職人interview
#09


京提灯|提灯屋は今の電気屋

KYOTO T5から発売した「CHOCHIN CAP」を共同開発してくださった京提灯の老舗問屋・美濃利 6代目 栁瀬 憲利さんにお話を伺いました。
戦前、日本では電気ではなく、提灯が生活の灯りでした。京都には元々何百件と提灯屋があり、今でも祇園の街を照らしています。
素材の質の保持や入手の困難が高まり、材料屋や提灯の職人が減っている中、美濃利さんは素材へのこだわりが強く技の継承をとても大事にされています。

提灯屋は今の電気屋

──美濃利の”美濃”は岐阜の美濃ですか。

そうです。初代の時に美濃地方から京都に出て来ました。
なぜ京都に移ったかは知らないんですけどね。この店が出来てから僕で6代目になります。祖父は僕が生まれる前に亡くなってたんですけど、父親の仕事は全部見てました。

──先代から今の時代に変わって、感じたことはありますか。

職人がなかなか育たない。
戦前、提灯屋は今の電気屋の感覚で人の生活に関わっていました。昔は、懐中電灯の代わりに提灯が使われていて、京都の中だと何百軒とあった業種。それが段々需要が減り、職人の数も減っていきました。うちは今、若い職人が2人いますが、働きやすい環境を整えるように心がけています。

──時代の変化に合わせて工夫されたことなどありますか。

素材ですね。竹骨の質が年々悪くなってきてるんです。
大昔に作られた提灯はとても丈夫やのに、2、3年前に使った竹骨はもう、バキバキなんです。竹の育つ環境自体が変わってきているから、竹の代用をワイヤー素材にした提灯もあります。

──素材へのこだわりを強く感じます。

提灯というのは素材が大事やから、素材が悪いと良い提灯が出来ないんですよ。なので良い素材を手に入れることに力をいれています。
美濃和紙という良い和紙を、岐阜から仕入れています。提灯の骨となる竹は、寒くなり始めた頃に1年分の数を切り出します。あったかくなると虫がついてしまうから、そうなる前に。1人で1本の竹を切って、下準備し、提灯を作るというのは工程が多すぎて不可能。なので提灯は分業して作ります。熟練の職人さんも昔は、骨ばっかりを切っていた。竹を定規どりして、切って丸めたもん型にはめる作業と紙を貼る作業を分業していた。そうやって沢山できてたんです。今は熟練の方一人でちびちびやってはる。うちは一人が紙貼り、もう一人が絵付けという分業でやっています。

分業にすると全然ちゃうでしょ。効率のことを考えると、分業にせんとね。
そのために職人の数が必要やけど、逆に提灯ができすぎてもあかんのです。量産できるようになったら、価格がくずれてしまう。今は和傘なんかも中国で大量に作れるようになってしまって、(京都で作って売っている)和傘屋さんは今、京都に1軒しか残っていないです。そうなってはダメなんですよね。

──どういうところからの需要がありますか。

和紙素材の提灯は神社仏閣。ビニール素材の提灯は居酒屋とか飲食店が多いですね。祭りなんかにも使われるから、秋祭り前の6月~10月までは、なかなか大変。秋祭りは全国的に多い。
特に丹波地方は小さな神社が沢山あるから、そこら中で秋祭りしてはる。そこでみんな提灯を使う。

──では、全国から需要があるんですね。

そうです。京都だけでなく、北海道から南は山口くらいまで。
九州もあるけど、八女地方が提灯盛んなのでそこでやってるね。京都は年間2、3軒が廃業しはる。跡取りがいないとか、おじいちゃんが亡くなったとか。

──提灯は素材の他にも構造、形、大きさが様々ですね。

東京の歌舞伎座の地下には7尺のものがありますよ。需要が多いのは尺4の高張です。形の種類は高張型、卵型の夏目型、丸型、と大きく分けて3種類。
お寺は高張型が多くて、神社は夏目型が多いです。

