京都四条河原町の交差点に店を構え、今日まで京都の暮らしと共に歩んできた髙島屋。今や全国でお馴染みの百貨店ですが、実は1831年に飯田新七が京都・烏丸松原で古着木綿商として創業したことが始まりというのをご存じの方がどれだけいるでしょうか。
四条河原町に移ってから今年で79年目、『皆様の髙島屋』をモットーに京都市民のみならず、幅広い層に愛され続けています。
信用を売る商売
なんと髙島屋で働き始めて39年になるという上條さん。まず、髙島屋を含む百貨店の魅力についてお聞きすると「ほんまもんを販売しているということ」と力強い一言。多種多様の商品を扱っていますが、各ブランドが商品を売っているのに対して、そのブランドを束ねる百貨店は、その商品が正真正銘の「ほんまもんだ」という信用を売っているのだとか。さらに信用だけでなく、付加価値も魅力のひとつだそうです。それは、お客様ひとりひとりにパーソナライズされた接客の姿勢と、そこから生まれる「あ、そうやってん、これこれこれ!」という何か思い出せないムズムズ感がスッキリするような、ささやかな幸せを商品と一緒に届けているということ。
「何を売ってるかっていうと信用と期待。髙島屋で買ったら幸せな気分になれるかもしれない、っていうことを売っているので。みんなでそれを守っていかないといけないと思ってます。企業文化だと思うんやけど、まずは相手の立場に立つことが大事で、このお客様にはこのお客様の目線でっていうのができないといけない。これは接客業の中でもとても熟練した技にはなっていくんだけど。でもそういうところで安心していただけるようにしたい」
企業文化だというこの姿勢の源泉を辿っていくと、1864年蛤御門の変で京都の街が戦火にみまわれた際に、着の身着のままの街の人たちに一切便乗値上げをせずに着物を販売したことにあるそう。さすが、京都。まるでついこの間のことのように語られるエピソードに、思わず時空を超えるような感覚を覚えながら、大きな時の流れの中でも大切に温められてきた精神が、脈々と受け継がれていることがわかります。
「お客様は命の次に大事なお金を大切にお使いになりたいだろうから、一緒に大事にしてくれるお店にいきたいと思うの。私は朝礼とかでも言うんですけど、私たちは単なるモノ売りではない。幸せを商品につけて販売している。あっ、これが買えてなんかうれしいなとか思ったりするやん?そういう気分になるのも、モノを買ってるだけじゃなくて、見えない幸せとかうれしいっていう気持ちを買ってるところがあるからやと思うんです」

皆様の髙島屋
インタビュー当日は、平日ど真ん中の水曜日にもかかわらず、髙島屋には老若男女、国籍問わず幅広い層のお客さんがいました。
「いろんな人がいはるでしょ?ザ・バラエティと思わへん?うちはもともと木綿商、古着商だったので、本当に市井の人に支えられてきた。だからやっぱりインバウンドだけ、富裕層だけ、若者だけではなくて、千客万来。『皆様の髙島屋』というスピリットを守っていきたい」
これはもちろん学生もターゲットです。2年前にできたばかりの専門店ゾーンT8(ティーエイト)にはNintendoをはじめ若者も楽しめるお店が増え、実際に訪れると年齢層の広がりを肌で感じることができます。しかし、上條さんはまだまだ広げます。
なんと新しい取り組みとして、園児や小学生向けにお仕事体験を考えているそう。受付係や1日店長など、仕事内容も様々に考えられています。
「やっぱり子どもの時に遊んだ記憶ってすごく大事じゃない?だからそういうことしようと思って。その人たちが髙島屋に馴染みがないと、大人になった時に来てもらえないし、おばあちゃんや家族に連れられてきました、とか言う人がたくさんいて欲しい」
人それぞれ、地元に馴染みの百貨店があったのではと思います。私の地元山口は井筒屋、金沢は香林坊の大和、東京は小田急百貨店など……。子ども時代の体験は案外記憶に根強く残り、大人になってからもあらゆる選択に大きな影響を与えています。私も学生時代を過ごした京都で、懐かしいと思える場所のひとつとして髙島屋を挙げるでしょう。

