職人interview
#71


京蝋燭|癒しの炎

京都で140年、自然由来の方法で、和蝋燭をつくり続ける「中村ローソク」さんに行ってきました。
お店に入ると、和蝋燭特有の落ち着いた香りが広がります。
室町時代から愛される、和蝋燭の魅力を伺いました。

癒しの炎

──お店の名前の由来を教えてください。

中村ローソクって由来は、うちの奥さんの実家が中村さんやって。それがずっと続いてるっていう。

──今はお店ができて何年目ですか?

中村ローソクになってからもう、140年くらいたったんちゃうかな。私で4代目になるんかな。その前も7代、京都で蝋燭屋やってて。その本家が辞めちゃって、分家としてやってるんで。実際、京都で和蝋燭を昔からだと11代作ってる。

──作り方は、本家のところから受け継いでるんですか?

そう。まあまあ、少しずつは変わってるけどね。

──素材について、教えてください。

はぜの実から、蝋の成分が取れます。
はぜの実は主に、和歌山県や九州から取れます。実の皮と種の間に蝋の成分があり、これをすりつぶして、粉にします。この粉をまた蒸して、圧力をかけて絞ったら、蝋ができます。絞りカスの方は、農作物の肥料に使われたりもします。
はぜ自体がなかなか貴重なものになってきているので、最近は、こちらの米ぬかから取れる蝋なども使います。

──素材は変化してるんですか?

もともと素材はね、はぜ蝋だけでやってたんやけど、そのはぜ蝋が取れなくなってきたんですよ。
気候の変動とかでね。一番の原因は、雲仙普賢岳っていう山で噴火があったこと。島原が一大産地やってんけど、大打撃受けて山ごと流れたのでもう木は再生しない。再生するにもまた何年もかかる。
でも、毎年法要はあるから、作らないかんくて。そこで和蝋燭屋が、それこそ今で言うパラフィンの蝋燭で作ったりとか。いろんな、他の蝋でつくったりとかしたんです。うちは、あるだけのはぜは本山に入れて。それ以外は、今使ってる米ぬかの蝋とかでやるように。それから、米ぬかを使うようになったかな。

和蝋燭はこういった太めの芯になってます。イグサを裂くと出てくるスポンジ状の繊維を和紙に巻き付けて、真綿で絞めたものが入ってます。それに蝋を浸してから、和蝋燭の型に入れて、流し込みます。

──イグサなんですね。

そうなんですよ。なので、全て植物性で。流煙が少ないので、お仏壇とかお部屋を汚しづらいのが特徴です。炎の色もとても温かみのあるオレンジ色なので癒しの炎とも言われています。


すばやく丁寧に

はぜの蝋は、緑がかった色をしています。これをまた溶かすと黒っぽくなります。米ぬか蝋は、固まると黄色っぽい色になります。
蝋燭の大きさによっていろんな型がありまして。小さいものは、一度にたくさん作れるようになっています。型は蝋を取りやすくするために、水に浸してあります。乾くと変形して蝋燭の形も変わってしまうので。

──この型を作る職人さんがいるんですか。

そうですね。もともとは、船大工さんに作ってもらってたらしいです。今は修理しながら使っています。

──型はどれくらい使い続けてるんですか。

5年ほどのものから20年ほど使い続けているものまであります。使う回数によってぜんぜん違いますね。

──固まっている時と溶けてる時で、蝋の色がぜんぜん違いますね。

そうですね。これもまた固まったら、黄色っぽくなります。蝋燭ができたら、蝋に顔料を混ぜたものを掛けて仕上げていきます。

──1本作るのにどれくらい時間がかかるんですか?

大きいやつは1日に1本しかできひんかったりするし。小さいやつやったら、1日に何千本と作ったりもする。それはもう価格にも反映されるので。

──季節によって、作り方を変えてたりするんですか?

昔はね、夏の昼間は仕事しない。冬は昼しか仕事しないっていうのが、蝋燭屋の常識やったんやけど、今はエアコンがあるんで。逆に言うと、年がら年中、温度が調整できますよね。ほんで、水の温度も氷を利用したりとか、湯を炊いたりとか、水温調整もできる。基本、1年中作れんことはない。でも、作りやすいので言うと、秋と春が作りやすい。当然、冬は早く固まるし、夏はなかなか固まらへんし。それは、なんぼエアコンかけててもなりよるから。

──蝋燭の溶ける温度って何度なんですか?