──年間どれほど提灯作られているんですか。

尺4の高張という提灯があって、それで大体1200から1300個。地張りのやつね。作り方に、地張りと巻き骨というのがあるんです。巻き骨は螺旋状に巻いてある。巻き骨の方が安い。奈良、大阪、兵庫は巻き骨ばっかです。巻き骨は3000個くらいかなぁ。京都は地張りが多いです。地域性で違います。
2つの違いは、地張りは骨の幅が分厚く、その分、のりしろが多いんで幅の厚い紙が貼れる。巻き骨は丸い骨を使うからのりしろがあまりなくて、厚い紙が貼れない。厚い紙が貼れるか貼れないかで、丈夫さが変わります。昔は地張りばっかやったんですが、大阪の提灯屋さんが螺旋状の提灯を出して、量産するようになりました。


手仕事はできすぎたらいかん

──精密で丁寧な作業を全て手仕事でしていますが、手仕事の良さとはなんですか。

やっぱり手仕事は、できすぎたらいかんのです。
こういう仕事は絶対ロボットなんかにはできないと思うしね。手仕事を守ることを京都市長さんも推進してはる。京都でこしらえて、京都で提供する。
昔は丹波地方から竹を仕入れてたんですけど、竹をこしらえる職人がおらんなって、丹波の提灯屋が全滅してもうたんです。ようけ竹があるのにもったいないなと思います。今は九州の八女地方が竹が盛んです。

──柳瀬さんは作られるんですか。

僕は作らないです。できへん(笑)。
僕らは卸し問屋で、父親からずっと言われてるのが『職人になったらあかん』。自分が職人になってしもたら店として回っていけへんのです。営業をするもんがおらんことには繁盛しない。いっぺん作ってみよかなってやってみたけど、できへん。やっぱり難しいね。
縁あって若い子がうちに来てくれて喜んでいます。全国探しても若い職人は、なかなかいないと思うよ。

──長く京都で作りつづけられていますが、大事にされていることはありますか。

今、提灯を作る問屋が京都には3軒しかないんです。
地張りの尺4の高張である京提灯を、守っていかないといけない。よそではできない。今は職人が作る→問屋が提灯屋に卸すっていう流れが崩れてるんです。個人から提灯屋にではなく、問屋にダイレクトにいくようになってしまった。
うちは同業者卸しでやっています。最近は卸す提灯屋が減って来てるから悲しいです。継承し続けることが大事です。


アナログで物作ったらやっぱり実感が違う

── 一連の技を覚えるのにどれ程かかりましたか。

作業工程を覚えるのは1年もかからないですけど、この一連を体に染みつけて仕事としてやれるのは1年、2年かかりました。手数も多くて、手間がかかるし。提灯作りはとてもアナログな仕事です。
自分はもともとパソコンでデジタルな仕事してたんです。デジタルでも、アナログでも物を作ることはできるけど、アナログで物作ったらやっぱり実感が違うんです。黙々と向き合ってやる面白みがある。

──私たちKYOTO T5は昔からある伝統を現代のファッションに落とし込みましたが、このような新しい動きについてどう思われますか。

絶対そういうのしないとね。
製造に携わる人間がそういうのに挑戦するの大事です。提灯は昔からあるもの。これは古いものなので価値を分かってくれる人が年々、減っています。地張りの需要も減ってて、時代によって求められるものが変わっていることを感じます。
技術も上がってきてるのに、時代に合ってないから需要が減っている。でも1本1本手仕事でやると丈夫さも違うし、そこを消費者にも分かってほしい。形が残っているというのは、やっぱり価値があるからやと思うんで。


職人interview
#09
美濃利商店
栁瀬憲利

文:
溝辺千花(空間デザインコース)

美濃利柳瀬商店HP:
https://kyo-chouchin.com

職人interview
#09


京提灯|提灯屋は今の電気屋

KYOTO T5から発売した「CHOCHIN CAP」を共同開発してくださった京提灯の老舗問屋・美濃利 6代目 栁瀬 憲利さんにお話を伺いました。
戦前、日本では電気ではなく、提灯が生活の灯りでした。京都には元々何百件と提灯屋があり、今でも祇園の街を照らしています。
素材の質の保持や入手の困難が高まり、材料屋や提灯の職人が減っている中、美濃利さんは素材へのこだわりが強く技の継承をとても大事にされています。