
「花をすることは生きることそのもの」
学生による いけ花授業レポート(4)
〈茶室空間プロデュース編〉
(4)_花をたてる
竹花入を引き続き作っていくのですが、
その途中で、珠寳先生による「たて花」の稽古もあります。
1回生の時は先生のお献花をみて、それを観察・スケッチするものでしたが、
2回生では実際に自分たちでお花を立ていきます。
まず私たちは、花材を採りに大学の瓜生山に登りました。
季節は秋。
ちょうどその頃はススキがたくさんあったので
ススキをとらせていただきました。
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椿昇先生のコメント
自然とともに暮らしてきた日本人は、恵みを余すところなく使って感謝しながら暮らしていたと思います。
いまは高齢化などで人が入らなくなって里山がこわれていってます。
人が関わることで維持される二次自然を守るためには「間引き」や「下草刈り」は必須ですね。
日本にも山を手入れするような社会貢献カリキュラムを経験しないと、
就職できないような仕組みがあると良いのですが。
花切りばさみをもち、ススキをとっていきます。
穂が閉じているもの、半分開いているもの、閉じているもの。
やはり植物には表情がたくさんあって見飽きません。
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椿昇先生のコメント
観察がすべての基本です。
最近兵庫県立美術館で「河鍋暁斎」の展覧会が開催されていました。
これは観察という作業の痕跡を中心とした素晴らしい展覧会でした。
清々しほどの秋晴れの中、花を撮らせていただくことのありがたさを感じます。
たて花とは
いけ花には、3つの様式があります。
「生け花」、「なげいれ花」、そして「たて花」です。
日本最古の伝書といわれている
『仙傳抄 奥輝之別紙(せんでんしょう おくてるのべっし)』には、
・たてる(三具足の花、脇花瓶)
「そもそも花を立つる事は、仏在世の昔より末世の今に至るまで、
戒定恵(かいじょうえ)の三学をしめし給う。その一なり。
香と花と火とを持って、三学をしめしあらはすと見えたり。」
※戒定恵・・・仏道修行に必要な3つの事柄。
悪を止める“戒”と、心の平静を保つ“定”、真実を悟る恵。
・いくる いるる
「花をいるるというは、菜籠(さいろう)のようなるものに、花をいけたるを云う。野山に有躰にいるるなり」
・なげいれる
「なげ入はなというは、船などにいけたる花の事なり」
の3つについてが書かれています。
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椿昇先生のコメント
日本の信仰心は自然への畏怖の念から生まれています。
アニミズムと言われて西欧の進歩史観かたら言えば遅れた考え方と解釈されてしまいますが、
近年の環境意識の高まりと有限な地球への危機意識のなかで、
世界が再評価を始めた重要な「思想」になりつつあります。
過剰な人間中心主義の反省を促す意味においても
日本文化の持つ自然との関係性への思慮深さがますます重要になっています。
先生が世界から招かれる意味がそこにある事に気づいてください。
その中でも私たちが教えていただく「たて花」は、
座敷飾りの花や、仏前の供花として立てられた花で、最も端正な花とされてきました。
準備が8割
花材をとったら、稽古を始めていきます。
たて花の際は、「美しく、素早く、正確に」がキーワードとなってきます。
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椿昇先生のコメント
トップアスリートも同じことを言いますね〜
〈花をたてる〉
–場づくり–
花をする場、飾る場を清めます。
畳の目に沿って、雑巾の面を変えながら拭きます。
目安は雑巾一面で畳半分。
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椿昇先生のコメント
僕なら畳を清めながら想を練ってしまいますが・・・、
禅師にすかさず「喝」と言われそうです(笑。なかなか無念無想は難しいね〜
場を清めることができたら、足袋を履きます。
足袋を履くのは、スイッチを入れるため。
心を”花すること”に持っていくための準備です。
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椿昇先生のコメント
とても重要です。現代社会のように忙しくめまぐるしく日々がすぎると、
スイッチをどう作るかで人生が別れてしまいます。
比喩としての足袋はいろんなところに姿を変えて存在します。
それぞれの足袋を探すのも良い経験になりますね。
他に、お香を炊くときもあります。
次に、敷き布、花台(花瓶を置く台)、花を切るための刃物、花盆(花を置くお盆)
