一〇〇年生き抜く 京都の老舗
#02


花屋|花政


はじめは花、好きやなかったから

三条河原町の小径、どちらかといえば日暮れ頃から賑わう通りに、しっとりと花屋があります。花政。5代続く老舗です。

昔から、京都の花屋の商いは「お花の世界」(華道)がベース。この街には錚々たる面々の御家元がおられ、各流派が催す〝お花の会〞で生ける花を調達するのが花屋の仕事。

現代の僕らが知っている花屋とは、だいぶ違いますね。花政は老舗なので、その大筋に乗りながらも、しかし独自の方向に枝葉を伸ばして、今があります。

お店を訪問して、お店の中程にあるエレベータで3階に上がり扉が開くと現れる小さな玄関。ご自宅です。奥から「どうぞ〜」と声がしたので、恐る恐る足を踏み入れた広い部屋。窓が大きく光が満ちていて、いろんなものが散らばっています。

2階のバルコニーを見下ろせば多数の大きな鉢からうっそうと繁る樹々。「緑を見ると心が落ち着くよね」と、5代目の藤田修作さんが、コーヒーを淹れてくれていました。黒縁の丸眼鏡はMOSCOT、タバコは両切りのPeaceです。

福井県出身の修作さんは、4代目の娘である綾子さんとの結婚が契機で花屋に。

「始めは花が好きやなかった。なんでも止むを得ずやと、追い込まれて勉強せんならんから、できるようになるね」。

そこから年弱のキャリアを積み上げました。それまで家族と番頭さんだけだった商いも、現在では名弱のスタッフを抱えます。〝花政を卒業したら出世する〞と言われているそうで、辞めた人たちのことも楽しげに話してくれます。「(花政に)いる子は出世セーヘン」との修作さんの言葉も付け加えておきます。


逆もまた真なり

さて、この辺りで偶然、綾子さんが部屋に入って来ます。前述の通り、4代目までは「京都のお花の世界」だけで商いをしていました。娘である綾子さんもそこで育ったので、簡単に言うと、決められたことをきちんとこなす、という毎日。現在の花政のようにお花の会を開いたり、誰かにお花を教えたり、そのようなクリエイティブなことはありませんでした。とはいえ、当時の状況に不満があったというわけでもありません。

当時の綾子さんは、今の花政や社会の変化について想像すらできなかったのですから。「そういうものだ」と思っていました。ご自身曰く「堅実で心配性で物事を長く続けるのが得意」な性格。そこにやってきたのが修作さんです。花の世界のことは何にも知らない、変な人でした。性格どころか人間がまったく違う。まず、彼はすぐに飽きます。

「修作さんはね、本当に飽き性なんです。突然ね、合気道習いに行く言うて、鞍馬の奥まで行くんです。しかもビデオも本も全部揃えてちゃんと勉強して、道着も買って名前まで入れてもらって、行くんです。それなのに1か月したらね、もうしんどいわ〜言うてやめるんですよ」。

もちろん、花屋を継いだ当初は華道も習いに行ったそうですが、これも瞬く間にやめて、違う流派に習いに行ったり(またやめる)。「もーあんたええかげんにしーや!」。綾子さんにしたら衝撃でしかなかったでしょう。しかし、この問題児の修作さんこそが、新しい花政の世界を切り開くことになるんだから老舗の物語は面白い。

「彼は、新しいもの好き、なんでもやってみたい人です」。やりながら考えたらええやんという態度。その彼が新しい花屋を模索している時に出会ったのが、華道家・栗崎昇です。一緒に映った写真や本がたくさん部屋にあり、とても感謝していることが伝わります。

栗崎さんにかわいがってもらい、国内外いろんな場所で仕事をしました。その花政の姿勢は旧態依然としたそれまでの花と違い〝ファッション〞でした。綾子さんの思い込む「お花の世界」が壊れる時代です。修作さんの花は、お花の世界から遠いところの人たちをどんどん引き込んでいきました。それをずっと見ていたのが綾子さん。綾子さんの座右の銘は「逆もまた真なり」。修作さんから学びました。

自分がこれだと思い込んでいる以外の方向もあるんだ。「修作さんと出会ってなければ、一生花屋の世界の中で終わってたと思う」と、この辺りの惚気話は、後日電話でおっしゃっていたことです。でも、きっと修作さんだけじゃ足りなかったはず。昆布と鰹の最高のマッチング、おーい松島屋の平一さん(当カテゴリー#12にて近日公開予定)、花政のお二人を知ってますか!


女の人が一生懸命はたらくことを認めてくれる人と結婚したい

最後に綾子さんに気になっていたことを聞きました。そんなに人間が違う人と、どうして結婚したんですか。

「私らの時代は今と違って、女の人が社会で仕事するってことに対して否定的な人がほとんどやったんです。〝女だてらにそんなことして!〞とか、そういう感じが普通。うちは母親もずっと仕事していて、授業参観とか来てくれへん。でも私はそれが嫌ではなかったし、自分もそうしたいと思っていた。だから、女の人が一生懸命はたらくことを認めてくれる人と結婚したいと思ってたんよ。修作さんは、そういう人やった。だからね、(性格とか)どんな人かはそんなに知らんと結婚したんよ」。

修作さんにも聞きました。いろいろな人に出会って可愛がってもらう秘訣みたいなものはありますか。

「なんやろな、そやけどおみやげを持っていったことはなかったなあ。Goforbroke(当たって砕けろ)かな」。

噛み合うことのない、二人の花政は今日も営業中。もっぱらお店を切り盛りするのは綾子さん。修作さんはイノダコーヒへ行ったり、誘われたらどこかへ出かけて行ったりしています。がっちし噛み合うのもいいけれど、こんな風に噛み合わないように見える二人が動かし続けていることが、花政の隠れた魅力である気がします。


花政

文久元年(1861年)創業

河原町三条からすぐに行ける、京都の老舗の花屋「花政」。京都伏見で、初代藤田吉兵衞が立売りの地で花作りをした事が始まりとされている。創業1861年という長い歴史があり、市内の神社仏閣に伏見から高瀬川を船で上り、花を納めた歴史もある。

住所:〒604-8005 京都市中京区恵比須町433
営業時間:9時00分~18時00分 
電話番号:075-231-2621
アクセス:京阪電車 三条駅 徒歩5分
HP:https://hanamasa-kyoto.com


淡交社 208ページ・1800円+税

「一〇〇年生き抜く 京都の老舗」

100年以上続く、京都の老舗35店を訪ね歩いた市内冒険的著書。
KYOTO T5センター長であり、デザイナーの酒井洋輔がインタビュー、文、写真、デザインと全て一人で行ったもの。
日本一の観光都市である京都は、観光スポットがありすぎて、それらを回るだけで数週間かかるほど。
しかし、京都の京都らしさを作っているのは本当にそのような観光スポットでしょうか。
100年以上続いているということは、住む人に愛されている証であり、確実に京都を形づくる要素と言えます。
「秘密の街・京都」の秘密、京都らしさのソースを知ることになる一冊。
新しいガイドブックの形です。


一〇〇年生き抜く 京都の老舗
#02
花政

文・写真:
酒井洋輔

一〇〇年生き抜く 京都の老舗
#02


花屋|花政