わたしらは職人やからものにしていく
──『菊之好』さんとは、どういったお仕事の流れですか。
菊之好さんは大阪で一番やと思う。
僕んとこは昔から受注生産で問屋さんがいて、仕事になるんです。僕らから作って売るっていうのはしていない。問屋さんが生地をもって来る。洋服の生地や、帯の生地やらビニールの生地まで様々。他にも象の皮、鮫の皮、エイの皮、みの虫の皮。ええもん持ってきはる。
僕が一番驚いたのは、ピューマという動物がいてその毛皮ごと持ってきはった。
普通の鼻緒では考えられへんものを、あそこの奥さんは考える。「これはできんか、これはできんか」って持ってきはる。変わったもんや、ええもんがあるのは菊之好さんやねぇ。最近洋服の生地から鼻緒にする注文が良く来る。生地にビーズが刺さっているものも鼻緒にできる。「こんなん鼻緒にできんのん?」って生地を見て言われるけど、わたしらは職人やからものにしていく。
品物によって布の裁断する部位を変えて、加工(裏地をつける作業)したりする。
鼻緒の部位ごと一つ一つの工程は専門の人がいて、何人もの人の手が加わっている。ほんてん(鼻緒の裏地)は長浜で。ひもは日本で栃木県に一軒しかない。手で編んでいる。鼻緒の中に入っている紙も専門であるけど、需要ががくんと減ってきているから店を閉めるところが増えてきてて、ストックしとかないけない。
──以前、草履の職人さんに「京都には鼻緒を作る職人さんが昔からいない」と聞きました。
いない。鼻緒は内職で分業やもん。作ってるのは、ほとんどが東京と大阪やね。
東京の浅草近くにある花川戸というところが一番多い。鼻緒の生地は京都からもきている。西陣とかね。
昔から京都では履物を作らない。 着物は京都が西陣を先頭にあるやろ。今は帯とかの付属品とかとセットで売ってるところがほとんどやけど、昔は全部(着物、帯、帯留めと売り場が)別。草履は大阪がほとんど。
京都は御所があった関係で「仕上げる」職人のいる町やねん。草履は分業やからね、台にしろ、鼻緒にしろ。
──昔は嫁入り道具で着物をもたせてもらっていたというお話も聞きました。
そうそう。春はこれ着て、冬はこれ着て、というのがあった。
着物をようけ持っていると言われているのが京都。その次が金沢。京都が10枚持っていたら金沢は8枚持っている。金沢には独特の友禅がある。 藍染は四国が強いね。体にも良くて、虫予防にもなる。着物は地域性が出て面白い。
──昔は日常的に着物を着ている人がほとんどでしたが、今は着物離れが進んでいますね。
そら着物高いしねぇ。
でも最近、成人式でも着る人ようけいるなぁ。男でも羽織やら、袴やら。レンタルやろうけど、若い子が着るのは嬉しいね。
着物も昔は手で縫うてたんやけど、だんだんミシンで縫うようになってきた。浴衣もほとんどミシン。着物をレンタルするということは、下駄や草履なんかもレンタルしはるでしょ。レンタルは何回か履いたら、処分される。新しく、新しく、その季節によって回されている。
“もの”というのはお金が必ずついて来る。若い人は使い方をしらない。
人が使わないと、材料も作る人も減って滅びていく。悪循環やなぁ。
──川口さんにとって、鼻緒の魅力とは。
うーん…。
自分が生活するための仕事やと思ってるからなぁ。どの職人もそうで、この仕事には定年がない。仕事の期日はあるけれども、生活にゆとりがあって楽しみながらできる。
──職人さんは24時間お仕事されていますもんね。
そんなんはあかん!!24時間も働いてたら身体を壊す!(笑)
──頭の中でですよ(笑)
そういうことね(笑)
サラリーマンもやろうけど、今日の仕事を終えても明日の仕事の段取りまで頭の中に置いとかないといけない。明日は、一週間後には、1ヶ月後には、 というのを常に頭の中に。手仕事の良さはそういうことができる。自分らの頭を使って、自分らの手で作る。生き様があるね。それが強みかなと思う。手仕事は手を休められない。
僕ね、一度病気になってんよ。保証できひん。世の中いろんなことが起きるからな。
──日々、大事されていることはなんですか。
“溜める”ということ。
若い時は暇になると、遊びたくなる。暇な時にせなあかんことを忘れてしまうんよね。暇な時こそ、溜めていた雑用やったり嫌な仕事をしっかり終えること。溜めて、効率よくこなす。忙しい時に大事な仕事を逃さんようにね。京都の機織り屋さんもそうやと思おう。色の配色なんやら、一年中その仕事を頭の中に置いてると思う。私らも、みんな。
職人interview
#24
川口商店
川口晃弘
文:
溝辺千花(空間デザインコース)
川口水萌(ビジュアルコミュニケーションデザインコース)
大阪 西成区にある創業60年の『川口商店』は大阪 草履の老舗 『菊之好』お抱えの職人さん。川口商店では工程の全てが手仕事。針を使う細かい仕事は女性が、木槌を使って鼻緒をならす仕事を男性が。工程が多く、昔から鼻緒の仕事は夫婦で行われていました。
三世代に渡り分業制で鼻緒をつくりあげており、一代目が一度、病で倒れた時に家族全員の支えがあったからこそ、今も続いています。手仕事への姿勢、時代で変わる鼻緒の魅力について教えていただきました。