職人interview
#75


染色加工|01|染めの可能性

京友禅の流れを汲んだ手描き染めの技法で、オリジナルテキスタイルを生み出し続けているアート・ユニ。
創業者、そして今なお現役の西田清さんは、ずっとお一人で染めと向き合ってきました。そんな職人の姿に惹かれて弟子入りした越本大達さん。
今回は西田さんに、オリジナルの染めを始めた原点をお伺いしました。

0からはじめた染めの世界

──染めの世界に入られたきっかけを教えて下さい。

当時、大学を半年で中退してアルバイトみたいなことをやってた。その時に手描き染めを製造販売している会社を新聞広告で見て面白いなっていう感じで就職して、そこに入ったのが20歳ぐらい。それが染めの世界へ入ったきっかけかな。
2階建てのちっさい会社で1階が営業部、2階で手描き。僕は営業の方で入ったから、商品をバッグに詰めて車で回ってた。会社も1年目2年目とそれなりに儲かってたよ。ところが3年目ぐらいからちょっと雲行きがおかしくなってきた。4年目で給料が時配になるし、もちろんボーナスなんてないし。僕も結婚してたから、これではちょっとやばいなと思うようになって。5年目で潰れたんやけど、その半年ぐらい前に僕は辞めたな。

──そこから独立したんですか?

そう。
手描きできる女の子を何人か引っ張ってきて、柄描いてもらって、僕が染めた生地を売りに行こうと思って始めたの。半年ぐらいその体制でやったけども、営業の方で資金的なものとか色々あってそれを辞めた。生地を売るとなると白生地を買ってきて、染めて、小売屋さんに行ってとやっていると半年ぐらいかかるからなぁ。工場やったら加工して問屋さんに卸すだけでいいから、染めたらすぐにお金になると思って、工場一本にしたね。工場一本にして、だんだん忙しくなってきて、最初に雇っていた2人だと足りんから、よその手描きやっているところから女の子5人を引き抜いて来たんよ。そこから順調に1年ぐらいやってたかな。でも結局またその子らも引き抜かれてしもて。

──従業員がドカッといなくなっちゃったんですね。

うん。これは困ったなと思って。
残った2人ではどうしようもなかったから、僕は営業だけしかしてなかったんやけど、その時に初めて筆を持って手描きをし始めたんよ。
ただ、当時もの凄く良かったのはこういう手描き染めが世の中そんなに出てなかったこと。普通のプリントでもそうやけども、色が付いてたら売れたんよ。今みたいに細かい指示じゃなくて、在庫にブルー系統が少ないし、ブルー系統で染めておいてとか。そんな感じやったから。自由にやれた。
僕みたいに手描きやったことない人間でも、注文を取れたからね。その辺がスタートかな。やっているうちに気づけば、50年経ってしまったけどな。

──独立した時、アートユニっていう名前にしたのはなぜですか?

最初にいた会社の名前がね、ユニオン商事っていう名前で。辞めて染め屋になった時にユニだけもらって。手描きやからアート・ユニにしようと思って。もう単純にそれだけ。プリントではなくて、ほんまのフリーハンドの手描きやから。アート・ユニっていう名前はそこでつけたわけ。普通は⻄田やから⻄田染工とかそんな感じやろけども。50年前にアートってつけてたもん。カッコ良かったよ。
ほとんど漢字の名前ばっかりやったから。染め屋さんでそんな会社なかったな。


試行錯誤の繰り返し

──当時西田さんが新しい技術を取り入れようと思った理由やきっかけを教えてください。

ファッションの世界って、毎シーズン同じものでは売れへんやんか。今年売れたら、基本的に次のシーズン絶対売れへんわな。次から次へとやっていかな。
染料屋さんと仲良くしてるから、何か面白い材料はないかとか言って昔は使ってたんやけど、新しい染料も尽きてきて。その時にそこらへんにあるものを見渡して、これ使って作ったら面白いんじゃないかとかそんなんで色々やりだしたんやね。常に新しい柄を考え続けないといけない。この世界は、常にそれやね。

──試行錯誤してて、行き詰まることはあるんですか?

そんなんしょっちゅうやで。
年に2回か3回かパリコレあるやんか。大きい展示会もあるし。
まとまった仕事を取ろうと思うと、そこで注文取らんことには仕事が入って来ないし。それに向かってずっと考えているんやろうな。
ハイブランドの会社やとおもしろいものないかなって、世界中探し回っとるやんか。その中で、そういうところにも負けない新しいテクニックとかを探していく。これはもうなかなか大変やで。なんやかんや続けられてはいるけど。

──企業さんとか工場さんごとで全然狙いとか、やってることって違うんですか?

