつける。

日本をみるときは海外をみ、
新しきをみるときは古きに学ぶという
姿勢を忘れないように。

 

  • (椿先生のコメント)
    シンプルでごまかしの効かない「茶碗」を淡々と創る。
    それは禅や茶の・・ひいては日本文化の根幹につながる窓になっています。
    茶碗という窓からの眺めは決して素晴らしいものではなく、
    熱くて苦くて辛かったかもしれません。
    スポーツも「スーパースター」には違う風景が見えていますが、
    そこに至るまでの苦労は並大抵ではありません。
    何か一つ打ち込める対象を見つけて「やりとげる人生」の入り口にたってみましょう。「やりとげる目標」を発見したときに自然に国際人になってゆけると思います。英語がいくら上手でも文化がなければ自動翻訳機のようなものですからね。
    次の課題も充実のレポートよろしくお願いします。

 

おわり