温新知故
#10


愛着=手仕事の喜び

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。

──3.11東日本大震災の復興支援で、被災地で実感されたことって何だったのですか?

冨田睦海(弟)
その話をする前に、まず仏師は「魂入れて作ってはるんですよね」みたいなことを一回は言われたことあると思うんです。
でも仏さんに魂を入れるのはお坊さんなんですよ。

小嶋俊(兄)
ああ、そうか。

冨田珠雲(兄)
ぼくらが魂入れてもねえ(笑)

冨田睦海(弟)
そうそう、だから魂が入る前の姿までを彫るのがわれわれの仕事だと思っています。
でも「じゃあ気持ちは入ってないんですか?」って言われると、それも違うなと。

小嶋諒(弟)
そうですよね。

冨田睦海(弟)
その答えってなんやろうって、わりとずっと考えてたんですよ。
魂ではないけど、気持ち入れては彫っている。
じゃあその気持ちってなんなんや?
そういうことを考えてる矢先に、東日本大震災が起きたんです。

小嶋俊(兄)
ああ、もうすぐ8年になるんですねえ。

冨田睦海(弟)
ぼくらにもなんかできることないか?
しなきゃいけないんじゃないか?
そう思った時に、ぼくら仏教系の大学行ってますから同級生の多くがお坊さんやったんです。
それで亡くなられた方の遺族の前でお経があげられないかということで、みんなで現地へ行きました。
ところがお経をあげることはできなかったんです。

小嶋諒(弟)
え?なんでですか?

冨田睦海(弟)
亡くなった方全員が仏教徒じゃないからです。

小嶋俊(兄)
うわー、そっかー。

冨田睦海(弟)
あとお経をあげるとなったらそれはすなわち「死」を意味することでしょ、と。

冨田珠雲(兄)
津波で当時まだ「行方不明」という方もたくさんいらっしゃったのでね。

小嶋俊(兄)
なるほど。

冨田睦海(弟)
まだ生きてるんじゃないかとすがる思いでいてはる時にお経をあげるのはどうなんや?ってことになって。

小嶋諒(弟)
けっこう辛い話ですね。

冨田睦海(弟)
お坊さんらもみんな、こういう時にこそ自分たちは必要とされると思ってたのに、実際には自分たちは何もできないということを思い知らされて、すごく悩んではったんです。
その時に、ちょうど石巻で74人の方が津波被害にあった小学校の話を聞いて。
その頃ぼくにもちょうど子どもが生まれたということあって、親の立場としてもいろいろ考えさせられました。
だからその子たちのお位牌を作れないかと思うんですけど、位牌を作るということは死を受け入れるということだからと断られる。
じゃあとりあえず現地へということで向かいました。
みなさん「京都からわざわざ来てくれてありがとう」と笑顔出迎えてくれはるんですけど、ほんまはそれどころじゃないというのはもうビンビン伝わってくるわけです。
あっちでは張り紙で人探ししてるし。

小嶋俊(兄)
うわあ。きついなあ。

冨田珠雲(兄)
わしらこんな現地の人の気持ちも知らんと、よう人助けみたいなこと言うてたなと思い知らされて帰ってきたんです。

冨田睦海(弟)
それで、じゃあぼくらが彫るのではなくて、一般の人たちみんなにお地蔵さんを彫ってもらって、それを渡しに行こうという話になったんです。

冨田珠雲(兄)
最初はぼくにも迷いがあったんです。
そんな素人が彫った下手くそお地蔵さんを集めて持って行ったところで、ほんまに喜んでもらえるやろうかと。
でも当時テレビで被災者の皆さんのためにいろんなアーティストが歌を歌っている番組をたまたま見てたんです。
そしたらそのアーティストの歌ももちろんよかったんですけど、被災した子どもたちがみんなで大声で合唱しているのを聞いた時に、自然にブワーッと涙が出て来たんですよね。
仏像彫りながら。そうか。
うまい下手じゃないんやと。
純粋に思いを込めているかどうかが大事なんやと。だからそれを届けたらええやないか。
そのことに気づいたんです。

冨田睦海(弟)
みんなの手で彫った、みんなの思いを渡しに行こうと。
でもそれなら、たくさんのお地蔵さんがないといけないと思ったんですね。

冨田珠雲(兄)
千体とか二千体とか。
それやったら、きっとすごいパワーになるはずやと。

冨田睦海(弟)
それでワークショップのかたちで一般の人にお地蔵さんをひとりひとつずつ彫ってもらうという活動を始めたんです。
で、その時にさっき言ってた「気持ちが入る」っていうことの答えが見える出来事があったんです。

小嶋俊(兄)
どんなことが起きたんですか?

