京都文化
トリハダ通信

京都文化トリハダ通信 4

「花をすることは生きることそのもの」
学生による いけ花授業レポート(6)
〈茶室空間プロデュース編〉

Kyoto Art class
Report 4
“Ikebana”
Text by by Suzuki Hinae

学生による いけ花授業レポート
基礎美術コース 3 年
鈴木 日奈惠

(6)_今と昔を繋げる

ついに、私たちの茶室空間プロデュースも大詰めです。

  • 椿昇先生のコメント

    素晴らしいテーマだと思います。
    受け身ではなく主体として提案を行う事で大きく成長するでしょう。

 

例えば、お茶会などでは
床の間(茶室の一番神聖な場所。一段上がっている)には、その日行うお茶のテーマが書かれています。

花も、季節の花をいけます。

ですが、全てを昔の人がやっていたのと同じようにする必要はなくて、
自分の表現したい空間を作るので、いわばなんでもありなのです。

自分が表現したいテーマがあって、
それをどう空間に持ってくるのか。

いよいよ合評の始まりです。

〈合評〉

合評は、3日に分けて行われました。

  • 椿昇先生のコメント

    3日という時間も大切ですね。
    合評というよりそれぞれの個展に近いのではないかな。

 

準備

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場を清め、お香を焚き、白足袋に履き替えたら、
作った竹花入、他に自分がテーマとするものに必要なものを持参して、準備にとりかかります。

床の間を使う人は、
そのまま上に上がってはいけません。
床の間は神様がいる神聖な場所なので
布などを角に敷いて養生し、上がらせていただきます。

  • 椿昇先生のコメント

    自然や環境と共生して生かされるという知恵が、
    過大な人間中心主義になぜ置き換えられてしまったのか・・
    デカルトとニュートンを中心に17世紀に始まるヨーロッパ思想と科学の激動を押さえておく必要があります。
    その授業は3回生で僕が担当します。

 

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また、
花をする時は、基本的に電気、暖房はつけません。
自然光の中で行います。
なので、光が当たらない場所はほぼ何も見えません。
その中でいけなければいけないので、
水を花入に入れすぎて溢れさせてしまったり、落としてしまったりしてしまいました。

自然光の中でいけると、時間の経過とともに変わる陽の光が綺麗で
普段白い電気の中で、私たちが忘れてしまった心の安らぎを思い出させてくれます。

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  • 椿昇先生のコメント

    「陰翳礼讃」の再読を〜!経験したあとすぐに読むと血肉化します。

 

こういう時は、自分の五感をフルに使い、
耳で水の音を聞き、水が溢れる前に止められるようにしなければいけないのです。

  • 椿昇先生のコメント

    五感に五行・・十大弟子。
    数字の秘密を考えると面白いですよ。
    法華経という大乗の経典があって、院生くらいになったら読んで欲しいですね。

 

今回は、みんななげいれ花で、
なげいれ花は、「野にあるように」いけます。

先生が用意してくださった季節の花を使い、手早く、集中していけます。
花の向きが、もっとこっちだったらいいのになと思い何度もやり直すのですが、なかなかこっちを向いてくれません。
ですが、先生がいけると、スッと物音もなく静かに、思い通りの場所に収まるのです。
お花が、珠寳先生の言うことを聞いているようで、魔法かと思いました。

 

  • 椿昇先生のコメント

    魔法です!確信を持って芸術の世界には「魔法」が存在していると言えます。
    でもそれは量子論で電子が振る舞うように正体そのものを無意味可します。
    数学も見えないものを見ようとする先人の積み重なから誕生しました。
    ゆえに数学も数字も美しい。

 

自分の世界を表現する

合評

みんなまず一旦外に出て、中に入るところから始まりました。
玄関の引き戸が、少し空いていたら「どうぞお入りください」の合図。

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靴もきちんと揃えます。

  • 椿昇先生のコメント

    下宿でも実家でもそうしていますか(^^)

 

入っていき、まずは玄関から。
そして中に入り、待合の床の間、茶室の床の間など、みんなそれぞれ様々なところに
作品を置き、自分の世界を表現していました。

自分の「集合体恐怖症」をあえて作品にした彼女。
「見たくないけど、見たい」という葛藤が、恋と同じだと考え、
銘を『忍ぶ恋』としていました。
恐怖症と戦いながら作られた彼女の作品を見ていると、
こっちまで恋をしているような感覚になりました。

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  • 椿昇先生のコメント

    若々しいきみたちにしかできない表現です!
    すばらしいと思いますよ。命の息吹を感じます。

 

また、トイレは人間にとって一番身近だと考えた彼は、
清潔感のある青竹に赤もみじをいけた作品を作っていました。
銘は『いやし』。
彼はトイレをきちんと掃除してから、花をいけたそうです。
トイレに花があると、銘の通り心が癒されます。

  • 椿昇先生のコメント

    トイレのことを「雪隠」(せっちん)といいますよね。
    禅宗は東司(とうす)。
    庶民的には厠(かわや)いずれもなんと美しい。
    トイレを書かずに厠でもよいではないかと(笑)

 

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他にも自分の好きな漫画やアニメを作品のテーマにして、
その世界観を見事に表現している人や、
自分自身を見つめ直している子など
バラエティに富んだ作品がたくさん生み出されていました。

  • 椿昇先生のコメント

    僕も作品やプロジェクトを構想するときは「作庭」であると考えて、
    循環する仕組みを練ります。
    重森三玲という人の庭が東福寺にありますので、一度見ておいてください。

 

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  • 椿昇先生のコメント

    習い始めにしてはなかあかである(笑。技術ではなく心が前にたっているのが良い)

 

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  • 椿昇先生のコメント

    えのころぐさの野放図なところがよく引き出せている。
    作為の無さがお見事!

