職人interview
#15


京漆器|01|外に一度出て、 家業に戻ることで気づくこと

CM制作会社に勤めた後に、家業である漆職人になられた石川良さんのお話。
お茶の文化や御所への献上など、京都には“高級品を誂える”技が残っています。それぞれの技で特化した職人、何人もが関わる分業制で京漆器が出来上がります。より良いものを作るため、石川漆工房さんでは機械の導入や職人同士の意思疎通を大事にされています。

外に一度出て、 家業に戻ることで気づくこと

──石川さんは漆をお仕事にされて何年になりますか。

30歳くらいからやってるから、ちょうど10年ぐらいになるのかな。

──漆の世界では修行の目安は何年ですか。

京都では大体8年です。
一概には言えないけど、輪島(石川県)とかはもっと違う。京都で言われているのは、8年間、先生の元にいて自動的に終わりやね。卒業試験があるわけでもないけど、年季明けになったら儀式があって、弟子時代が終わる。今はもう徒弟制度が少なくなって学校でも専門的に学べるところが増えたから、修行をやっていない人もいますね。

──地域によって修行年数の目安が違うんですね。「一人前になったな」と思う瞬間は何ですか。

年数が違うのは昔からそうだったから、何で違うのかはわからないけど習慣のようなものだろうね。
僕はどちらかと言えば職人さんをコントロールするような立場なんで、うちの仕事のやり方ではピークが来た人から若い人、年配の人まで、そんな人たちをうまく組み合わせて、意思疎通してどう仕事をしていくかっていうことなので…。

最初の頃よりはいろんな職人さんに紹介してもらって、ツテが増えて会話もするようになるし、そういう意味で段々自分の知ってること以外もできるようになってくることが強いかなと思います。

職人さんって、手を動かして自分のできることをずっとやり続けているけど、うちの仕事としてはできなくても他の人がやってくれる。「あの人に頼めばもっといいのができるかもしれん!」と、やっていくことができる。
そういうのが京都だけじゃなく、いろんな地方のいい職人さんやいい場所と連携してやっていけたらなぁと思ってますね。実際うちも京都だけで取引してるわけじゃないしね。

──石川漆工房さんは創業何年になりますか。

会社になってからは39年。
それまで祖父と曽祖父は一職人として個人でやっていました。祖父は五条の麩屋町で仕事をやっていた。昔は五条あたりにしか人は住んでいなかったんですよ。漆の職人さんのほとんどは四条から五条の間に住んでた。

今、漆の原料を作っている工房が京都には4軒残っているけど、そのうちの3軒は麩屋町から烏丸の間にある。
そこに集結してたから仕事がしやすかった。車がなくても(ものを)持っていけるし。
それから一時期山科に移り住むのが流行った。今から40年くらい前かな、山科区ができた時に。今でいう新興住宅地だった。

京都の街中で水銀とかメッキなんかをやれなくなって、仕事がしにくくなり、山科に移り住んだ。「水銀を流すな・消防法を守れ」とか昔なかった決まりができて。うち(石川漆工房)もその頃、山科に移り住んだ。山科は結果、住宅地になって、そこから何年かして僕が生まれた頃に伏見に移りました。

──なぜ山科から伏見に移ったんですか。

こっちの方が土地が安くて、広い。
今は高速道路とか新堀川が近いけど、僕が生まれた頃は畑と田んぼしかなかった。ど田舎だったんですよ。

曽祖父は一人で仕事をしてたわけじゃなく、何人もの職人を抱えてやっていました。
けど戦争から帰ってきた時、社会情勢的に職人を抱えてやるほどの仕事がなかった。なので昼間は米軍基地に働きに行って、夜は一職人として漆の仕事をするというサイクルを戦争が終わった直後まで続けていたそうです。
それで僕の親世代が生まれた頃に確か米軍がいなくなって、漆の仕事だけをするようになった。

父親は三人兄弟の末っ子として生まれた。長男が継いだ時に会社の体制になりました。株式会社になってからは39年目。会社になる前から何かとやってましたが。

──日頃、ものづくりをされてますが趣味などありますか。

仕事以外のことで時間使っているのは…ジョギング。
昔、僕太ってたんです。痩せるために始めたのがいつのまにか日課になってて。仕事終えても家に帰らずに、1時間走って仕事場に戻ってきて、服を着替えて家に帰るということをしている。