それは工場さんの特徴が全部あるから。工場さんによってすみ分けているね。その特徴がなかったら生き残っていけへんね。この仕事やったら、あそこの工場は織りが上手やでとか。そんなふうにみんなすみ分けてるね。
それとやっぱり染工場によって配色をする人がいるから、カラーというのがあるわけよ。その染工場ごとに。あそこやったら、こういう配色上手やとか、あそこやったら若い子の配色が上手やとか。やっぱりそれが全部あるからね。なかなか1人の配色師でオールラウンドっていうのは難しい。

──初めは配色から染めまで全部一人でやられてたんですか。

そうやで。今でもそうやけど。一般の染工場さんやったら親方がおって配色は、配色師いう人がいはって。糊つくんのは糊作り。染料を作るのは染料作る職人さんがいるんやけど。うちの場合は配色師も糊作りも染料師もいない。いやそりゃ置いときたいよ?
けど今の業界の状態やとそんな余裕ないもん。だからそれ全部なしでひとりでやってるから、何とか回ってるだけで。加工場さんも必死なんよね。どこでもみんなやっぱり人はギリギリまで減らしてはるわ。昔やったら親方はぼーっとしとったけど、今はそんなことをしてる工場はいないんちゃうかな。親方が先頭に立って全部やってる。


手仕事だからこそ生まれる技法

──技法を生み出すときは、失敗からこれ面白いっていうのを引っ張ってくるんですか?

それが多いな。日曜日だとお客が誰も来いひんから時間がある。そういう時に考えてても、なんも出てけえへんな。今日は1日ゆっくりしようとぼーっとしてもあかんな。逆にバタバタしている時に、こういう狭いところで白生地張ってる時の方が浮かぶな。
適当に染料を作ったり、薬品を持ってきたりして遊んでいるわ。手を動かしてると出てきよるね。やから弓パッチン染めなんかでもそうや。最初から弓作ったわけやなし、最初はあの竹にもう素直に染料をつけて、これでポンポンしばいてたな。やってるうちにちょっと糸つけて弓にしたら面白いやないかいと。下でやっているすり剥がし染めもプリントやっていて染料が飛んでしまう。そういうのが結構ある。それを白い生地で拭いたりするやんか。広げると面白い柄になったりする。そんなもんやで自分の発想って。構えると出てきいひんって。

──でも全く同じただその作業をもうずっとやってたら失敗すらしなくなっちゃうんじゃないですか?

いやいや。そんなことないでうちらの仕事は。
ちょっとしたことで、やっぱり色が濃いとか薄いとかも出るし、柄描いた時のかすれ具合も変わりよるし。だけど、それはもう手描きの味で、世界に1点しかないものやね。プリントだと手描きみたいにいかへんからなぁ。今やっている墨流しなら、一着ずつ全部違う。

──安定してないからこそ、染めに味が出るんですね。

そうやな。特にお客さんが求めているのは、ほんまの完成品ではなくて、半分失敗作みたいなやつ。それで再現性があるやつ。そんなこと言って来はるよ。
そらきちんとしてるもんやったら、機械もあるし、なんぼでもできるやんか。でもあんなんでは味もないし。僕らからするとやっぱり色の深みとか味とか、やっぱり実際手でやったものとはインクジェットとは全然違う。手間でもそれが好きで入った世界やから、これからも失敗していくやろうなぁ。


職人interview
#75
アートユニ
西田清

文:
則包怜音(油画コース)
安彦美里(基礎美術コース)
伊賀春香(基礎美術コース)
中村珠希(基礎美術コース)
建木紫邑(クロステックデザインコース)

撮影:
豊田香鈴(基礎美術コース)

アートユニ HP:
https://www.kyoto-artuni.com

職人interview
#75


染色加工|01|染めの可能性

京友禅の流れを汲んだ手描き染めの技法で、オリジナルテキスタイルを生み出し続けているアート・ユニ。
創業者、そして今なお現役の西田清さんは、ずっとお一人で染めと向き合ってきました。そんな職人の姿に惹かれて弟子入りした越本大達さん。
今回は西田さんに、オリジナルの染めを始めた原点をお伺いしました。