京都文化
トリハダ通信
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京都文化トリハダ通信

「稽古とは 一より習ひ十を知り
十よりかへるもとのその一」
学生による 茶の湯レポート

Kyoto Art class
Report 5
“Tea ceremony”
Text by by Suzuki Hinae

学生による 茶の湯授業レポート
基礎美術コース 3 年
鈴木 日奈惠

(2)_心の誠

割稽古をしたら、次はいよいよ盆略点前の稽古をしていきます。

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盆略手前とは、お盆を使った簡略な点前のことです。
私たち基礎美術コースでは、「お茶会」ができるようになることが最終目標になっています。
なので、客の点前、亭主の点前、どちらともできなければいけません。

お茶会といえば、京都では豊臣秀吉が北野天満宮で行なった
北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」があります。
約400年前、豊臣秀吉が千利休と津田宗及らとともに開いた大規模な野外お茶会。
身分の上下、人種を問わず、茶の湯が好きなものなら参加しても良いという、今の時代になっても考えつかないような一大イベントです。
当初の予定では10日間開催される予定でしたが、
なぜか1日で終わってしまい、その後このお茶会はなくなってしまったそうです。
なので、このお茶会は「幻の茶会」と言われています。

なぜ中止されたか。
その理由の1つに、利休と秀吉の美意識の違いがあります。
秀吉は派手好きで、金ピカの茶室を作らせたりしていましたが、
利休は侘び寂びの精神を持ち、一見地味なものを好みました。
実際は地味ではないのですが、派手好きの秀吉からしたら気に食わなかったのかもしれません。

私は金ピカの茶室は、最初は綺麗とは思うけど、きっと途中で飽きてしまうのだろうなと思います。というか、なんだか落ち着かない気がしてそわそわしそう。

  • 椿昇先生のコメント

    秀吉は農家の出身でありながら、権力のトップに上り詰めました。
    なりあがりかもしれませんが、重要なのは彼が能も含めて文化に深く関わったということです。
    自ら能を舞い、能に強い影響を与えました。
    能のシテ方が金襴の衣装をまとうのは秀吉以後です。
    利休を尊敬するのは簡単ですが、秀吉の功績を評価するのは難しい(笑)。
    今の政治家たちに秀吉の爪の垢をなめてもらいたいものです。

 

季節で変わる点前-炉と風炉-

亭主一人、客二人で、順番に行なっていきます。
それ以外の人は、点前を見る人、水屋で準備する人、お菓子を運ぶ人に分かれます。
それぞれとても大事なことです。

  • 椿昇先生のコメント

    一糸乱れずに皆が動くときにアイコンタクトではなく
    「聞き耳を立てる」事が鍵となっています。
    下品に見るのではなく静かに聞く。これが日本文化です。

 

この授業を行なったのは4月なので、「炉(ろ)の点前」を行います。

お茶は、季節に寄り添います。
お茶碗、お菓子、茶道具、掛け軸、花、そして点前にも、季節があります。
4 月から 11 月は、炉の点前。12 月から 5 月は、風炉(ふろ)の点前。
炉とは「囲炉裏」の略です。

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茶室には、畳の一部を切って床下に備え付けた囲炉裏があり、
その畳の部分を取ると囲炉裏が現れます。
風炉の季節では、この炉は畳で隠されます。
畳に炉がない時には、敷板の上に風炉を置きます。

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炭に埋まっている白いものは、前瓦(まえかわら)といい、
風炉の火窓(点前の穴が空いている場所)からの火気を防ぐために立てる
素焼きの瓦です。

ひょこっとしているのがなんとも可愛らしくみえます。

茶室には面白い仕掛けがたくさんあり、知れば知るほどその奥深さから抜け出せなくなりそうでたまに怖くなります。
それでもやっていくと、不思議なことに自然と心が落ち着いてくるのです。

  • 椿昇先生のコメント

    はまってください(笑)

 

真行草

〈盆略点前の稽古〉

「盆略点前のお稽古を始めさせていただきます。よろしくお願いします。」
と膝前に扇子を置き、まずは挨拶から。
この時、両手の平を畳につけ、深く頭を下げる“”のお辞儀をします。