米ぬかは70度〜80度くらい。はぜ蝋は、60度前後。だから、はぜ蝋は手で塗っていく。

──どれくらいで、固まるんですか?

固まるのは、すぐですよ。蝋が固まるのと同じスピードで固まる。

──中の白い部分も蝋燭で、外も蝋だと溶けないんですか?

いやあ、熱かったら溶ける。当然、熱ければ溶けよるし、同じ場所に蝋をつけてたら溶けよる。だから、一瞬でかけてしまわないと。スピードというのは、考えてやらないと。

──和蝋燭の形はなんでこの形なんですか?

和蝋燭の碇型っていうのは、説がありすぎて。なんでなのか分からんのです。
でも宗教的なもので。浄土宗、浄土真宗の方が使います。真っ直ぐなやつ、というかほんとは下の方がちょっと太いんやけど。それは、また宗派が別で。引力で蝋がたれてくるから下が太くなるんやけど。


絵付けの今と昔

──蝋燭に絵付をされてると思うんですけど、あの色も全部蝋の色ですか?

いや、あれはアクリル絵の具。

──蝋燭にアクリル絵の具って定着するんですね。

うん。定着する。もちろん、天然ののりも使うけども。定着剤としてね。

──この赤色はなんの色なんですか?

これは、洋朱っていう顔料です。染料だと酸化して変色しちゃうんで、基本顔料を使います。

──絵付は毎年デザインを考えてるんですか?

毎年変えるというよりも、決まったフォーマットのものがあって、それ以外をオーダー品でやったりとか、その時期ごとで描いたりとか、そういうことはする。

──それも職人さんひとりでやってるんですか?

彼女らが描いてます。京都に彼女ともう一人。その二人しかいないです。京都の場合は、絵師のグループがあって。それはもう昔からずっとそうなんやけども。その絵を描く団体に注文が入って、そこから着物の絵、団扇の絵、扇子の絵とか分けてたんですよ。その中の一つに和蝋燭の絵師っていうのがいただけで。だから、専門家というのは、東北のほうにいる。東北のほうが絵蝋燭を昔からやっているので。京都には和蝋燭に絵付けする文化って無かったんですよ。できたのは昭和なんで。絵蝋燭の歴史としては、めちゃくちゃ浅い。
和蝋燭としての歴史は室町時代からあります。絵を描くっていう文化は、会津若松がはじまりですね。

──絵付けをされている若い方も和蝋燭に興味をもって入られたんですか?

そうですね、正直、和蝋燭っていうものは知らなかったですね。当時は。
就職活動というか、してる時に、学校で初めて和蝋燭を教えてもらって。絵が描きたくて、もともと美術系の大学だったので。それがはじまりですね。

──どんなふうに技術を受け継いできたんですか?

僕の場合は奥さんの実家なんで、奥さんのお父さんに聞かないといけなかったから。すでにもう結婚してた状態で、たまたま先代が倒れて、手伝ったというのがはじまり。

──もともと他のお仕事をされてたんですか?

そうですね。サラリーマンしてました。

──道具とかも年季が入ってますね。

こういう杓とかね。こういうのを作ってくれるとこがもうないんでね。
普通の杓ってあるんやけど、かけにくいし。実際に、こうやって、道具作る人もいない。全国でも蝋燭屋って10件くらいしかないのに、その道具屋ってあるわけない。結局、自分とこで直さなあかんようになってきて。だから、伝統産業で一番厳しいのは、その材料であったりとか道具であったりとか。

──道具は今、どうしてるんですか?

もう、自分で作ったりしてますよ。こういうものやったら、同じ伝統工芸してる人に頼んだりとか。だから、本業じゃない人に作ってもらってます。


伝えていかないかんと思って

──和蝋燭はどういった場所で使われてるんですか?