この仕事への思い
39年という長いキャリアの中で、様々な土地の髙島屋で働くうちに仕事に対する姿勢も自ずと変わっていったそうです。
「自分のために仕事してはいけないというか、自分がえらくなりたいとか、評価されたいとか思ったらろくなことがない。自分が今この売上が欲しいからこれを勧めるとかはあかんね。本当にお客様のためにこれを勧めたいっていうお商売ができたら、とても感謝される。もし自分のことを優先してその時はなんとか収まっても、長く続かない」
人間誰しも欲というのは不条理なほどに捨てきれないもの。しかし、お客様やチームの仲間を優先して働くことこそが大きな成功につながるという真理に、ある時から気がつき始めたそうです。「見栄はあかん。できればそれはちょっと横に置いておける方がいい」という一言に上條さんの深い自己探究の一端を見ることができました。そして、これにはコロナ禍での経験も大きく影響しているといいます。
「緊急事態宣言でお店を閉めなさいってなった時、それはみんなの働く場所を奪っていくってことで。実際は髙島屋で働いてる中でも仕事を失った方もいたので、心が苦しかった。緊急事態宣言が明けてお店が少しでも営業できるようになると、お客様はもちろん働く人も戻ってきてくれて、やっぱり人が人によってエネルギーをもらってるなってすごく感じた。人が生きてるっていう感覚を身近に感じることが私の幸せなんやなって思った」
あの頃、それまでは当たり前に店を開けていた髙島屋が連日閉まっていたことの異様さ。その時の重苦しい空気感は、今でもすぐに思い出すことができます。そして、そこで働く人たちの不安はより一層のこと。利用する人、される人がお互い支え合いながら日々を生きているあたりまえを、こうして今になって噛み締めることができます。

開店前の朝練
日々大事にされている事は何かお聞きすると、1番はやはり健康だそう。そのためにしている朝のルーティンを教えていただきました。
「月曜日は朝6時半から岡山の友達とすっぴんでリモートウォーキング。京都の街写して綺麗やろ〜とか言って。その後朝ご飯食べて会社に来て、8時半から9時までは子ども服売り場の通路でストレッチ朝練してる。真っ暗なお客様用の廊下で、ヨガマット敷いて」
誰も予想していなかった驚愕のルーティン。他の曜日にはジムやバレエなどにも通われています。常にパワフルで、新しいことに挑み続ける上條さんには必要不可欠なものなのかもしれません。ちなみに、目指しているのはしなやかな筋肉。これは精神論にも直結しています。「何事にも柔軟性がないと。しなやかじゃないと勝てへん」と強い口調でおっしゃられていたのが印象的です。しなやかさと、強さが共存する上條さんの内側に「京都」が垣間見えたのは気のせいでしょうか。
スペシャル・プレイス
最後に、満を持して京都という場所についてお聞きしました。
「京都はね、スペシャルプレイスやと思う。オリジナルな歴史がそこかしこにあるじゃないですか。それを今の時代に体験したり、感じることがこの街では自然にできる」
偶然か必然か、髙島屋の企業メッセージに、『‘変わらない’のに、あたらしい。』というものがあります。まさに京都という場所は、守るべき伝統は残しつつも、変わらないために変わっていくという新旧が交わる街。そんな街で髙島屋はこれからも、深く根を張る大木のような安心感と、その枝から青々とした柔らかな新芽を生みだしていきます。
「アップデートするけどしすぎない。それはここの土地にある生き残るセオリーというか術というか。時の為政者がこうです。って言って、じゃあこっちになびこう、とかではなくて、誰が来ても全員がきちんと営みを続けられるように。どちらかというと市井の人を見てこの街は成り立ってきたらしいの。だからその力強さに触れられることもすごいすばらしいことだと思う」
200年近く京都の暮らしと共に歩んできた髙島屋、来年は四条河原町に移転してから80周年となります。銀ねず色に淡い色合いの松の模様を施した優しい着物に包まれて、溌剌な笑顔を見せる上條さんの内側の熱い想いに触れた約一時間。街の、髙島屋の、上條さんの、強さとしなやかさは、日々その強度を増し続けています。

京都のスープ
#36
髙島屋 京都高島屋S.C. 上條智子
文:
井口友希(文芸表現学科)
瀧山璃空(クロステックデザインコース)
写真:
酒井洋輔
古着木綿商として京都で創業し、市民に支えられながら日本随一の老舗百貨店へ。
髙島屋京都店長、上條智子さんにお話を伺いました。