京都学
レポート
1

末富3代目主人
山口富蔵さん

京菓子屋 末富3代目
山口富蔵さんによる京都学

Kyotostudy Report #1
by Takenouchi Haruka
  Mizobe Chihana
  Suzuki Hinae
  Kishi Naoki

京菓子屋 末富3代目
山口富蔵
空間デザインコース2年 竹之内春花
空間デザインコース2年 溝部千花
基礎美術コース2年 鈴木日奈惠

ファッションデザインコース 2年 岸直輝

京都学レポート

ゲスト(株)末富3代目主人 山口富蔵さん

担当は文筆家・工芸ジャーナリストの米原有二先生と、
空間演出デザイン学科准教授・デザイナーの酒井洋輔先生です。
この授業では、
毎回異なる職人さんがゲストとしてお越しくださり、
京都が育んだ手仕事とその粋、
京都のことや日本のことなどを教えていただきます。
そして、学生がそれぞれ授業を受けて考えた新しいアイデア(イノベーション)を
レポートとして提出してもらっています。

 

70人に1人が
伝統産業に携わりながら生活している

京都の工芸には、
日本の工芸と違ってものづくりが他の文化と連動し、
繋がっているという特異点があります。
京都に住む70人に1人が
伝統産業に携わりながら生活しているこの京都という地で、
私たちはそんな京都の伝統について学んでいます。

京都学

京都学第一回目となる今日の職人さんは、
創業明治26年の京菓子屋 末富の三代目主人 山口富蔵さんです。
日本と砂糖の関係性のお話から、
日本人が持つ、特別な季節への感性を大切にした
末富の菓子作りについて教えていただきました。

 

”日本人は「甘い」を知らない民族だった!”

日本に砂糖が入ってくるようになったのは江戸時代で、
長崎の出島に到着したキリシタンによって
初めてもたらされたそうです。
それまで日本には「甘い」という概念は存在せず、
あの織田信長でさえ金平糖を食べて驚いたのだと、
山口さんは教えてくださいました。

砂糖というのは大変な高級品で、
明治時代までは日本では政府に認められた
わずか248軒の店でしか、
砂糖を使った商売を行えなかったそうです。
その後も随分と暫くの間、
甘いものはお殿様などの
位の高いお偉いさんの世界だけのもの、
庶民にとって砂糖は楽しむものではなく、
滅多に口にできない””でした。

 

利休もまた甘いものを知らなかった

その248軒のうちの1つから分裂し、
今世まで続いてきたのが「末富」なのだそうです。
茶の湯を大成したと言われている千利休ですが、
彼が「利休百回忌」と呼ばれる
100回のお茶会で出した菓子の記録の中にも
はっきりと砂糖を使ったとわかるものはなく、
利休もまた甘いものを知らなかったようです。
その後、利休の弟子のお茶会で
やっと砂糖が出ました。
でもそれもひとつまみほどで、
団子につけて食べるほどしかありませんでした。
それくらい砂糖というのは貴重で、
菓子というのは新しい文化なのです。

京都学

京都学

菓子の始まりは見せびらかし

”茶の湯と菓子は結びついている”
「茶の湯なんてのは基本見せびらかし。
自分がどんないい道具を使っているか、
高級な砂糖でどれだけ他と違う菓子を出すか。
これが菓子の始まりです。」

菓子屋は、茶の湯を行う公家や神社、
寺の人々から「隣の菓子とは違うもんを」と頼まれ、
菓子を作っていたそうです。
同じ甘さでも、
隣の甘さとは違う甘さでなければならない。
他とは違うもんを出さねばならない。
そうやって公家文化は階級を区別するため、
菓子屋を使って菓子を ”作らせて” いました。

つまり、そのような公家や神社、
寺を持つ都の京都が菓子文化を支えてきたと言えます。
割れそうな、
ヒビの入っているような茶碗でさえ、
嬉む、愛でる心は、
階級制を含んだ茶の湯が生んだ日本人の美学だと、
山口さんはおっしゃっていました。
ですが、その見せびらかしの局面の他にも、
茶の湯には日本人らしい心があります。

茶の湯では、なぜ菓子をいただくのか。
それはお茶が苦いからではなく、
日本のおもてなし文化に通づる部分がありました。
高級品である砂糖を用いた
”甘いものをお出しすること” が
日本の茶の湯において、おもてなしなのです。
同じ甘いものであっても、
“デザート” というのは食後にいただくもので、
”菓子” というのはもてなしの食べ物です。

