京都文化
トリハダ通信
3

京都文化トリハダ通信3

樂茶碗づくり〈黒樂編〉
学生による授業レポート

Kyoto Art class
Report3
“Raku yaki”
Text by Hinae Suzuki


京都文化 トリハダ通信3
樂茶碗づくり
基礎美術コース 2年
鈴木 日奈惠

(5)_一碗を分かち合い、やりとりされる心

〈施釉〉

施釉(素焼きしたお茶碗に釉薬を掛けること)していきます。

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釉薬は、先生が用意してくださった市販の鴨川石に、
水でよく溶かした
CMC
うつわと釉薬のつきを良くするための科学のり)を
少しずつ混ぜ、濃さを調節します。
先生が「これくらいかな~」といって見本を作ってくださり、
それを参考にして濃いめのものも作ります。

  • 椿昇先生のコメント

    学生の頃、最初のバイトは
    当時東山にあった清水焼の窯元さんのところでの
    絵付けでした。
    最初は湯呑に呉須と大正黒で
    三秒で桔梗の絵を描くという恐ろしい単純作業。
    一個2円やったかな(笑)
    めちゃハイスピードでやらないと
    お金にならないので必死でした。
    そこでやった失敗がCMCの濃度ミス。
    まっしろけの湯呑が窯から出来きて、
    となりでろくろひいてくれている職人さんの
    冷たい視線が痛かった。
    ボツになった湯呑の前で心臓バクバクになった経験が
    今の僕を作ってます。
    授業でやるのと仕事でやるのは別世界。
    学生のうちに心臓バクバクになっておくようにね。

 

濃度が高いと釉は厚くなり、低いと薄くなります。
赤樂茶碗は土の発色を生かすことができるので
薄めに掛けても良いのですが、
黒樂茶碗の場合は
その名前の由来となっているのが釉の色なので、
少し厚めにするのがポイント。

自分が拾ってきた石を釉薬に使う子はそれも使います。

今回は柄杓掛けがほとんどですが、
本来は筆で乾いては塗り、乾いては塗りを繰り返し、
厚塗りをしていきます。

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自分がどのように釉薬を掛けたいのか、
これもエスキースを描きます。
スポーツと同じく、
イメージトレーニングをしっかりとします。

  • 椿昇先生のコメント

    イメージトレーニングというけど、
    そのイメージはどこから来るかな?
    今来たイメージと職人になって
    10年たった時に来るイメージの差をイメージしてみよう~。

 

私もこの日の前日、
寝る前に釉掛けのイメージを頭で描きながら眠りにつきました。

まずは中から。

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お茶碗の中に釉薬を入れ、
身体を使って回しながら液を流します。
そして外側も素早く掛けていきます。

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清水先生のお手本

さらに厚くしたい人は、
手に釉がつかない程度に乾いてから二度掛けをします。
濃すぎると、釉薬がうまくくっつかず、
乾いた後パリパリと剥がれてしまうことがあるので、
そこも注意しながら掛けていきます。

  • 椿昇先生のコメント

    想像がつくね~~

 

自分の精神性を現すお茶碗

先生の釉掛けはとても素早く、迷いがありません。
昨年もやっているとはいえ、
1年間のブランクがある私たちは、
食い入るように先生の
釉掛け(釉薬を陶磁器に掛けること)を見ます。

それは、樂茶碗を作ってきた樂家の家訓が
教えないこと」であるからです。
樂家では、
釉薬の調合(釉薬は色々な石や薬を混ぜて作るもの)すらも
その人個人のものとして
次の代には伝えないことになっているそうです。
どの様なことがあっても、
独自の自分のお茶碗を生まなければいけないのです。
だからこそ樂茶碗は
自分の精神性を現すにはもってこいのお茶碗です。

  • 椿昇先生のコメント

    いま教育で一番の問題が「教えすぎ」。
    でも教えすぎても教えなくても、
    生き残る人は変わらないのかもね。
    じゃあ何がその差を生むんだろう。
    それがわかれば苦労しないと孔子も言ってますが、
    僕は「おもしろがる心」かなと思います。
    それは泥んこになる事で
    ちょっと君たちの近くに寄って来たのかも。