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先生に挨拶をしてから、亭主が挨拶。

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亭主が挨拶したら、客も挨拶。

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客同士も挨拶。

茶道のお辞儀には“” “” “”があり、
”が一番格式が高いものになります。

”は客同士のお辞儀で、
”は亭主が点前をしている時にするお辞儀です。

茶道でなくてもどこにでも、真・行・草はあります。

  • 椿昇先生のコメント

    茶杓にも茶筒にも真・行・草がありましたね。

 

そして亭主役の人は、帛紗を腰につけて
道具を運び、割稽古でやった点前を行なっていきます。

お茶のお稽古では、まず最初に“薄茶”を習います。
正式な茶事では、懐石料理もしくは炭点前→濃茶→薄茶という順番があります。
最も基本になるのが、薄茶です。
神社やお寺を拝観した時に私たちがよくいただいている抹茶は、薄茶という種類です。

  • 椿昇先生のコメント

    濃茶と薄茶の違いは、意外に知らない人が多いように思いますね。

 

薄茶を稽古することで、お茶の道理・技・物事の考え方全てに通ずるもので、
それを学ぶことにより、“心の誠”に繋がるといいます。

客の役をする人は、正客と次客に分かれます。
正客の人は、亭主の人に
「たいへんおいしくいただきました」
「本日のお菓子は?」
など、亭主と会話をする役目があります。

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右が正客で、左が次客。

 

〈道具を運び出す〉

茶道口に座り、一礼します。
水屋から茶室に入るときは、右足から。建てつけを踏まないように入ります。

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道具には、全て決まった位置があります。
盆略点前の場合は、
棗、お茶碗、茶杓、茶筅、茶巾がのったお盆、建水、柄杓と、道具を運んでいきます。
その際、建水は膝の位置でお客からあまり見えないように運びます。

※炉の点前の場合
続いて、中に蓋置、上に柄杓をのせた建水を左手に持って、炉縁の角に向かって座り、建水を左膝の横に置きます。
建水から蓋置を出し、炉の近くに置き柄杓を上向きにして釜にかけます。

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「蓋置はそちらに置いてください」
と奈良先生のご指導が入ります。

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柄杓の持ち方も。

  • 椿昇先生のコメント

    奈良先生に直接ご教授いただけるというのは、なんと贅沢な。
    と僕は思ってしまいます。将来気がついてくれるかなあ~。

 

歩くときは、決して畳のヘリを踏まないように、背筋を伸ばして、静かに歩きます。

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ここでも、奈良先生のご指導が入ります。

両手で盆を持ち、瓶掛正面に座り、盆を置きます。

道具の中には、重いものもあります。
ですが、重いからといって踏ん張って見えるような持ち方はしません。
「重いものは軽く、軽いものは重くなるように持つんですよ」
重いものも、重く見えないように持たなければいけません。

  • 椿昇先生のコメント

    身体と心を整えるという知恵が詰まった言葉です。生活のすべてに応用できますよね。

 

盆を持ち、斜め客付に回り、建水を前に進めます。

〈道具を清める〉

腰の帛紗を取ってさばき、左手で棗を取って清めます。
帛紗をさばき直して、茶杓を清め、盆の右手前(5時の方向)に斜めに置き、
茶筅を茶器の右側(1時の方向)に置き、茶碗の中の茶巾を取って、盆の右端に置きます。

左手の帛紗を右手に持ち直し、左手で鉄瓶を持ち、右手で鉄瓶の蓋を押さえ、茶碗に湯を注ぎます。

※炉の点前の場合
帛紗を持ち直し、柄杓を取り、蓋に帛紗を置き、蓋を取り、蓋置の上に蓋を置きます。
帛紗を自分の左側に置き、茶碗の中にある茶巾を蓋の上にのせます。
柄杓で湯を一すくいし、茶碗に注ぎます。

