1994年、市民が復活させた「柳井縞」。
──柳井縞(やないじま)の会がいつ発足したのか教えていただきたいです。
三浦さん:
柳井縞の会が創立されたのは1994年ですが、それより少し前に柳井市の近隣の地区で古い機織機が見つかったんですよ。
それが柳井市に寄贈されたことがきっかけで、もう一度柳井縞を復活させようという声が上がり、市の呼びかけで市民有志が会員となり柳井縞の会が立ち上がりました。
中田さん:
それが30年前ですね。
──その時に寄贈されたものがずっと保存されているのですか。
そうですね。2台あったものを2代目会長が修理し、その内の1台は柳井の伝統・文化を楽しむ施設「しらかべ学友館」に展示しています。
始めたきっかけは、織機を引き取ったこと
──三浦さんが柳井縞の会に入ろうと思われたきっかけを、教えていただきたいです。
三浦さん:
僕は元々織物とは関係なく広告関係の仕事をしていたんです。
かなり前の景気の良かったころ、知り合いのカメラマンが別荘を買ったんですが、そこに大きな織機を置かれていて。静かな自然の中で織物を織ろうかと思っていたんでしょうね。
でもほとんど織らないうちに景気が悪くなって、別荘を手放すことに。それで織機もどうにかしないといけなくなった。それで「三浦さん、引き取ってくんない?」と言われて、気軽に「OK」って言ったんです。でもその織機がとんでもなく大きい、もう一部屋占領するぐらいで。
廃棄するのも嫌だから、色々調べていたら「柳井縞」というのがあると。僕は柳井市に住んでいるにも関わらず、その時初めて柳井縞の存在を知ったんですよ。
で、それなら柳井縞の会に入れていただこうかなと。 私はまだまだひよっこで。会設立当初からの会員で、今も頑張っている方が何人もいらっしゃいます。
──面白いきっかけですね。会は女性の方が多いんですか。
中田さん:
そうですね。貴重な男性です。
三浦さん:
そうそう、だから機織運んだり、まあいろいろ力仕事もあるじゃないですか。そういう時が自分の出番なんですよ。
それからやっぱり時間的、経済的なゆとりがないと、なかなか機織りはやっていられない。
お金になる訳でもないですから。高齢の方が会員の中心になりがちで後継者育成、技の継承が一番の問題。なんとか若い人たちに参加していただきたいと思っています。
ただ嬉しいことに、ここ最近は30代、40代とか、若い人だと18歳で柳井縞を覚えたいと来られる方もいて、少し光が見えてきたなと思っています。
──ありがとうございます。中田さんはどういったきっかけで、柳井縞の会に参加されることになったのですか。
中田さん:
ここ「やない西蔵」は体験工房になっていて、柳井縞は機織りと染めを体験できます。
そして柳井縞の他にもう一つ、柳井の特産品である金魚提灯を作る体験ができて、私は最初そこに入っていたんです。金魚提灯作りの時に柳井でも機織りがあることに気がつきまして。
元来、手でものを作ることが好きで織り自体にも興味があったので、そこから会員になっています。今年で15年目くらいです。
柳井が山口県の染織の中心地だった。
──柳井縞は江戸の初期からの歴史があり、一度途絶えた後30年前に復活したということですが、復活する前の柳井縞の歴史について教えていただけますか。
三浦さん:
江戸時代に柳井は商船の行き来が盛んで、遠くは松前の方まで行っていたそうです。始めは自分で着るために柳井で生産する綿を使い、織物をしていました。
ですがその品質が認められて商品が多く船で出荷されるようになると、綿が足りなくなります。
出かけた先から綿を仕入れてくることで、柳井縞の規模がどんどん大きくなっていったようです。やっぱり商業の強い街だったので、体制が整い地場産業が出来やすかったんですね。
柳井では綿を取り寄せ、織り手の農家の人たちに渡して織ってもらう、綿替制度という生産方式を取り入れていたんです。それが、好循環になったようですね。
柳井縞と言いますが、近くにある周防大島(すおうおおしま)や近郊の町でも柳井縞は織られていました。ただ流通のことを考えると、川が近い柳井市は陸揚げが簡単にできるということで、綿織物などが柳井に集まって来たわけです。
そこから出荷された綿織物は全部「柳井縞」ということになったんだろうと思います。
柳井が山口県の中で、染めとか織に関しては、一時期中心的なところだったようです。 1900年初頭、柳井には山口県染色講習所という施設があって、織物・染物の研究などがされていました。それもあり県内でも柳井市は織物・染め物に関しては、一歩抜きん出た地域なのかなと。
