桶屋近藤 近藤太一さん
京都精華大学大学院を卒業後、木工芸家“中川清司さん”(重要無形文化財保持者)を師事し、職人として、桶、指物の技術を学ぶ。
2009年に独立し、「桶屋近藤」をひらき、2016年に「京指物」伝統工芸士の認定をうける。
目次:
日々使う
京都に好まれる桶
いい物をいい材で
京都ならではの厳しさ
日々使う
──作り手の職人さん目線で商品をどんなふうに扱ってほしいなどの思いはありますか?
使い方は、僕ら職人なんで自由に使ってもらえたら、ええですけど。
どう、使ってほしいか…。使ってほしいは、僕ら作ってるもんで、定番の商品とかだと、長いこと僕自信も作ってるし、僕が仕事を習った師匠がずっと作ってるところもあるんで。
あとは、お客さんの注文でつくるもんとか。
そりゃあ、もう使い手に委ねてるというか、昔からお使いになられてる人のほうが、使い方に関しては詳しいということもありますけど。
今、桶とか木の製品をつかう人が少なくなってきてるんで、僕らのほうからもいろいろ使い方の提案とか、そんなんは必要な時代になってきているのかなとは思いますけど。
──なるほど、使い手に委ねているんですね。
近藤さんが作られている桶やぐい飲みをご自身で使われることもあるんですか?
まあ、そうですね。桶と一口に言っても、いろんな要素のものがあるんですよね。
うちで作っている物だと、一番小さいもので「お酒のぐい飲み」とか。で、たとえば大きいものだと寿司桶やお風呂の湯桶もありますし。
うちで自分自身で使ってるのだと、ぐい飲み、お櫃、湯桶、寿司桶くらいかな。
それこそ、お風呂の桶とかだったら毎日使いますし、お寿司する時だったら寿司桶とかも出てきますね。
京都に好まれる桶
──桶を拝見すると、とても薄くて、素人目で見てもこの厚みを出すための技術はすごいことだと思うのですが、制作されている中で「ここ苦労してる!」みたいなところはありますか?
まあ、薄さっていうのは、分厚くても薄くても桶にはなるんですよね。
せやけど、そこにお客さんの好みみたいなのがあるんですね。
今では、一般的でないかもしれないんですけど、桶っていうのは日本全国で昔から使われてきた物なんです。せやから、今高級品みたいになってるけど、もっとざっくり使われてきたもんやと思うんです。素朴なもんもあったと思うんですよ。
そういう生活雑器としてお水くむとか、そんなんの道具が、ポリバケツとか簡単で安くてみたいなのが出てきて、衰退しちゃって。
それでも、木の桶じゃなきゃいけないところ、例えば、神社とか料亭とか、旅館とか。
そういう風なことになったとこの需要があったわけで、残ってきたものなので。
だから、もう素朴なものとか、ざっくりした物とかは、もうポリバケツでいいわけですよ。
そこに需要はなくて、使うとしたら最高級のもんとか。
そうなった時に、あまり分厚い物は好まれないし。もっと、薄くできへんかとなりますし。
僕らは、職人やからあまり自分の我を突き通したりとかすることは少ないんで。
お客さんから、「こんなんできへんか?」と持ち込まれたら、「できますよ」というのが職人の仕事なので。それで、京都の好みに合わせて作っていったら、薄くなったんじゃないかな。
──京都の人って薄い物であったり、繊細なものを好みますもんね。
うん。ほんと、こう野暮ったいのは好まないというか。でも、逆に地方によっていけば、もっと分厚くないと、いなせな感じがしないというか。もっとタガも太いの巻いてくれとかね。それは、何が正解というよりは地方によっての好みがある。
そりゃあもう、気候風土も違うし、好みも絶対違ってくるよね。
いい物をいい材で
──商品によく吉野杉を使われていると伺ったのですが、他の杉との違いや特徴があるんですか?
そうですね。まあ、吉野杉というのは奈良県の吉野地方に植えられてる杉なんですけど。
杉というのは、日本中だいたい南は屋久島から、北は秋田まで。北海道はあまり生えてないらしいですけど。同じ杉とはいえ、その気候風土とか山のことで、いろんな特質があるんですけど。吉野はやっぱり土がええのか、気候がええのか。あと例えば杉で言えば天然なのか人工なのかとかもありますけど。
吉野の杉っていうのは、とにかく色もいいし、香りもいいし。それは気候とか土がいいんだと思いますけど。
あとは、吉野ってその特性があって、昔でいう酒樽のいい材が取れるっていう。昔から、酒樽いい材料は吉野の杉やと。吉野もそこに特化して、酒樽に使うためには、要するに、木に節があってもいけないし、ひねりがあってもいけないし。ですから、木を植えて、育てるまでに、適切に木を管理する。枝打ちして、密集して木を植えて。間伐材っていう言葉があるんですけど、いっぱい密接して植えることで、ゆっくり育つんですね。その中で、育ちがいいのを残して、ひねりがあるものとか悪いものを切り倒していくっていうのを繰り返して、エリートの木を残すんですね。
それで、吉野の天然林と人工林のどっちがいいかというと、吉野のひとに言わせれば、何百年も前から人口でやっとると。だから、木の管理やったり、技術を代々管理される部分で、僕らはいい材料だなと思うんです。
やっぱり、仕事してても、香りもいいし艶もあるし、木目もいいしね。
京都ならではの厳しさ
──京都で活動されてて、京都の魅力だったり、ここ強いみたいなところはありますか?
僕らは、木工とか桶以外にも、ほかの職人さんとも関わりがあるんですけど、、例えば漆の職人さんだったりとか。いろんな方いらっしゃるじゃないですか。
言えるのは、そのお使いになる方が厳しいということ。要は、注文が多くてうるさいお客さんが多いと。もしくは、使われる場所が、もっとハイレベルなとこでされてるお客さんが多いと。だから、あんまりヤボったいもの作ったんでは、これでは通らんよと。
──お客さんの目が肥えていて、求められる物もハイレベルになるんですね。
そうそう。だから、その厳しさがどの分野に対してもあるので、そこに答えられるように、僕らは腕を磨くわけです。何回も怒られて、何回も作り直す。
僕自信は、代々の人間ではないけど、師匠に教えてもらったぶんには、責任がありますし。
お客さんからしたら、京都の桶屋やけどできませんではあかんし。
レベルは、守らなあかんし。
だいたい京都に桶の注文しにくる人らは、結局、注文は日本全国からくるんですけど、あっちで断られ、こっちで断られみたいな。京都で断られたら、諦めよう、思てる人も多いですから。せやから、そこは、全部受けれるようにしないとあかんし。
師匠だったら、ぜんぶ受けてはったし。
だから、そこの責任というか、そこはやっていかなあかんな。
つくるひと、つかうひと
#08
桶屋近藤 近藤太一
文:
則包怜音(油画コース)
撮影:
中田挙太
桶屋近藤 HP:
https://oke-kondo.jimdofree.com/
そして、「つかい手」として工芸品を生活に取り入れ、使い続けることもまた、伝統をつないでゆくことと言えるかもしれません。
今回お話を伺ったのは、京都で人間国宝のもと修行し、京指物を担う桶屋近藤の近藤太一さんです。