柄杓使いも結構難しくて、初心者の私たちはうまく扱えません。
まだ道具に“扱われている”といった感じです。
柄杓を湯から出すときは、湯が滴り終わるのを待ってから注ぎます。
ここで「待つ」ことが、せっかちな私はなかなかできませんでした。
注ぐ時も、ためらっていては畳にぼたぼたと湯をこぼしてしまいます。
迷いは、行動、仕草に現れるのです。

  • 椿昇先生のコメント

    みなさんのあたふたする姿が目に浮かびます。稽古あるのみ。
    下宿でも思い出して所作を繰り返してくださいね。

 

注いだら柄杓を下向きにして鉄瓶にかけ、茶筅通しをします。

鉄瓶を戻し、茶筅を右手で取り、左手は茶碗を上から軽く押さえ、茶筅通しをします。
茶碗を右手で取り、左手に持ち替え、湯を建水に捨て、右手で茶巾を取り、茶碗を拭きます。

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茶碗の中を拭くときは、「い」「り」の文字を書くように。

茶巾を茶碗に入れたまま、右手で茶碗を盆に置き、右手で茶巾を取り元の位置に置きます。
右手で茶杓を取り、「お菓子をどうぞ」と“”のお辞儀で菓子をすすめます。

正客は、それを受けて“”の一礼。
次客に「お先に」と挨拶をして、菓子鉢を両手で持ち、少し持ち上げます。
持ち上げるのは、敬意を表すため。

懐紙を出して、菓子を取り箸でとります。
この時、左手を菓子鉢に添えると、見た目も美しいです。
取ったら、次客に菓子鉢を送ります。

お菓子は、抹茶が出る前に食べ終わっておくのが良いです。

〈茶を点てる〉

亭主は左手で棗を取り、
薬指と小指で茶杓を握り込み、残りの指で棗の蓋を取り、茶杓のあった所に立てかけます。
棗には、抹茶がこんもり入っています。
鼻息などで吹き飛ばさないように気をつけながら、茶杓で棗から抹茶を二杓すくい、茶碗に入れて、茶杓を茶碗の縁でコンっと軽く打ち、
棗の蓋をして元の位置に戻し、茶杓も元の位置に戻します。

右手で帛紗を取り、湯を茶碗に入れ、茶を点てます。

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茶は、手首のスナップがポイントです。
シャカシャカシャカと点てたら、表面をなでるようにサラサラサラとします。
表面が泡で覆われるくらい点て、最後は「の」の字を描くように茶筅を抜きます。
しっかりと泡を点てること、そして温度が下がらないように
あまり時間をかけないこと。
お客さんに冷めた抹茶を出さない、お客さんに美味しくお茶をいただいていただくために「おもてなしの心」も忘れないように。

点てたら、茶筅を元の位置に戻し、茶碗を右手に取り、左手に乗せ、手前に二度回して、
正面を客に向け、畳の縁外に差し出します。

正客は、その茶碗を“にじって”取りに行きます。

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にじるとは、座ったままの姿勢でじりじりと移動することで、
位の高い人の前から退出するときなどの動作として使われていたそうです。

元の位置に戻り、畳の縁内に取り込み、次客との間において、この時も
「お先に」と礼をし、次に前において亭主に「お手前頂戴いたします」と
挨拶をします。
茶碗を左手の手のひらに乗せ、正面を避けるために右手前に二度回し、茶をいただきます。

 

茶の音

抹茶は、なんと音を点てて飲みます。
え?音立てるの!?
小さい頃から、音を立てるのは行儀が悪いと教えられてきた私には、衝撃でした。
でも考えてみると、日本は「音をたてる」という文化があることが分かります。
そばを食べる時も私たちはむしろズズッと「音をたてる」ことがマナーみたいなところがありますよね。

抹茶を飲む時も、マナーとして音をたてます。
これは、「美味しくいただいています」ということと、
抹茶を茶碗に残さないために、最後に「飲み終わりました」という合図としても、音をたてることは重要な役割があるのです。

最初は結構抵抗感があって、私たちも周りの目を気にしながらやっていました。
ですが、いつの間にかその気持ちは消えていました。
むしろ、直接言わなくても、音をたてることが相手へ気持ちを伝える手段であることに感動を覚えるくらいになっていました。