また、
京都は茶道具が伝わった1400年頃の東山文化の頃、
砂糖の高級さを知っている頃から菓子文化が発展したため、
京都は砂糖を大切にし、
砂糖のみを使用した菓子を作ってきました。
しかし、江戸(東京)が
文化的に発展してくるのは1700年以降の元禄文化からです。
そのため、東京の菓子にはあんに塩が入っています。
東京の菓子と京都の菓子には、
そのような違いがあります。

“「季節を表す言葉」は日本にしかない”

他の菓子文化とは異なり、
京都の菓子文化は常に茶の湯文化と共にありました。
“「季節を表す言葉」は日本にしかない”
菓子には形、色、味がありますが、
味はそんなに変えることができません。
しかし、菓子には ”名” があるということを
教えてくださいました。

この “菓子が名を持つこと” は
大変に重要な意味を持っています。
菓子づくりの中心には、
”季節を表現する” ということがあります。
このような見立てる美学も、
日本には存在しているのだそうです。
「食べて、めっちゃうまい。そんなものカスです。」
そう山口さんはおっしゃっていました。
「梅が一つずつ咲いていく景色をみて、
日本人はあぁ、春が来たと感じる。」
これは日本人にしかない心だと、
山口さんは教えてくださいました。

「ヨーロッパでは ”春がきた” は
”Spring has come.” これだけです。」
歳時記や万葉集にも数々の表現があるように、
日本の文学(歌・俳句など)の発達は、
日本人の季節の感じ方を育てました。
日本の文化というのは素晴らしい、
世界にはないものがあるのだと、教えてくださいました。
日本の季節を感じる心、
それを表現する文学があって、
京都の菓子があります。

身の回りにあるもので人々が惹きつけられるもの、
「花鳥(目に見えるもの)風月(目に見えぬもの)」を
菓子で表現し、
「もう春(夏・秋・冬)ですね」というように
季節を感じさせることができるよう、
菓子屋はいつも挑戦し続けている ”職人” そのものなのです。

また、菓子を注文してくれた相手によって
名を変えることもあるそうです。
同じ桜の菓子でも、
京都の人だったら「北野の春」、
奈良の人だったら「吉野山」など、
相手によって喜ばれる名を選ぶというのも
おもてなしの1つとなります。
「直径4cmのもので、どれだけ広い世界、
季節を感じさせることができるか。
だから菓子屋はものすごく広い世界を知っていないといけない。」

京都学レポート

  • 春花の感想

かつて、日本では
砂糖が高級品であったことは知っていましたが、
ここまで大切にされていたことは知りませんでした。
そんな “高級品をお出しすること” を
おもてなしにしていたという日本人の心から、
日本人にとってどれだけ砂糖が貴重であったのか。
また、始めは見栄だったかもしれませんが、
思いやりとして
甘いものを他人に味わってもらおうと繋がれてきた
“菓子をお出しする心” を素敵に思いました。

特に「季節を表す言葉は日本にしかない」というお話が、
とても心に残っています。
日本人の季節の感じ方はとても豊かで、
このことが日本の様々な文化を育てていったように感じました。
日本に四季があったこと、
私たちがそのような季節を感じ、
楽しむ心を持つ日本人であることが誇らしく思えました。
今を生きている私たちも、
古くから日本人が持っていたその心を
もっと大切にしたいです。

また、毎回注文にそった、
季節の気配を人に気付かせる菓子を考え、
名をつけるというのは常に挑戦であり、
本当に職人だなぁと感動しました。
“うまいこと” が大切にされているとばかり思っていましたが、
味だけではない菓子の魅力を
山口さんに教えていただきました。
お客様によって、喜んでもらえる名前を選ぶのは、
些細で手間な心づかい。
だけどそれを大切にする職人は粋でめちゃくちゃかっこいい!

・今回の授業を受けて、学生が考えたアイデアを少しだけご紹介

・クリップ
菓子の写真を見せてもらう中で、形や色、デザインが特徴的なものが多いことに気づいた。
その菓子の形の特徴を生かして、何かグッズを作れないか考えた。
これは「行く春」をモチーフにしたイヤホンのコードクリップ。
Idea:山本志歩

・絵の具
菓子の色の美しさと、菓子につける名前の美しさを使った絵の具。
色の名前が菓子の名前(季節を感じる名前)、色も菓子からとった色。
Idea:吉村夏鈴

・恋人
誕生石や誕生花などがあるように、「誕生菓子」があっても良いのでは。
季節や習わし、お客さんの顔や雰囲気から形、名前、色を決めるため、世の中に2つとないものである。
その人のための菓子、その人たちのための菓子。
Idea:工藤亜里紗

 

2018.12.01更新

Kyotostudy Report #1
by Takenouchi Haruka
  Mizobe Chihana
  Suzuki Hinae
  Kishi Naoki

京菓子屋 末富3代目
山口富蔵
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ファッションデザインコース 2年 岸直輝