職人
interview
10

桐箱の職人 山田 隆一さんにお話を 伺いました

桐箱の職人
山田 隆一さんにお話を
伺いました。
(1)

Traditional Craftsman
interview 10
Hakoto Shop
Yamada Ryuichi
箱藤商店
山田隆一

空間デザインコース 2年
溝辺 千花

桐箱を専門に作っていらっしゃる、
箱藤商店 5代目山田 隆一さんのお話。

創業当時から着物の帯や能の面、仏具など
大切なものをしまう箱藤商店の桐箱は、
京都の伝統工芸界においても
”控えめな名脇役”として知られていますが、
現当主の5代目が時代のライフスタイルに合わせ
絵付けしたもの、卵型の桐箱など
“主役”である桐箱を発明しました。

地域の特産物によって変わる桐箱の用途や、
天候によって変化する桐を扱う難しさなどを教えてくださいました。

 

(1)_“控えめな名脇役”から”主役”へ

桐箱の職人、 山田 隆一さんにお話を 伺いました

創業当時は呉服や西陣の帯、
能面や焼き物など多ジャンルのものをしまう
桐箱を作られていたとお聞きしました。

127年間、桐箱を作り続けています。
1891年創業当時に広島出身の初代が「呉服箱は京都が主流だ」ということで、
広島から京都に職人として出てきました。
けれど、西陣とか室町の下請けばかりで面白くなくて
2000年から絵付けした桐箱を専門にするようになりました。

桐はどこから仕入れていますか。

桐は会津が産地なんです。
日本では桐を育てることができる地域が会津から青森が限界で、
北海道は寒すぎて桐が育たない。
九州の桐は木目がわからないぐらい、
木目の間隔が広がって綺麗に出ない。
最近は会津からも、なかなか良い桐が入らないようになってきてて
50年前ぐらいから北アメリカの桐を仕入れています。

木目がどれほど綺麗に出ているかが重要なんですね。
日本では桐箱はどれほど前から使われていますか。

飛鳥時代の頃にはもうありました。
聖徳太子の衣装なんかが入っててね。
その頃は桐箱屋なんてないから
江戸時代の頃までは大工さんが作ってたりしてたんじゃないかなぁ。

桐箱の職人 山田 隆一さんにお話を 伺いました

箱藤商店は山田さんで何代目になりますか。

僕で5代目になります。
親父は呉服の桐箱を“控えめな名脇役”という風に言ってたんやけど
脇役”というのがどうしても自分の中で引っかかっていた。
いいもんを作っても値段の競争があったり、
よく見てくれなかったり、ずっと疑問でした。
1999年に古い職人から仕事を受け継いだのをきっかけに
店のやり方を新しく、変えました。

以前インタビューをさせていただいた真田紐の江南さんもですが、
時代の変化によって伝統工芸とライフスタイルとの関わり方が
少しずつ変わりながら、現代に残っていますね。

そう。
江南さんは茶道で用いられる桐箱の紐を専門にしてはったけど、
それだけでは生きていけへんのでスタイルを変えている。
大河ドラマの『真田丸』に取りあげてもらったり。
箱藤商店も2000年に、絵付けした桐箱専門のお店に切り替えて、
2005年頃から百貨店さんの目に留まって、
そこからいろんな桐箱が生まれました。
真四角だけでなく、卵型の桐箱だったり。

箱って四角のイメージしかなかったので驚きました。
桐箱の可能性がぐっと広がりましたね。

みんな驚きます。
他に“開き箱”という種類の箱があるんですけど、
その蓋を留めるのに蝶番をつけるのは不恰好やし、
桐が柔らかくて付けれへんからどうしようかなと思ってたんやけど、
蓋の側面に金釘を打って、
上から木釘を打って釘が見えないように隠してます。
ホクロよりも小さい穴で、昔は指物専門の職人がこの作業をしてました。

箱の蓋をつける専門の方がいたんですね。
絵はどなたが描いているんですか。

箱自体は、昔は一人の職人が削りから磨きまで全部やってたんやけど、
私の代になってから手間を省くために分業するようになりました。
絵師は日本画の人や、西陣の帯の図案を描く人、
精華大学の日本画出身の子がいたりで10人ぐらいいます。

桐箱の職人 山田 隆一さんにお話を 伺いました

桐箱の職人 山田 隆一さんにお話を 伺いました

つづく

2019.02.01更新