職人interview
#21


表具|01|私ら表具屋の名前は残らない

創業84年『清光堂』岡崎 昭さんのお話。
様々な和紙、道具を使い分け 布や紙を張ることで、絵を掛軸や屏風に仕立てる表具師。古くから残る表具の修復も手がけます。紙を張るスペシャリストで、貼り合わせた紙と紙のつなぎ目が全くわかりません。生活様式の変化で変わる、芸術品と建築物の関係や“一流のもの”についてお話ししていただきました。

私ら表具屋の名前は残らない

──どういったものを “表具” と呼びますか。

絵を掛け軸に仕立てることを表具とも言いますし、掛け軸自体のことも表具っていうんです。

──表具師はどういった仕事をされていますか。

表具師は、絵師が描いた絵を掛け軸に仕立てるのですが、大事なんは “薄い” こと。紙も薄くないとダメです。厚い紙は表具にならない。薄い紙で、なおかつ色を塗った部分は、なるたけ厚みの差が出ないようにしないとそこが折れますねん。薄塗り、厚塗りの差のところが折れるんです。
それが、かなんのです。私たち表具師が一番苦労するところです。

──絵の具の材料は何ですか。

鉱物です。青とか緑はラピスラズリ、朱は水銀からとったものを。
やから体には良くないですね。白は貝殻や牡蠣から作ります。絵の具自体は昔から鉱物で作られていて、それを膠(ニカワ)で定着させていたんです。それが何十年も経つと、ひび割れてくる。
和紙選びも大事です。安くてしょうもない和紙は怖いです。膠が剥がれやすいから。掛け軸にする絵は薄い紙に描いてもらいます。絵を描く紙を絵師が選んで、絵の裏打ちする紙を表具師が選びます。

──和紙はどのように選ばれていますか。

まず最初の裏打ちは岐阜の美濃紙を使います。2回目と3回目の裏打ちは奈良の吉野で作られる美栖紙や宇陀紙という和紙を使います。作業の簡単なもので 3回。難しいもので4回、5回裏打ちをします。
美濃紙、美栖紙、宇陀紙。この3種類の和紙は特徴がそれぞれ、全く違います。和紙の繊維は同じですが、手漉きする材料が違います。なぜ3種類の和紙を使い分けるのかというと、1回目の裏打ちを肌裏と言って、美濃紙は「肌着」の役割があります。
そして、使う和紙や裂によって腰が違ってくるので、それを合わせて調整するのが美栖紙や宇陀紙の役目なんです。

和紙を染めることもあります。そのままの色だと白いので、時代をつけるんです。
絵を預かった時点で完成像を頭で作ります。それで「この絵ならこの裂がいいやろなぁ」とか考えて。一つの表具ができるまで、色んな手間かかるんですけど、私ら表具屋の名前は残らないんです。残るのは絵師の名前。
やからそれより目立ってはダメです。

どこまでいっても表具は作品を引き立てるものやから。
そう思ってるんだけども、今の若い人はそう割り切れへんみたいね。自分が先に出てしまうんです。表具の職人の名前はいつの時代でも残ってない。表具が完成した時は、どれだけ作品を引き立てることができたかを見ています。「上手くいった!」て思うのは稀にしかないんやけどね。

──材料は他県なのに、なぜ京都に拠点を置くのですか。

京都は天皇がいて、都があったので全ての技術が残っているんですよ。一流の文化財が多く残っているから、それを手がける技も職人も残っている。
京都のおかげですね。表具の場合でも、東京は人口が多いけど、表具屋はあまりいない。全部京都に修理なんかが来ます。


器用な人間は、かえってダメ

──昭さんが表具の仕事を始めたきっかけは何ですか。

兄がとても器用で継ぐもんやおもてましたから、こうなる(自分が継ぐ)とは夢にも思っていなかった。
私は不器用で大学も経済学部。卒業後は、サラリーマンになろうと考えていました。
一方、兄は継ぐつもりやったんで、絵が描けた方がええやろと美大に行って、するとそのまま絵の方に進んだんです。
兄から「(表具は)お前がやれ。」と。ちょうど私は成績も悪かったし、勤めるよりええかってなって継ぐことを決意しました。

──大学卒業してからのスタートだったのですね。

私はとても不器用だったんですけど、今では不器用で良かったんかんなぁとも思います。不器用な人に比べて、 器用な人間は、かえってダメなんですよ。考えないから。「器用な人間に負けるかぁ」ってひたすら考えた。
そこで差が出るんですよね。

──技はお父様のものを見よう見まねですか。

そうです。
子どもの頃から父の仕事を見ていたことが、ハンディキャップとして大きいと感じました。けど昔の職人だから教えてくれない。最初は何もさせてくれません。のり炊き(表具に使うのりの製作)や拭き掃除等の下仕事を親父の傍でやりながら、技を盗み見るんです。

これが昔の徒弟制度じゃないかな。今は褒めて伸ばす時代ですが、そんなこと僕らは絶対ありえへん。
うちは倅が後を継ぐんですけどね。息子は今43歳で、15年ほど余所に修行に出てました。親父も倅も京都の岡墨光堂で修行してたんです。

「火事太り」って言葉があるでしょ?親父が行ってた頃に岡光墨堂が火事にあったんですけど、火事が起こったために以前より商売が盛大になったという意味です。たち吉という陶器屋さんが四条の富小路の角にあって、そこも火事になったためにかえって大きくなったんです。
親父は小学校を出てすぐ修行に出ました。表具の世界では10年修行を積んで、10年経って(暖簾分けで)暖簾をもらうんです。屋号ももらって。そして一年間お礼奉公して、それから独立。

──生活様式の変化で、表具と人々の生活との繋がりがなくなってきていますが、変わりゆく時代の中でどう対応されますか。

それを考えるのは、次の世代やと思うんです。私らの頭ではもう考えられませんね。
今の若い人たちはオーソドックスを極めようという気はないわね。極めずに新しいものに飛びつく。けど、「かえってそれがいいんかもなぁ」という感じがするんです。そこらへんが難しい。

今、京都には紛い物が多いでしょ。せやからいかにそれらを排除するかやね。あれを普通やと思うてるんは大きな間違い。そこらへんを改革するのは難しいやろなあと思います。


職人interview
#21
岡崎清光堂
岡崎昭

文:
溝辺千花(空間デザインコース)

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表具|01|私ら表具屋の名前は残らない

創業84年『清光堂』岡崎 昭さんのお話。
様々な和紙、道具を使い分け 布や紙を張ることで、絵を掛軸や屏風に仕立てる表具師。古くから残る表具の修復も手がけます。紙を張るスペシャリストで、貼り合わせた紙と紙のつなぎ目が全くわかりません。生活様式の変化で変わる、芸術品と建築物の関係や“一流のもの”についてお話ししていただきました。