一番大きいところだと、各本山かな。
僕らがお寺とかで使ってもらってるのは、指定の和蝋燭を使いましょうっていう書物があって。だから大きい本山とかに使ってもらうことが多い。でも個人でやってるお寺とかは洋蝋燭使っちゃうんですよ。和蝋燭って洗う時に煤払いができるから、洗剤を使わなくていいですね。
洗剤使うと金箔とか絵とか全部剥がれちゃうので。
すると何十年後かに、洗剤で洗わんといかんとなる。だから、文化財の修復をしないといけない。
洗剤で洗うから、隙間に虫が入ったりとかしちゃうんでね。
室町とかもっと前300年とか保ってたのがここ何十年で潰れてるんやから、なんでそこに理由があるのに気づかへんのやろと思うんですよ。
和蝋燭ってお湯につけると溶けるから、木を痛めない。そこに気づかずに、40億とかかけて修復するんですよ。単純なことなんやけど、気づかれてない。
お寺で普通に洋蝋燭が使われてても、誰もおかしいと思わない。別にそれがダメとは言わない。けど、その結果何年後かに何億とお金がかかることがわかってるならいいんやけどね。

──和蝋燭について自分から発信される上で、意識していることはありますか?

僕もよくメディアとかに出るようにしてるけど、そのもともとのきっかけは、東京の老舗と呼ばれるとこで、和蝋燭置いてあったから、見にいったことです。
そしたら、そこで和蝋燭もどきみたいなものを、そこの店長の方が一生懸命売ってはるんですよ。
和蝋燭って言ったら持ってきてくれて。京都から仕入れてるんですっておっしゃって売ってはるんです。僕が和蝋燭ってこんなんですよと言ったら、うちは京都のどこどこで仕入れてます!と。教えてあげたかったけど、あまりにも一生懸命すぎて言えなかった。
これはもう客観的に知らせなあかんと思って、メディアとかに出るようになった。それまでは、知ってるもんやと思ってたから。
これは、伝えていかないかんと思って。

──比較対象がないと知らないですもんね。それが当たり前になって、疑問にも思わなくなってるんでしょうね。

うん。ほんとにそうなんよ。
最近だと、能の舞台とかでもスポットライト当ててるじゃないですか。演者が一生懸命顔を上下させて表情をつくったりしてるのも、スポットライトだと誰も気づかない。その着てる物とか音とかに反応するだけで。そうなると、その技術も無くなるじゃないですか。だから、僕は今後日本はその文化発信をいかにするのかが大事だと思ってて。
僕らはいかに発信できるかとか伝えられるかとか考えないと。
仕事しながらでも時間作るのは、話を聞いてくれている人達が僕の話すことを知ってくれて、周りの人が知らないことって、人に言いたくなる。そしたら広まる。その中に、なんとかしたいとか、なんでこんな環境なんやろと見えてくる。そしたら、動く人も出てくるやろうし。
そういうことが当たり前にわかる若い子が増えてこないといけないと僕は思う。残していきたいからね。


そこかしこに和蝋燭

──今後の展望はありますか?

理想はねぇ、日本各県に和蝋燭屋ができることが僕の夢。
そうしたら、材料も安定してくるやろうし、道具作ってくれる人も出てくるやろうし。よく、他が辞めたら仕事が増えると思ってるおっちゃん多いけど、分母が減るだけやでと。相対的に使う人が減るだけやと思う。
今、使ってくれてる人も、もう高齢やから。その人たちが亡くなるのがいちばん怖い。それだけユーザーが減るいうことやから。

──伝統文化について、今より当たり前に知ってもらえるといいですね。

そういうことをいろいろ知ってもらえたら、嬉しいし、そこを大事にしないと、次の世代、次の世代
が間違った物が当たり前になってくるから。それが怖い。
だから、伝統工芸を教える科目があったらいいのにねぇ。
将軍の名前を覚えるよりも、日本にはいいものがいっぱいあるんやから。面白いことを起こしてく
ださい。
期待してます。


職人interview
#71
中村ローソク
田川広一

文:
則包怜音(油画コース)

撮影:
溝部千花

中村ローソク HP:
https://www.kyorousoku.jp

職人interview
#71


京蝋燭|癒しの炎

京都で140年、自然由来の方法で、和蝋燭をつくり続ける「中村ローソク」さんに行ってきました。
お店に入ると、和蝋燭特有の落ち着いた香りが広がります。
室町時代から愛される、和蝋燭の魅力を伺いました。