僕は大学を出た後、30歳近くまでは東京と大阪で働いていました。
CMの制作会社に勤めてました。だから比較的、多く本を読んだり映画を見たりしていた。それはあんまり趣味ではないかぁ…それよりもジョギング。仕事仲間に「仕事中、働かずに走ってばっかりなんじゃないか」と思われてる(笑)

──仕事終えてから走ってるんですか!?CMの制作会社に勤められた後、家業に戻り、外に出ることで気付いたことはありますか。

実際に働いてみたら、そこまで畑違いじゃないなぁという感覚。何かを作るということにはあまり変わりはなかったし。
漆器の仕事は、『塗る前の木地(木の状態のもの)を作る人・塗る人・蒔絵や螺鈿、箔押しをする人』というふうに工程ごとにいろんな専門の職人さんの手が加わる。

その人たちと段取りを組んで、誰か一人だけでも思い違いをしてたら上手くいかないんでね。
漆器の仕事では意思疎通がとても大事。CM会社でも、カメラマンがいれば、照明もいてヘアメイク・スタイリスト、関わってる全員が同じように考えてないとうまくいかない。漆器にも通じるところがある。陶器やガラスの職人さんは一人で完結することが多い。それに比べ漆器ではいろんな人が加わって、最初の人(木地を作る職人)は完成品を見ることはない。最後の人だけが完成形を見る。映像の会社も基本そうでした。似たようなことやってるなぁと。

──分野の違う、離れた人との意思疎通はとても大変そうです。

結果どんなにいい腕の人がいても、意思疎通が上手くいってなかったら、ものが完成しても「最大限良い」ってなるのは意思疎通が取れている方。

連携するのは専門の人となんで、言われたことは確実に、完璧にやりはる。
けど、意思疎通が上手くできてたら求めている以上の意見などが出てさらにいいものが出来る。意思疎通が大変やと思って行くと、向こうの人も構えてしまう。分からないものは「分からない」と言って、考え直す時は「考え直す」と言えばいいんやけど、言いやすい関係を作ることが大事。


京都の文化で磨かれた京漆器

──京都の漆器は分業制であるのが特徴的だとお聞きしました。

漆器自体は大きく分けると、『木地を作る人・塗る人・蒔絵や螺鈿などの仕上げをする人』に分かれてて、昔は木地を作る中でも『ろくろで形を削る人・指物の分野で組み合わせる人』って別の人がやってた。
漆を塗る中でも『上塗りする人・途中段階までをする人』と分かれてて、特に京都の漆器は周りに比べて明確に

漆器は庶民が使うものではなく茶道の道具であったり、お公家さんなどお金をちょっと持ってる人の使うものでした。その層が使うものを京都は作ることが多かった。それで“高級品の作り方”が今も残ってるんです。

──より手間暇をかけて、特化した人たちが作るという京都ならではの流れなんですね。

それが京都はかろうじて残っている。

──京都の漆器の文化は他と何が違いますか。

昔、京都の中で漆器というのは、普段使うものよりお茶道具の文化だったり、手が込んだものをお抱えとしてやってはった。手間暇かかる、下地をきっちりするというのが特徴でもあります。

木地の上に下地をきっちりつけるとき、薄くやらないと塗り重ねていくときにどんどん厚くなってしまう。だから最初の時点でかなり薄く作ってある。漆器は木地の時点から薄かったり厚かったりする。
京都はかなり薄く、薄く、作られているのが特徴。それに布地や下地を重ねて作業をしていく。

地域によって仕上がりの工程や下地の寸法が違ったりする。
京都は薄く、厚みをつけていくスタイル。あとは豪華に蒔絵をつけていく。より高級に。庶民が使うものに金とか銀とかは普通に考えて使わないですよね。普段の家のお椀に料理屋さんみたいにブワーって絵が描いてあるお椀を使っている家なんて中々ないように。そういうようなことは京都の特徴ではあるかなと思いますね。

──原料の漆を海外から輸入しているとよく聞きます。なぜ国産の漆は減っているのですか。

一番減っていった原因は漆の木から漆をとる仕事が、仕事として成り立たなくなったから。今、漆の90%以上が中国のものなんです。やっぱり中国の方が土地も広いし、たくさんの漆を一気に大人数でとることができて経済の関係でも中国が多くなってるんです。