 

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  • 椿昇先生のコメント

    これは黄色い無粋なビニール結界へのクリティックかな?
    現代の表現になっているね。

 

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  • 椿昇先生のコメント

    天に押されてよろめいておるな若者たち(^^)

 

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  • 椿昇先生のコメント

    洛外の里ののどかな昼下がりかと・・

 

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  • 椿昇先生のコメント

    精霊や妖怪はもはやいないのかな〜

 

みんなの頭の中を覗いているような時間でした。

私はというと
珠寳先生の授業がちょうどそろそろ秋から冬へと移っていく季節だったので、
秋が過ぎ去っていくのを惜しむ「名残」をテーマに空間をプロデュースしました。

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季節には、四季の中に二十四節気、さらにその中に七十二候というものがあるのをご存知でしょうか?

秋分・・・昼と夜の時間が同じになる。
・初候 : 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ) いわし雲へと変わる頃。
・中候 : 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ) 虫が巣篭もりを始める頃。
・末候 : 水始涸(みずはじめてかる) 稲刈りに取り掛かる頃。

秋という1つの季節の中でさらに別れているなんて、これを考えた人は、きっと繊細な人だったのでしょう。

待合の床と、本床。
本床は釣船に嵯峨ギクともみじをいけました。
そして普通は掛け軸をかけるところに、竹をかけて月にみたてました。

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  • 椿昇先生のコメント

    解釈に妙味あり、竹に穿たれた円窓が月かな?
    まあこんな事を聞くのは無粋なのでやめましょう〜

 

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日本人の良いところは季節の移ろいを大事にするところだと私は思います。
お茶やお花をする時にそれを感じるのが、たまらなく好きで、心地良いのです。

茶室空間のプロデユースの合評が終わり、
最後に、せっかくお茶室での合評だったので、お茶をみんなでいただくことに。
自分たちで作った黒樂茶碗を持参し、自分たちでお茶をたてて、いただきます。

お菓子は、みんな大好き「出町ふたば」さんの豆餅。

  • 椿昇先生のコメント

    行列しないと買えない逸品でありながら、
    若い君たちの立場をふまえて素朴な豆餅になってるのが二重の意味で素晴らしい。

 

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合評には
椿昇先生、書を教えてくださっている高井秀山先生にお越しいただき、
一緒にお茶とお菓子もいただきました。

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  • 椿昇先生のコメント

    全員のプレゼンを見たかったけど講座を先生方は持っているので、なかなか機会が無くて残念です。
    頭部にまだ傷があり滞帽子のままで失礼をば

 

現代の同朋衆となった私たちの茶室空間プロデュースは、こうして幕を閉じました。

 

 

今と昔を繋ぐ

珠寳先生にとって、「花をする」ということは、生きることそのものだとおっしゃいます。

「花を通じて自然界の理法知り、それを社会で、個人の人生において
どう生かすか。これが私にとって花をする最大の魅力です。」

先生は、現代の同朋衆だと思います。

時代が進んでいく中で、なぜ伝統工芸が生き残っているのか。
なぜ古典が新しく感じるのか。

そのままでは古くなるだけですが、
今も残り続けているものというのは、
本質は変えず、時代に合わせて少しずつ、少しずつ
変化しているものだと思います。

  • 椿昇先生のコメント

    そこに秘密があります

 

そして、時代の先端にいる人というのは、繰り返される時代の先を見据えています。
今も残り続けているのは、全てそれが良いものだから。
目に見えていないところに工夫があるから、残り続けているのだと思います。

  • 椿昇先生のコメント

    フランスの詩人ポール・ヴァレリーはボートを漕ぐことを例えて「うしろ(歴史)を見ながら前に漕ぐから進めるのだ」と言っています。
    マラルメもこの文章をよく引用します。
    まっすぐ進むためには歴史を見据えて進まねばなりません。

 

まさに、「Ols is New」。古いものは新しい。

  • 椿昇先生のコメント

    Warm old wisdom

 

私たちが行っているのは、400年前と今を繋げること。
これってすごく素敵でかっこいいことです。

珠寳先生の授業はこれで終わりですが、私達の身体には、
珠寳先生から学んだことが染み付いています。
点と点だったものが繋がって、線になっていく。
軸みたいなものが繋がっていることに気づきます。
簡単なことではないけれど、この時の心が満たされていく嬉しさは、ひとしおです。
基礎とは、身体と魂の「自覚」で、それを「稽古」という繰り返しの実践で、自分自身の軸を積み上げていきます。
積み上げていくと、ある日突然世界が変わる時が来ると、椿先生はおっしゃいます。
これから「稽古」を続ける中で、どんな発見があるのか、どんな美しいものとの出会いがあるのか、私たちの宝探しは、まだまだ続きます。

  • 椿昇先生のコメント

    とにかく一過性で終わらず日々の暮らしのなかに持ち込むべし。
    繰り返せないものは残らないので・・・英語もね(笑)

おわり

 

2019.06.15更新