温新知故
#24


紆余曲折という一本道

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。

──佐賀県・武雄の焼き物の話で思わぬ共通点が出てきましたね(笑)。さて、話を戻します。その武雄にずっといたらどうかという師匠の誘いを、SHOWKOさんはお断りされるんですよね?

SHOWKO
はい。最後まで迷いに迷いました。でも、京都で学びたいものもある。お茶の文化もぜんぜん学べていない。まだまだいろんなことが学び足りていないのに、このままここに居てもダメになると思いました。それで一回帰らせてくださいと言いました。

京都に一回帰って、たくさんのことを学んで、それで佐賀と京都をつなぐような仕事ができるようにがんばりたい。だから一回帰らせてください。そう師匠に伝えて、それで2年で帰ってきたんです。

──とはいえ、帰ってこられても京都で居場所が保証されてるわけではないんですよね?

SHOWKO
そうです、そうです。なんにもないですね。ただ佐賀での2年間ですごく節約してお金は貯めてありました。100万ぐらいですかね。当時わたし、ひじきとか乾物ばっかり食べて暮らしてたんですよ(笑)

(一同爆笑)

望月めぐみ
増えるからね(笑)

SHOWKO
そうそう(笑)それでめっちゃ痩せましたけどね。とにかくその100万円を元手に釉薬とか陶板なんかを買いまして、実家の一室を貸してもらって、そこでスタジオを立ち上げたんです。立ち上げたといってもスタジオをやるって宣言しただけなんですけど。それが2005年のことですかね。

──お家にスタジオをつくったということですか?

SHOWKO
そうです。スタジオといってもただの部屋ですけどね。もともと兄の勉強部屋だったんですけど、そこを拠点に陶板画作家としての活動をスタートしました。それが2005年です。

──さて、佐賀から京都に戻ってきて、そこからおひとりでの活動が2005年にスタートします。そこからSIONEが始動するまでについて教えてください。

SHOWKO
2005年に京都に帰ってきて、とにかくまず展覧会をしなくちゃいけないと思って、その準備をはじめました。ただ作品をつくるといってもいままで先生のお手伝いをしていただけで自分の絵も描いていないので、さてわたしは何がつくれるんやろう?とすごい悩んだんです。そのとき父に「売れるもんをつくれ」と言われちゃうんですよね。「いやそれ逆に分からんわ」となって(笑)。

──「売れる作品」というのはまた難しい課題ですね。

SHOWKO
はい、いきなりすごく難しい課題で。それでひとまず最初は、自分自身が感動したものを描いてみようと思って、佐賀で見た風景や花を抽象化して描きはじめることにしました。そうしてできあがったいくつかの作品を集めて京都高島屋さんで展覧会させてもらいました。

それが2006年の春。その経験から自分にはもっとダイレクトに人に伝わる仕事をしなきゃいけないと思い、そのために必要な筋力が圧倒的に欠けていると気づかされました。それで商業デザインの事務所に就職させてもらって、そこで3年ほど働きました。

その会社ではデザインだけでなくイラストや撮影補助など多様な仕事をさせていただいたことで鍛えられたなと思います。と同時に、たまに佐賀に行ったりもしながらSIONEの構想を少しずつ練りあげていました。2009年の9月に会社を辞めて独立し、正式にSIONEを立ち上げ他ので、昨年ちょうど10周年だったんですね。

──最初にSIONEを立ち上げたときの苦労っていうのはありましたか。

SHOWKO
とにかくぜんぶ自分でやってみないと気が済まないタイプなので、会社立ち上げるのに必要なものを調べて、登記からなにからすべて自分でやりましたね。もちろん大変なことはたくさんあったんですけど、思いたってから2週間くらいでぜんぶやりきったのは、いまとなってはいい思い出ですね。右も左もわからんのに、ようがんばったなって(笑)。

──すごいですね。いきなり会社にしたんですね。

SHOWKO
変わってますよね。2週間くらいで登記簿登録もして。

個人事業主とかは考えなかったんですか?

SHOWKO
ふつうはそうですよね。でもすでに2005年から個人事業主として作家活動はしてたっていうのがあったので、会社にしようって思ってたんでしょうね。

──SIONEというブランドを立ち上げるんだから、個人の作家ではなく区切りとして会社にっていう思いがあったのかもしれないですね。

SHOWKO
きっとなにか形がほしかったんですかね。ほんとにひとりきりだったので。そのときにお世話になってたかたに倉庫一室を貸していただいて。自分でペンキ塗って。そういうことのひとつひとつがすごく楽しかったんですよ。

──それもやっぱりストイックさ、ですよね。自分であれこれ背負いこんでから、いざ進むぞ、みたいな。

SHOWKO
でもここ数年ぐらいで人生そんな長くないなって、ようやく思いはじめたところで。そんなどんくさいやりかたをしてたら、いつまでたっても理想の世界にたどり着けへんなあって思うようになりましたね。それで最近は人に任せるところは任せて、チームの協力体制をつくろうというふうに考えかたを変えたんです。でもまあひととおり自分でやりたい性分なんですよね

──自分で理解して経験して高めていくタイプなんでしょうね、きっと。

望月めぐみ
うん。でもなんかSHOWKOちゃんのお話を聞いてると、人生のいろんなことがちゃんと一本の線で繋がってるなあっていう気がするね。

SHOWKO
ああ、それはそうかもしれないですね。



温新知故
#24
望月めぐみ×SHOWKO

文:
松島直哉

撮影:
福森クニヒロ

望月めぐみ HP:
http://www.mochime.com

SIONE HP:
http://sione.jp

温新知故
#24


紆余曲折という一本道

京都のアートやクリエイティブ活動の最新事情を訪ねてみると、その奥には必ず伝統という財産が豊かに広がっていたりする。
いわゆる「古きを訪ね新しきを知る」という視点からではなく、むしろその逆、新しいものの向こう側にこそ垣間見えてくる京都の先人たちの、技や知恵。

この対談シリーズでは、若い職人さんやアーティスト伝統文化の世界ではない人からの視点も交えた異色の対談集というかたちで京都の伝統文化に新しい光を当ててみたい。