出来る限り、自分たちの手で織る。
──織物の製造工程について、全部手織りと仰っていてすごく驚きました。ご自身で糸を染められ、その糸を使い機織で手織りをしているのですか。
中田さん:
そうですね。糸はこの工房で上手く色が出せない物もあるので、そういうものは購入しています。
藍染めも工房で出来ますが、すごく濃い藍染めの糸は購入して。購入した糸と自分達で草木染めした糸を混ぜながら、一つの反物(たんもの)にしていきます。
一から全て手作りでやるのはやっぱり限界がある。ただ出来る限りは自分たちだけでやっています。
三浦さん:
ちょっと渋みというか鈍い、違う色が混ざったりして落ち着いた色味が草木染めの特色なんですね。
だから、広島東洋カープとコラボした商品になると、「カープのあの赤を」と言われてもそれは無理ですから。それは購入した糸を使うことになりますよね。
──織りの工程の中で一番肝になる、というかハイライト的な工程はどのあたりなのでしょうか。
中田さん:
やっぱり糸通しの部分をきちんとしていないと、本当に基本の機織りにならないです。何年もやってきている人でも間違っている所が何箇所か出てくることもあるんですよ。だから、そこを間違えないようにする。
織るのは多分慣れればそこそこ出来ると思います。
それまでの、縦糸をセットしたりするのが難しいですね。
──この工房以外でも柳井縞を織られているところはあるのですか。
中田さん:
個人のお宅で織っていらっしゃる人は何人かいらっしゃいます。 私たちの工房は観光客の為の体験工房で、商業的に柳井縞を生産する工房は存在しないんですよ。
木綿は普段着。普段使いで消耗するもの、というのが逆に良いところ。
──柳井縞を三浦さん、中田さんが見た、織物の魅力や生地自体の魅力というのはどういったものがありますか。
中田さん:
反物で幅が限られているので、なんでも出来る訳じゃない。そこがすごく難しいところです。着物というのは反物で出来るのですが、洋服の場合は幅が大きいからどうしてもどこかを継がなければならなくなる。
例えば、よく「ネクタイにできますか」と聞かれるのですが、バイアスでとる(織り目に対して斜めに切る)ネクタイには幅が足りないのでお断りさせていただいているんです。ちょうど繋ぎ目が真ん中に来る位置になってしまうので。だから商品にするのも、ものが限られてしまうのは悩みですね。
三浦さん:
柳井縞は平織りと言って、2本の踏木(ふみぎ)を踏んで経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互浮き沈みさせて織る方法なんです。京都の織物みたいに、何本もの踏木を複雑に操作して織っている訳ではないのでシンプルなのですが、逆に言えばどんな色合いでもその人の自由にできる。
そういったところで縞というのは、シンプルであるからこそ面白いところもあるんじゃないかな。 あと木綿の柔らかさですよね。手触りがすごく優しいですし。
──会創立以前の柳井縞の布、製品などは今でも残っているのでしょうか。
中田さん:
昔のままの縞が今も残っている訳ではないと思うんです。実際古いものって、小物などの製品としてはあまり見ないですよね。
三浦さん:
そうですね。加工した製品としてはなかなか残っていないです。素材が素材ですし、木綿は普段着みたいな感じで着ていたのでしょうから。
普段使いで消耗するもの、というのが逆に良いところでもあると思います。 それと、見本帳にはちゃんと柄のサンプルが残っているんですよ。立派なものが。
こんなことにも使える、と新しい提案をいただいて、私たちの意識も変わっていっている。
──工程についてお聞きしたいのですが、織り上げた後、製品にするまでどういった工程をたどるのでしょうか。
中田さん:
特に難しくはないですが、着物の場合はやっぱり湯のし*が大事ですね。湯のしをて、着物に仕立ててもらいます。
小物などの他の商品はそこまで難しい工程はなく、織りあがった布をそのまま縫製などの専門の方に渡しています。ただ、なるべく捨てるところがないように気を付けています。
*湯のし:反物に蒸気を当て繊維を柔らかくして皺を伸ばし、反物幅を均等に揃えるための加工のこと。
三浦さん:
こんなものも使ったりしているんですよ。
(小さい端切れを見せていただく)