花巾(手ぬぐい)などを用意します。
これらは、花をするために必要な道具となります。
–花材選び–
花を運ぶ時は、水滴を落とさないように
下を花巾で抑えるか、花盆、あるいは花手桶で運びます。
花瓶は、花台の真ん中。
物差しを2本使って、上下左右正確に計ります。
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椿昇先生のコメント
茶の湯の作法が究極ですが、長い経験のなかで黄金比を発見するように磨きだされて来た姿。
見失うことの無いように繰り返し身体化してください。
–花留めの用意–
ここで、初日に作った込藁の登場です。
まず、小束を花瓶の高さに合わせていきます。
そして仕込んでいきます。
結んだ時にスカスカしないように、
少しきついくらいまで込藁用の小束を入れていきます。
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椿昇先生のコメント
ほのかに日向の匂いが漂っているんでしょうね〜
下がすぼんでいて、上に行くにつれて広がっていく形の花瓶は、
短い小束を何本か入れ、太さを合わせます。
込藁の凄いところは、
小束を多くしたり少なくしたり、短くしたりすれば
どんな花瓶でも仕込めてしまうところ。
自由自在です。
ここで一番意識するのが、小束をしっかり揃えること。
表面が凸凹だと、美しくないからです。
お花の一番の見所である水際。
真がしっかり中心にあり、込藁がぴったりと気持ちいいくらいに揃っている。
それが美しい水際です。
全部で3箇所とっくり結びをするのですが、
一番下は一番きつく、真ん中は中くらい、一番上は少し緩めに結びます。
結んで紐が余ったら、切ってしまうのではなく
ぐるぐると周りを結んで、最後は解けるようにちょうちょ結びをします。
ぐるぐるするときも、紐と紐が重ならないように綺麗に巻きます。
ちょうちょ結びも、結び目が横になるように。
「見えないところまで美しく」していきます。
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椿昇先生のコメント
なぜ??見えないところにも気配りをするのかな??
次に、花瓶に水を入れます。
その際、水が弾かないように、右手で水注ぎやかんの持ち手、左手で花巾を添えます。
水を扱う時は、必ず花巾を持つこと。
そして込藁が浸かるギリギリくらいまで水を入れます。
ここまでが準備の段階。
たて花をする時は「準備が8割」といわれるほど
準備がとても大事です。
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椿昇先生のコメント
何事も出来栄えを決めるのは素材の良さと準備ですね。
また、動作も
何か物を置いたり運んだり、立ったり座ったりする時に、
バタバタとしていてはダメなのです。
例えば立ったまま台を置く、ということをしてはいけません。
きちんと座ってから、台を置いた方が
美しく見えるからです。
立ったり座ったりを繰り返すのは、慣れていなければ大変ですが、その分足腰が鍛えられます。
背中に目をもつ
世阿弥は、著書『風姿花伝』の中で、
「目を前に見て、心を後ろに置く」状態が大切だと言っています。
自分の目の及ばない所まで意識化しなければ、自分の姿は美しくならない、という意味です。
珠寳先生の姿は、どこから見ても美しいです。
準備をしている時も、花をしている時も、座っている時でさえも。
先生はご自身で「背中にも目がある」とおっしゃっていました。
私も、珠寳先生のように美しい人になりたいと、先生になったつもりで花をします。
先生が花をされる姿はあまり見られないので、見る機会がある時は、
その瞬間を見逃すまいと瞬きさえも惜しいのです。
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椿昇先生のコメント
良い気づき!!潃
珠寳先生の動作1つ1つが、とても意味のあることのように思えます。
花をいけている時だけでなく、
歩く姿、座っている姿、誰かと話している姿。
先生から纏っているオーラは、冬の早朝の空気みたいに凛としていて、
でもどこか優しい感じがします。
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椿昇先生のコメント
基礎美術の師範方はどなたも所作に隙きがありません。
料理もスポーツも素晴らしい結果を生む身体の動きを会得するには、
ひたすら繰り返す事しか道が無いのです。
そしてそれは一生続けてゆけるという意味で
素晴らしい人生の友になってくれます。
みなさんが所作だけで基礎美だねと言われる日が待ちどうしいのですが、
まずは背筋をいつも伸ばして欲しいね。
私も、珠寳先生のような空気の人になりたいと、珠寳先生を見るたびに思わされます。
つづく
2019.06.15更新