「残った歴史」の実証
──大きい仏像は、一本の木で作られるんでしょうか。
作り方としては、「寄木づくり」と「一木づくり」っていうのがあります。一木づくりっていうのは、一本の木で作られているもの。下の年輪を見てもらうと、ドーナツみたいなものが見えるでしょ。じゃあこういう大きい木が、たくさんあるかっていうところですよね。
逆にいうと、こういう大きさの木があったから彫れたっていうことです。年輪を見ると割れていたりもします。木は割れるものですから、仕方ない。だけど割れている真ん中っていうのは、木の芯の部分。木は育つとき、真ん中から水を吸う、外側は日を浴びてる。だから真ん中の部分は一番濡れているわけです。その分柔らかいから割れてしまうんです。
昔の人たちが何メートルもの大きいものを作るにはどうしたらいいかって、木を寄せていかないといけない。これが寄せ木づくり。だから芯をあまり使わないように、芯去り材っていうところを組んで、割れを防いでいるんです。
仏像は結構中が空洞になってるんですよ。なんで空洞になってるかっていうのは、さっきも言ったような「外側と内側の乾燥の比率」を揃えるため。これで割れるのを防げるんです。
でもこの作り方っていうのは、今、現代の僕らが考え出したわけではないんです。この作り方が完成されたのは、宇治の平等院鳳凰堂の阿弥陀さん。一畳六尺の大きさ。それが本来の阿弥陀さんの姿の大きさって言われてるんです。今で考えると、3Dプリンターとかいろんな素材のものがあると思うんやけど、そこにはまだ「作り方」の実証はあるけど、「残った歴史」の実証はないでしょ。
だけど昔に考えられた方法で、今も残ってるじゃないですか。結構、伝統工芸っていうものに携わる人の答えって、出来上がったときじゃなくて、「その後」のことも入ってるんじゃないかなって。だから最近、自分たちの中での出来上がったものの過程、ストーリーにやっと着眼点がついてきたんだな、と僕らは思っていて。「出来上がったもの」の評価はすごくつくけど、そのあとの評価っていうのはなかなかつかないっていうのが今までの傾向だったかな、と。
「どれだけ早く、どれだけ安く、どれだけ大量生産できるか。」そういうところばかり評価されていたけど、その着眼されていたところが変わってきたように感じます。
手が掛かる、時間がかかるっていうことは、いわば「コスト」がかかるっていうこと。例えば、職人さんが丸々1ヶ月かかる仕事。これを安い価格で販売できるか?っていうところ。値段にはその理由がある。だけど今は、経済がそれに追いついていないのが現状ですよね。だけど昔は、それにちゃんとした価値、評価がついてたんです。商いの方と職人さんの通関関係がすごく成り立っていたのかな、と思っています。
技術自体は変わっていない
──昔からの技術が現代でも生きているんですね。
全部が全部、作ってるものがいいわけではないです。今後長く持っていくには、今のものも使っていったほうがいいと思う部分もあります。
例えば、私たちが使ってるもので言ったら、ボンド。ボンドって、いろんな種類がありますよね。一度くっつけたら何しても離れないものなんかは、剥がそうと思ったら周りが割れてくるくらいのものもあります。逆に融点がすごく低いボンドだと、60℃くらいで溶けてくる。つまり直射日光が当たると、柔軟性ができて割れない。
昔のボンドに代わるものって、何だったか知ってますか?一番多く使われていたのは「膠 (にかわ)」なんです。膠って何かって言ったら、動物の髄 (ずい) の部分を溶かしたもの。膠って、漆を塗る前の下地だったり、絵の具の中に入っていたり。いろんなものに使われていたんですよ。これをボンドとして使っていたわけです。だけど、素材は動物の髄ですから…… 虫が食べに来よるんです。
結局私たちが修理するとき、虫食いが多いのは接着されている部分。これは僕らの見解やけど、昔は木工用ボンドがなかったから膠を使っていたわけで、膠はいろんなものにも使えるから、周りを見たらすぐに手に取れた素材だった。
それが何百年後に修理した私たちは、「膠って本当にいいんか?」っていう疑問が浮かぶわけです。「昔からのやり方だから」膠で作り続けるのか、っていう部分ですよね。
──使うもの一つにとっても、いろんな着目点があるんですね。
そう。こんなに技術も発達してるからね。例えばですけど、今仕事をしたり、学生なんかは勉強をする。そのとき、当たり前のようにライトをつけてるじゃないですか。昔の人は日が登ってる間しか作業はできなかったわけで。そんな環境下の中で、今残ってるものたちが作られているんです。
昔はお寺を作りましょう、って言っても、今みたいにクレーン車なんてないわけです。全部人の力でできてるんですよ。そういうこと考えながら、お寺の梁を見てみたらもっと感じる部分ってあると思うんです。そういう評価ってすごく大切だと思ってる。今はもうつかないですから。
──「文化を残す」という部分は、お弟子さんをとる考え方にも繋がるのでしょうか。
そうですね。古く続いたところがいいのか、っていうところ。一概に全てそうとは言えないかなと思っています。僕が今40代になって、どう安定性を持たせていくか、っていう部分に差し掛かっているからだけど、20代、30代のころなんかは、「もっと新しいものを発信しよう」っていうことがモチベーションにあったんです。
そのとき感じていたのは、「安定を考えたら右肩には上がらない」こと。だけどそのキープされた10の技術を、知らない間に先々代が9にしていたら。それを当たり前に10として繋げて、その方式がずっと気づかれずに続いていたら、「これが最高のものです」ってパッと出された時に「これ本当にええか?!」ってなる。
でも、一つの経歴の長さが付加価値としてついてしまっている。だけど正解なんてわからないじゃないですか。経営者の目線で考えたら、「10代まで続けること」っていうんは、そんじゃそこらの並大抵な努力じゃ続かないでしょ。その評価は絶対にある。そこに技術がしっかりついているところもあるんです。すごいですよね。ただただ「継いだから」ってわけではないんです。
だけどそこの技術の判断材料って何になるんだろうか、というところ。人が言うから流されるのか、どうなのか。僕は、個人がどれだけ見てきたか、勉強してきたか、っていうレベルだと思ってます。
──京都ってどんな街?
一つには「ものづくりのまち」。海外に行って、どこからいらっしゃったんですかって聞かれた時に、日本って答えるまえに、京都、って言っちゃうねん。それが通じる。
だけど、その「京都」っていう看板ができてきた歴史を、自分たちはもう少し学ぶ必要があるな、と思うね。揺るがない歴史があるからこそ、その重さをどこで知るべきか、この部分の模索はしなくちゃいけないな、と思うよ。
なんでかっていうと、「京都でやったら完璧や」って、“外のものを見ない人” がいる。だからこそ、「京都の工芸品」ではなくて「日本の工芸品」って言うべきやと思ってる。
職人interview
#48
冨田工藝
冨田睦海
文:
川口水萌(ビジュアルコミュニケーションデザインコース)
撮影:
中田挙太
冨田工藝HP:
https://tomita-k.jp
お兄さんの珠雲さんが仏像を担当し、弟の睦海さんが仏具を担当されています。
今回は「参られる人たちが手を合わすもの」を形作る
冨田工藝 冨田睦海さんに、手仕事ならではの魅力を教えていただきました。