でも、江戸時代に100%日本の漆でとれたものを使っていたかと言うとそうではなくて、その時代から中国から輸入してた。すでに足りなかったんです。

明治時代に入った時点で半分以上は中国のもの。それが7割、8割になって今では9割に。中国の他にネパールやベトナム、ミャンマーにも漆芸があって漆がとれる。国ごとの漆によって、中に入っているゴム成分や水分量が違う。けど日本で使われている漆は日本産か中国産のどっちかです。他の国の漆を使っているというのは聞いたことがない。京都にいる職人は京都の漆屋さんで買ってるので日本産・中国産のものに慣れている。あえて成分が違うものには手を出しません。

──漆の産地の違いで仕上がりが変わったりしますか。

90%以上が中国の漆なんで、職人のほとんどは中国産の漆で修行しているんです。
芸大などでの授業でも。日本産のは高すぎて。ある程度塗る職人になると、漆屋さんに条件付きで注文します。「黒でも早く乾く黒を」「ゆっくりめに乾く漆を」という条件をつけて、精製しはる職人さんは「Aさんはいつもこうやから、この調合やな」って作りはる。職人ごとの好みの漆を知ってて、レシピがあるみたいなんです。

ここでも漆を塗る職人と精製する職人の意思疎通が必要になるんです。朱色って言っても、みんなの想像する朱色は同じじゃないんでね。血のような暗い朱色もあれば、真っ赤かなものや、オレンジっぽいものとか。みんなそれぞれにやっている。

──朱色にどれほどの種類がありますか。

人間の目で判別できるまでの種類。黒は艶があるか・ないか・その間か、ぐらいしか表現しないけど、朱色になると一つの色に対しても艶がある、ないなど数限りなく出てくるから何種類とは断言できない。

──漆器はお茶碗や指物に塗ってあるイメージが強いです。他のものにも塗れますか。

基本的に、何にでも塗れます。
最近やとワイングラスなどガラス製品に塗る仕事をやりました。金属にも塗れます。塗料と変わらない。乾くシステムや工程が違うだけで、大きく見たら塗料の中の漆だったりウレタンだったり、それぞれに特徴がある。

昔はガラスや金属に対して漆は剥がれやすく、色が乗りにくかった。
けど今は研究が進んで漆の精製の技術も上がったから塗れないものはないんじゃないかなぁ…。塗れるか塗れないかの話で(笑)ゼリー状のものは無理ですね。ガラス、金属、プラスチック、カーボンなど幅は広いです。

──漆が減っていって困っていることはありますか。

安定してないね。
漆屋さんは中国に頼ってたけどあまりにも頼り切った結果90%以上が中国産になってしまったし、中国側に「やりたくない」って言われたらもう終わってしまう、そういう危機感は常に持ってる。中国での人件費が上がってきてるけど、ベトナムやインドには漆の木が生えないから行けない。
もし中国からの輸入が途切れたら、日本の漆を使えるような人たちしか残れなくなってしまうから、文化がパタンと途切れてしまうし…。漆屋さんは中国からの輸入を継続しながら、日本で使える漆を残していくのかを大事にされてるね。こっちも材料のあるうちに次のやり方を考えなきゃいけないな。

──時代が進むにつれて塗れるものが増えていくし、配合もどんどん進化していくけれど漆を手に入れることが難しくなっているんですね。

配合は漆屋さんが頑張ってくれているけれど、元々の原質はどこから手に入れるのか、という問題やね。全体の使う量自体も減って来ているんでね。かといって日本で漆掻きの職人さんが育っていってくれるのかといったら、なかなか…。


職人interview
#15
石川漆工房
石川良

文:
溝辺千花(空間デザインコース)

石川漆工房HP:
http://www.i-urushi.co.jp/

ice cream gift:
https://wholelovekyoto.jp/2020/08/20/ice-cream-gift-_-%e6%bc%86-%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%82%b9%e3%83%97%e3%83%bc%e3%83%b3/

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京漆器|01|外に一度出て、 家業に戻ることで気づくこと

CM制作会社に勤めた後に、家業である漆職人になられた石川良さんのお話。
お茶の文化や御所への献上など、京都には“高級品を誂える”技が残っています。それぞれの技で特化した職人、何人もが関わる分業制で京漆器が出来上がります。より良いものを作るため、石川漆工房さんでは機械の導入や職人同士の意思疎通を大事にされています。