茶の世界では、音というのは非常に大切な役割を担っています。
亭主も客も、この音に耳を澄ませます。すると、
湯が沸く音、湯を注ぐ時の音、道具を置く時の音、茶を点てる時の音、など
様々な音が、私たちの耳に届きます。
まるでオーケストラの演奏を聞いているような、心地よい音です。

  • 椿昇先生のコメント

    立花も能も禅も、次の所作を促すときに「音」が鍵になります。
    目で直視するのは誠に品がない、耳をそばだてる事ができれば人生が変わるのです。

 

〈拝見〉

お茶を飲み終えたら、拝見の時間。
礼をして、低い姿勢のままお茶碗を拝見します。
万が一でもお茶碗を落として割ってしまったりしたら大変です。

泡が吸い切れていれば、高台をみるときに雫が落ちる心配をしなくて済むのですが、
私はまだまだ最後まで泡を吸い切れません。
畳に抹茶をこぼしてしまうのではないかと、いつもヒヤヒヤしています。
思っているよりもお茶碗に抹茶を残さないように飲むのって、簡単なようで難しいです。

  • 椿昇先生のコメント

    本音(笑)

 

拝見が終わったら、再び一礼して、にじって亭主の元へ茶碗を戻します。

茶碗が戻ったら、盆の上に置き、湯を入れて、左手で建水に湯を捨てます。
そして次客にも同じように茶を点てます。

〈しまいつけ〉

客から、「どうぞおしまいください」とおしまいの挨拶があれば
「おしまいいたします」と受けて、道具をしまっていきます。

湯を茶碗に入れ、おしまいの茶筅とおしをして、湯を建水にこぼし、
茶碗を左手に持ったまま、右手で茶巾を取り、茶碗に入れ、茶碗を置き、茶筅を入れます。
次に右手で茶杓を取り、左手で建水を引き、茶杓を握り込んで、右手で帛紗を取りさばき、茶杓を拭き、茶碗の上に伏せて置きます。
その手で茶器を元の位置に戻し、帛紗を建水の上で払い、帛紗を右手に持ち直し、鉄瓶の蓋の向こうを少し切り、帛紗を腰に着けます。

盆を持ち、瓶掛正面に回り、盆を置き、建水を左手に持ち、退出します。
再び出て、盆を持ち退出し、盆を建付に置いて一礼し、点前を終わります。

 

「自分は何も知らない」ということを知る

道具の持ち方、方向転換の仕方、歩き方、座り方、立ち方、移動の仕方、などなどお茶の世界には本当にたくさん、複雑で細かい決まりがあります。

私たちは、何回かやっているはずなのに、なんども同じ間違いをしてしまいます。
その度に先生に
「はい、そこでお水をこぼして」
「お客に背を向けないように回るんですよ」
「違う違う、右足を引いて」
先生の言われた通りに道具を動かしたり、歩いたり、蓋を開け閉めしたり、自分が何をしているのか分からなくなってきます。

稽古は「習うより慣れろ」とよく言いますが、最初の頃は先生に指示していただかなければ何もできないロボットのようでした。
ですが、そうして私たちは

「自分たちが何も知らなかった」

ということを知ることができます。
これを知ることで、今後の稽古も何回かこなしていると、少しずつ少しずつ、
手が、身体が、自然と覚えていく感覚になります。
それが結構クセになり、3回生になりようやく楽しくなってきました。

京都文化トリハダ通信

稽古をやっていくと、たまに昔の記憶と今やっていることが繋がる瞬間があります。
特に茶道は私たちが今行なっているものが全て詰まっていると言っても過言ではありません。

全ては繋がっていたのだと、気づくことができる有難さを噛みしめなければいけないなと思う日々です。

  • 椿昇先生のコメント

    いまはYouTubeで見てという人が多いかもしれませんが、
    文字で細かく描写する事はとても重要です。
    文化は文字に残されて伝わって来ました。
    そこに生まれるズレこそが伝統の更新に繋がりました。
    その意味でこのレポートはとても重要なのですね。

 

つづく

2019.07.01更新