第7回 お茶屋・置屋 美の八重 坂田 憲治さん
第7回目は祇園甲部でお茶屋と置屋を営んでいる美の八重さんの主人である 坂田憲治さんにお話を伺いました。
美の八重はお茶屋として1929年に創業し、1980年から置屋も始めました。
元はみの外(みのよそ)というお茶屋で奉公をしていた先代が のれん分け(奉公人や家人に同じ屋号の店を出させる、又は出すことを許可することを言う。) をしてもらってお茶屋を開いたのがはじめとされています。
美の八重はお茶屋と置屋を営んでいますが、まず花街の仕組みを説明します。
花街は“お茶屋” “置屋” “仕出屋(しだしや)”の3つの分業制となっています。
お茶屋が場所の提供、置屋が舞妓さんや芸妓さんの生活、教育全般をする場、 仕出し屋が料理を作ります。
お客様の窓口となるお茶屋さんは、 お客様から芸舞妓を呼ぶのか、料理が必要なのかを聞きその注文を受けてからどの舞妓・芸妓がきて欲しいのか、 どの仕出し屋にどのくらいの料理が必要なのかを 各置屋と仕出し屋へ連絡する役目をになっています。
お客様は一言さんお断りなので、基本的に顔のしれた方になります。
そのため、どこの置屋の芸舞妓を呼ぶのかは、お客様が贔屓(ひいき)している芸舞妓を呼ぶなどと、お客様の好みに合わせて注文をします。
また、花街ならではのエピソードとしてお茶屋や置屋、旅館は代々女系であり、舞妓さんや芸妓さんも女性であるため昔から花街近辺にある銭湯は男湯よりも女湯の方がスペースが広かったそうです。
最後に坂田さんにとって舞妓さんや芸妓さんの存在はどんな存在かを伺うと、 「う〜ん、存在って言われてもなあ。普通。あるものって感じやなあ。 生まれた時からおるからなあ。でも小さい時は遊んでもらってたなあ。」
舞妓の御用達のインタビューで必ず最後に舞妓さん芸妓さんがどんな存在かを聞いてきましたが、一番悩まれていたと思います。
初めはなんとも思っていませんでしたが、よく考えると今までお話を伺った方々はお客様としての関係だったのに対し、坂田さんの場合は自分の家に舞妓さんや芸妓さんが住み込んだり、来たりする関係。
当たり前の存在すぎて返答に困っていたんではないかと感じました。
冗談ばっかりでツッコミを入れるのも追いつかないくらいでしたがとてもユーモア溢れる方で、インタビューも楽しくさせていただきました。
舞妓の御用達
#07
お茶屋・置屋 美の八重
文:
中喜多真央(空間デザインコース)
イラスト:
樋田みち瑠(油画コース)
そんな“気になる”気持ちから舞妓さんの頭の先から足の先まで徹底解剖する企画がスタート。
この記事を通して、日本に残った文化“美しい謎”を一緒に解明していきましょう。