冨田睦海(弟)
みんなお地蔵さん彫るでしょ?
少しずつ出来上がっていくと、そのうちに「お渡しするためのお地蔵さんをもう一体別で作るから、いま彫ってるこれは自分用においておきたい」って言い出す人が続出するんです。

小嶋諒(弟)
ええ!

冨田珠雲(兄)
これが不思議なことに、みんな口揃えて言わはるんです。

冨田睦海(弟)
記念としてこれは置いておきたいって言うんです。

小嶋諒(弟)
ああ、ぼくらも一所懸命に作ってるとそう言う感情が芽生えたりしますけど、素人でもそうなっていくんですね!

冨田睦海(弟)
そう。
でも、それをお渡しすると言うことが大事なんですよ。
それが愛着なんです。
この愛着があるからこそ、相手に渡すと気持ちが伝わるんだっていうことなんですよね。

小嶋俊(兄)
ああ、わかるわー。

小嶋諒(弟)
「愛着」が魂とか気持ちとかの正体っていうことなんですよね?

冨田睦海(弟)
そうやと思います。
だからそれはぼくら職人も素人の人も一緒。
作ってると愛着がわくでしょ。
時間かけて手間をかけて何日も何日もその作品と向き合う。
だからこそ湧き出てくる気持ちやと思うんです。

小嶋俊(兄)
納品するときとか、別れるのちょっと寂しくなりますもんね?

冨田睦海(弟)
なります、なります。

小嶋俊(兄)
あれ、なんなんですかね?

冨田睦海(弟)
だからそれがいわゆる「愛着」なんだと思うんです。

小嶋俊(兄)
愛着であり魂とか心とか言われてるやつですね。

冨田睦海(弟)
そういうことです。

小嶋俊(兄)
すごく大きい仕事だと時間もかかるんで、長いこと仕事場に置いてあったりするじゃないですか?

小嶋諒(弟)
寂しくなる?

小嶋俊(兄)
昨日も思ったんです。
これ人にあげたくないくらいカッコええのできたやんって。

冨田睦海(弟)
わかるわかる。そういうのめちゃくちゃ大事。

小嶋諒(弟)
???

小嶋俊(兄)
だから作った本人がそう思ってるものを相手に渡すっていうのが大事で。
だかぼくら自画自賛して送り出すんですよ。

冨田睦海(弟)
うんうん、うんうん。

小嶋俊(兄)
めちゃめちゃええやんけー!って。

冨田珠雲(兄)
それは絶対そうやないとあかん。
「いやあ、これちょっとあんまし良くないんですけどよかったら」
って渡してもねえ。

(一同爆笑)

小嶋俊(兄)
でも「愛着」というものが、職人の魂とか心とか手作りの良さと言われているものの根源になってるという話は、すごく目から鱗というか、納得感がすごくありました。

冨田睦海(弟)
でもつまり業者さんに納品する時にも、その愛着を渡しているわけじゃないですか?
その愛着とか気持ちを、売り手の業者さんらは次のエンドユーザーさんにちゃんと伝えてくれてはるのかな?っていうのはいつも考えてしまいます。

小嶋諒(弟)
愛着のリレー。

冨田珠雲(兄)
そう。
ぼくらのこの愛着を知っててくれはったら、使う人も「ああこれは大事に使わなあかん」って自然に思ってくれはると思うんですよ。
そこがあるかないかが、残るものになるかならないにもつながっていく。
残そうと思っても、ものって残らないですから。

──やっぱり機械で大量生産で作ったものだと、納品する寂しさとかはないでしょうし、愛着もわかないんじゃないですかね?

小嶋俊(兄)
ただその大量生産のものでも作る前の営業だったり商品企画だったりというところで、あっちこっち走り回っている人とかがいるわけじゃないですか?