こういうものとか、端切れを使ってちょっと小さいものを、とにかく捨てない様に。
──ほんとにギリギリまで製品として使っているんですね。
中田さん:
そうですね。やっぱりあまり捨てることはできないですね。
貴重なものなので、できれば最後まで大事に使いたいと思っています。
──一つずつ手織りで織っていたら全部貴重なものですよね。
中田さん:
そうですね。
──今、柳井縞はどんな製品になることが多いんですか。
中田さん:
着物のための反物をメインとしたいところなのですが、売れ筋はコースターなどの小物が一番多いですね。
最近面白いなと思ったのが、お寺から注文がありまして。
お坊さんが首にかける輪袈裟(わげさ)というものがあるんですが、それを柳井縞で作ってみたいっていうお話があったんです。
それで木綿で輪袈裟を作った実績のある業者さんに依頼して製品にしていただきました。そうしたらそれが評判になったみたいで、今何件か予約をいただいています。
──柳井のお寺さんの口コミで広がっていったと。
中田さん:
そうですね。全て周辺のお寺さんです。
やはり地元のお寺さんに使ってもらうのは、本当にありがたいなと思っています。
三浦さん:
通常だったら金の刺繍の入ったものが多いので、縞模様なんて普通ないですよね。
中田さん:
そうですよね。果たして木綿で作れるのかとすごく心配したのですが、柳井縞の木綿でも大丈夫ですよ、ということでそちらの業者さんで仕立てていただいて。
だから縞の柄というよりも、素材が絹でないのはどうかと思っていたのですが、おかげさまで好評をいただいて。
──確かに木綿だと洗濯もできますしね。
中田さん:
そうですね。
三浦さん:
嬉しいですよね。こんなことにも使える、という新しい提案をしていただいて、私たちの意識も変わっていっていると思います。
テクノロジーの発展で、遠隔でお話ができる時代。だからこそ五感をもっと大事にしないと。
──HANAO SHOES JAPANという企画にご賛同いただけた理由をお聞きしたいです。
中田さん:
そうですね、まずお誘いいただいた時にとても嬉しく思いました。
山口県で織物がある街は柳井だけなのですが、県内の織物を一所懸命探されていたようですよね。
見つけていただいて、とてもありがたくて。楽しい企画だな、と思いました。
──ありがとうございます。最後にHANAO SHOES JAPANの企画を通して柳井縞と初めて出会われる方々に向けたメッセージをいただいてもよろしいでしょうか。
三浦さん:
そうですね。現代風な色合いと言いますか、明るい色、特に今回使用して頂いた黄色の色合いや薄いピンクなど、女性が好む色合いを試行錯誤しながら作っています。
また、藍を使った伝統的な柄も現代だとすごく魅力的な部分があると思うんです。
あとは木綿の持つ柔らかさ、暖かみをぜひ感じていただけたらなと思います。
テクノロジーの発展で、離れた場所でも遠隔でお話ができる時代ですが、だからこそ五感をもっと大事にしないとと思っているんですよ。
視覚や、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という。
それを考えると柳井縞はもってこいなんですよね。風合いもあるし、触って柔らかみもある。柳井縞の製品が身の回りにあったり身に着けたりという形で、もっともっと五感に立ち返って生きていかないと、と個人的には考えています。
──柳井縞の体験を企画されているというのも、五感に直接訴える手段になっている訳ですよね。あまり他の産地だと、なかなかこういった大きな工房の中で織りから染めまで一般の人が体験ができるところが少ないなと思ったので。そのあたりも特徴なのかなと思います。
HANAO SHOES JAPAN
#12
柳井縞の会
三浦清美
中田登美
文:
HANAO SHOES JAPAN実行委員会
撮影:
柳井縞の会
HANAO SHOES HP:
https://wholelovekyoto.jp/category/item/shoes/
柳井縞の会
—
場所:〒742-0021 山口県柳井市柳井3700-8(やない西蔵内)
TEL:0820-23-5506
HP:http://yanaijima.web.fc2.com/
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。
今回は柳井縞の会 三浦さんと中田さんにお話をお伺いしました。