 

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しかし、頭の中のイメージを表現するのは
簡単なことではありません。
少しでも迷いや不安があると、
それがお茶碗に表れてしまいます。
実際にやってみても、
何のために下書きをしたのかというレベル。

  • 椿昇先生のコメント

    イメージと結果が一致したら神様です(笑)
    一生試行錯誤できるかどうかが、
    良い人生か文句ばっかり言う人生かの分かれ目なんだよね~

 

また、自分のお茶碗に何か絵を入れたい人は、
釉薬が乾いた後、針などで削って絵を入れ、
透明釉(透明な釉薬)を筆につけ、
その絵をなぞります。

私は立ち鶴の絵を入れました。
鶴は千年生きるといわれており、
中国では古来より福や長寿の象徴とされていました。
自分のお茶碗が千年後も残っていたらいいな、
という思いも込めて。

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焼く前の色は、黒というより紫でした。

  • 椿昇先生のコメント

    おお!この段階まではお見事じゃ!
    実際の紫色とはほど遠いのになぜ君は「紫」と感じたのかな?
    そこを再確認してみよう。

 

釉掛けができたら、
次は待ちに待ったお茶碗作りの最後の工程、
本焼きです。

 

和敬清寂

私たちは定期的にお茶のお稽古もしています。
教えてくださる先生は、
裏千家業躰(ぎょうてい
である奈良宗久先生
業躰とは、家元のそばに仕え、厳しい修行を積むことで、
奈良先生は家元での茶道を伝承することを許された
一握りの先生なのです。
そんな、両親に言ったら
倒れそうなくらいすごい先生のもとで、
私たちはお茶のお稽古をしています。

  • 椿昇先生のコメント

    中途半端な大人に出会わないことが
    若い時代に重要です。
    僕の今もその経験あればこそ。
    真価がわかるのは何十年か後のことになりますが・・・

 

みんなで“割稽古
(お点前をするために必要な所作を一つずつ練習すること)をして、
その後、お菓子とお抹茶をいただきます。

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この日のお菓子は、
千本今出川にある「
千本玉壽軒(せんぼんたまじゅけん)」さんの
『天の川』
でした。涼しげで美しい姿。

お茶碗を作っている時にお茶のお稽古をすると、
作っているものがまさに
「お抹茶を飲むためのお茶碗」というものを
実感することができます。

奈良先生はよく、
和敬清寂(わけいせいじゃく)」という言葉を
口にされます。
「和敬清寂」とはお茶のするときの心得のことです。
互いに心を開き「和」み、互いに「敬」う。
心のチリを払い「清」め、
そしてどんな時にも動じない「寂」の心を持つ。

「道具を清めながら自分の気持ちも清め、
同時にお客様の心も清める。
互いを思いやり敬いながら
同じ時間を共有することが、
“茶をする”ということです。」

黒樂茶碗は、主に「濃茶」の時に使われる茶碗です。
濃茶とは、私たちがよく飲んでいる「薄茶」とは違い
ドロッとしていて
飲む、というよりは食べる、
という感覚に近いものです。

濃茶は薄茶より格式の高く、
一人一碗ではなく、一つのお茶碗を回し飲みします。
樂茶碗は、一碗を分かち合って
心のやり取りを行う茶の湯にふさわしいお茶碗なのです。

  • 椿昇先生のコメント

    茶の湯はまさに日本文化そのものなのです。
    それを教養と言いました。
    でも・・・いまはSNSが教養???
    やっぱダメでしょそれじゃ!
    って事がこのコース誕生のキッカケ。
    奈良先生がおられる事は
    仏つくってやっと
    魂にお越しいただけたという意味を持っています。
    和敬清寂の国にしたいですね。

 

茶の湯はよく「日本の総合芸術」と言われますが、
まさにその通りであると思いました。
私たちのしていることは、
日本美術の基礎を学びなおすことです。
お茶のお稽古は、基礎美術コースの授業を点だとすると、
それをを繋ぎ合わせて線にしていく授業です。
無関係なようで、全ては繋がっているのだと、
授業をするたびに 味わうことができるのが、
私たちのコースです。

 

つづく

2019.04.15更新