冨田睦海(弟)
はいはい、そうですね。

小嶋俊(兄)
その人にとっては、たとえそれが大量生産品であっても、もしかしたら愛着があったりもするんじゃないのかなとは思いますけどね。

冨田珠雲(兄)
それはつまりは「その人のために」っていうのがあるかないかとちゃいますかね。

小嶋諒(弟)
ああ、なるほど。そうですね。

冨田珠雲(兄)
むかしはぼくもね、伝票だけもらってそれで仏像彫って収めてたという時期があったんですよ。
でもそれだと、ただの商品ですよね。
そうすると自分の中にも納品先の心の中にもなんにも残らないんですよ。
でも仏さんを作ってほしいという人に直接会って、なんでほしいと思ったのか?
お子さんを亡くさはったとか、お父さん亡くさはったとか、そういうお話を聞いていると、ああこういう仏さんにしてあげたいなとか、やっぱり気持ちがぐっと前に出てくるんですよね。

小嶋俊(兄)
それはもう確実にありますね。

冨田珠雲(兄)
それがないとねえ。

小嶋俊(兄)
だから結局のところ、
仕事のいちばんの楽しさってそこなんですよね。

冨田睦海(弟)
ああ。

小嶋諒(弟)
ぼくももともとは作るほうばっかりで、外で人に会って仕事決めてきたりするのは兄貴の役割やったんです。
だから喜んでくれたはる人の姿とかも見たことないし、さっきの納品の時の気持ちとか全然わからんかったんです。
でもある時に友だちの頼みでやった案件があってそれはさすがに自分で納めに行くじゃないですか。
その時に友だちが喜んでくれてる顔を初めて見て「ああこれを兄貴はいっつもやってたんか!」ってようやくわかったんです。

冨田睦海(弟)
ええ経験ですね。

小嶋諒(弟)
それからは、むしろそっちのほうが最近は楽しくなってきたんです。
だからいまぼくはまだ、ようやくそこの段階に来たばっかりなんです。

冨田睦海(弟)
弟がしっかりしてくれると兄貴も楽ですよね。

小嶋諒(弟)
そうなんですけど逆に「オマエ最近おもんないワ」ってよく言うんです。
子どもできて、こうやって仕事の楽しさもわかって、なんかめちゃくちゃちゃんとしてるやんけ!

冨田睦海(弟)
ちゃんとして来たから面白くなくなった?

小嶋俊(兄)
そう!なんでお前がそんなちゃんとしてんねんと。

小嶋諒(弟)
べつに、ええやんけ!

(一同爆笑)

──最後になります。若い読者も多いと思うので、ひと言伝えたいことがあれば教えてください。

冨田睦海(弟)
職人の世界ってやっぱり厳しくて気難しそうなイメージがあると思うんですけど、このインタビューで学生さんにも、じつはすごく楽しんでやってるっていうことをわかってもらえたらいいなと思いますね。

小嶋俊(兄)
けっこうええ加減ですしね。

小嶋諒(弟)
やんちゃでもいいし、チャラチャラしててもいい。

冨田睦海(弟)
諒くんは、ぼくとおんなじ匂い感じるわ(笑)。

冨田珠雲(兄)
だから、気軽にいちど工房に遊びに行ったらいいと思うんです。
自分では気づいてなくても職人の世界が向いてる子って、絶対にいると思うんです。

小嶋俊(兄)
たとえば引きこもりで、将来何したらいいかわからん子なんかは、逆にこっちの世界に向いてると思うんですよ。
誰とも一言も喋らんでええし、ややこしい人間関係もないですから。

冨田珠雲(兄)
引きこもったりシャイな子らって感受性が強い子が多いし、そういう子らのほうがむしろ自信を持ったらグッと変わるんです。
だから、ぜひ職人の世界へと言いたいですね。

小嶋俊(兄)
今回は「兄弟で継ぐ」いうのがテーマでしたけど、でもホンマに兄弟でなくても、これ読んで職人になりたいと思う若い子が増えてくれたらいいなあと思いますね。

冨田睦海(弟)
「初代を増やす」という課題が見えましたよね。

小嶋諒(弟)
うんうん。「初代」っていい響きやなあと思いましたね。


温新知故
#10
小嶋商店×冨田工藝

文:
松島直哉

撮影:
福森クニヒロ

小嶋商店 HP:
http://kojima-shouten.jp/

冨田工藝 HP:
http://www.tomita-k.jp/

温新知故
#10


愛着=手仕事の喜び

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。