温新知故
#17


変わっていく街の音。

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。

──ちょうど岸田さんは京都精華大学でポピュラーミュージックの作曲や編曲などについても教えられてらっしゃいますけど、喫茶店とかのBGMも、本来なくてもいいんじゃないかって思いますけどね。

岸田繁
そうですね。
BGMが鳴ってる店と鳴ってない店だったら、ぼくはやっぱりBGMのないほうの店に行きたいと思います。
ぼくは音楽作ってたりするから、お店行くときはたまに耳栓して行ったりとかもしてました(笑)

野中智史
なんとなくボリュームがすべてちょっとずつ大きいですよね(笑)。

──野中さんは、いかがですか?

野中智史
むかし、ちいさい喫茶店で「たんぽぽ」っていうお店があったですけど、そこはほんまもうヨタヨタのおばあちゃんがやってはって。
たんぽぽさんはBGMがないというかBGMという概念そのものがないようなところで、なにも音楽がかかってなかったんですよ。
通りで歩いて喋ってはる人の声が聞こえてるような聞こえてないようなくらいの音量で聞こえてきて。
それが妙にリラックスできたなって思い出します。

岸田繁
街なかにそういう場所があるのは良いですよね。

野中智史
たまにガサガサガサっていう音が聞こえたと思ったら、お店の前に植わってる南天の木を近所の板さん(板前さん)がパクろうとしてはったりとか(笑)

(一同爆笑)

野中智史
「お母さん、ぼく注意してきましょか!?」っていうんですけど「いつものことやし、親切に枝の剪定してくれたはるんや」って言わはるんですよ。

岸田繁
ちなみにここのあじき路地の一画っていうのは保存地区みたいになってたりするんですか?

野中智史
いやそこまでは行ってないですね。
ここは大家さんが気張って残してくれはってるんですけど。

岸田繁
あぁ、そうですか。
たとえば改築や手入れはやっても良いんですか?

野中智史
基本的には皆さんそうですね。
2畳と4畳半しかないので、ワンフロアっぽくして使うてはるところが多いです。
逆に間仕切り取ってないのは、うちともう一軒くらいで。

岸田繁
ここは平屋建て?

野中智史
2階がありますね。

岸田繁
住んではる人もいはるんですか?

野中智史
ここは基本としては住むことが前提です。
住んで、そのうえでお店なり工房なりにしてくださいっていうスタンスですね。
大家さんもテナント貸しだけで人が実際に住んでもらわないと家がガタ来るし、町内もさびしなるんで。

岸田繁
よその人が買わはったりとかね。
なるほど。ちなみにここでやられてなん年くらいですか?

野中智史
もう気がつけば9年目ですね。

岸田繁
ここはもともと京都の人が多いんですか?

野中智史
ここの並びはぼくと、帽子屋さんとこの加藤さんですね。
めちゃめちゃ地元なんはぼくだけです。
いま東山区だけだと人口3万7千人を切ってて。

岸田繁
そんぐらいですよね、だいぶ減りました。
子供の頃は5万人くらい住んでましたもんね。

野中智史
何年か前に近所のおっちゃんが「城陽市に抜かされた!」って言ってて(笑)。
そこしか張り合うところないのが悲しいですわって(笑)

岸田繁
城陽はたしか8万人くらいでしたよね。

野中智史
そんな感じですね。
ぼくも親の転勤でいったんヨソへ出た口ですけど、仲間内でいまも東山に住んでるのは、もう2人くらいしかいないですからね。

岸田繁
それなりにマンションとかも建ってるけど、地元以外の人が買うてる話はよう聞きますよね。

野中智史
でもぼくらは手が出ないですね。
ローン組んでもちょっと…。

岸田繁
そうですよね、2億とか3億とか。

野中智史
億ションはさすがにちょっとねー(笑)

──ところで野中さん、この並んでいる三味線の説明をしていただいてもいいですか。

野中智史
わかりました。
このへんのやつは修理の順番待ちなんですけど(笑)。
でも素材が花梨だったり、こっちのはちょっと昔の紅木なんで、どうもいま使ってる紅木とちょっと違って木味が違う。
これはほんまの花梨が増産される前の稽古三味線が樫(かし)の木やったり、日本の中でもちょっと硬い部類の木ですね。
お稽古用と、これはだいぶ古いですね。

岸田繁
電気とかマイクとかピックアップついてるような三味線なんかもあったりするんですか?

野中智史
あります、あります。
とくに津軽とかは胴のなかにマイクがついててアンプつなげたり、ちっちゃいマイクがぺたって貼ってはるやつとか。

岸田繁
あぁ、ありますよね。

野中智史
津軽はいま、糸巻をアクリルで作ってたりしますしね。

岸田繁
ベンベン弾けたらかっこいいですよね。

野中智史
津軽はぼくもかっこいいなあと思います。
いいなというか、すごいなあと。

岸田繁
津軽は作ったりはされないんですか?

野中智史
京都で津軽はないですね。
同じ太棹でも義太夫さんはあるんですけど。
津軽はもう売れるのがわかってるんで、大きいメーカーさんがどんどん出してはるんです。

岸田繁
ああ、なるほど。

野中智史
紫檀の親戚みたいな木も使ってみたり、ほかにも鉄刀木(たがやさん)という木でも作ってるんですけど、木が硬すぎるんですよね。
うちも一回だけメンテナンスに持ってこられましたけど、木が硬すぎて刃物がもう全部ボロボロになるんで。
ちょとかなんなあと。

岸田繁
曲線がいいですよね、この感じとか。

野中智史
基本ある程度同じ曲線で、測ってもらったら、可もなく不可もなく一番ちょうどええところで。
やっぱ昔の人はよう考えてはるなぁと。

岸田繁
この糸の原材料ななんですか?

野中智史
絹の糸ですね。

岸田繁
あぁ、そうですか!へー!

野中智史
絹の糸を縒(よ)って縒ってのりにつけて、ちょっと黄色味がかっているのは、ウコンにつけると防虫・防腐になるんですよ。

岸田繁
あぁなるほど。

──絹って、こんなに頑丈なんですね。

野中智史
絹の製品の中で一番頑丈なものでして、お琴、琵琶、三味線も基本的には絹の糸なんです。
津軽になるとあんだけ激しく弾かはるんでナイロンになってくるんですけど。

岸田繁
ところで野中さんはこのへんのご出身やったら、小学校はどこでした?

野中智史
新道です。

岸田繁
あぁ新道ですか。

野中智史
もともとの実家が松原の上やったので、学区的には新道学区のギリ。南側くらいやって。

岸田繁
そうですか。
私の家も、親父が子供の頃までは東山やったんですよ。
今熊野、本町とかあっちのほうやったかな。

野中智史
もう年々行動範囲が狭くなってきてどうしようかなと。
ぼくなんか五条通りと三条の間からほとんど出ない生活してて。

岸田繁
ぼくもだんだん近所ばっかりになりますね。

野中智史
たまには出なあかんって思ってるんですけどね。

岸田繁
ほんまに。

野中智史
むかし、ぼくのおばあちゃんとか河原町行くときは「街行ってくるしー!」って言うてたんが感覚的にわかるようになってきて。
「ちょっと街行ってくるし、あんたなんかいるもんあるー?」って。

岸田繁
ああ。その感じわかりますね。



温新知故
#17
野中智史×岸田繁

文:
松島直哉

撮影:
平居 紗季

岸田繁オフィシャルサイト
https://shigerukishida.com

くるりオフィシャルサイト
http://www.quruli.net

温新知故
#17


変わっていく街の音。

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。