職人interview
#83


印章|独学から始まったハンコ業

印章(印鑑)製作工程の全てを手作業で行う田中文照堂。
今回は五代目である田中大晴さんに、創業当時の資料や作業工程を見せて頂きました。彫刻機械を置かず、手彫りのみを専業にしているハンコ屋さんは、田中文照堂を含めて京都に数件しか無いそうです。手彫りにこだわった背景にある、道具や素材の知識の数々をお聞きしました。

独学から始まったハンコ業

──創業について教えてお聞きしたいです。

創業したのが万延元年、1860年とされています。実際はもっと前から店はあったと思うのですが、京の老舗(京都府が認定する創業100年以上の老舗)の表彰申請時に提示した、年月日付きの一番古い資料が1860年の物でした。おそらく幕府に提出した書物だと思うのですが、それによって1860年にはうちがあった事の証明が出来たんです。

──初代の田中吉蔵さんは、どういう経緯でハンコ屋さんを始められたんですか?

木材を加工する仕事が昔は多かったと聞いていますので、その延長でハンコ屋を始めたのかなと思います。ハンコに関しては一から自分で始めたのだと思います。どこかで修行して、その後独立したなどの記録は全く残っていません。吉蔵本人が当時に作った印鑑の印譜(いんぷ:印影の記録帳)が時系列で残っているんです。それを見ると初期の頃は未熟な感じがします。ですので、本当に一から独学で始めたのではないかと思います。印譜を見ると、当然後半は名人級にどれも上手いのですが、初期の頃は、ぱっと見て分かるくらい未熟です。そこから徐々に技術が完成されて行くのですが、独学で色々と試行錯誤しているのが分かります。木口(こぐち)と言うのはいわゆる「ハンコ」です。こちらはゴム印の印影ですね。ゴム印は今はほぼ鋳造ですが、昔はこれも手で彫っていました。

──ゴム印鑑も手で彫っていたんですね。

今は、ゴム鋳造の技術が確立されましたので、溶けたゴムを型に流し込んで作っています。昔は手で彫るしかありませんでした。ゴム鋳造の技術が出来て、型にゴムを流し込んで固めた方が、早くて正確だと分かったので、あえて手で彫る必要がなくなったんです。木口(ハンコ)に関しては、現在の最新の彫刻機械で彫った物でも、切削面に粗があったり、細部の表現が出来なかったり、手彫りに比べて品質が圧倒的に劣ります。そういった理由で我々のような手彫りを専業とする店が残っているのだと思います。


お客さんが納得する手彫り

──京都には何軒ぐらいハンコ屋さんがあるのですか?

京都でハンコ屋は50軒程度あると思います。ただ、うちみたいに彫刻機を置いていなくて、全て手彫り、手作業という店はおそらく数件です。私の知る限りではもう1店舗ありますが、その他は何らかの形で彫刻機械が置いてあるんです。うちでは一度も彫刻機械を置いたことがありません。これはプリンターに例えると分かりやすいと思います。昔は年賀状の宛名を一枚一枚手で書いていましたが、プリンターを使えばすごく楽だと思います。そして、一度プリンターを使ってしまうと、もう手書きには戻れないと思います。手彫り印鑑製作の一番重要で難しい作業に「文字を反転させて(鏡文字)、印面に書き込む」作業があります。つまり、「あらゆる書体の鏡文字(反転させた文字)が書ける」という事が、非常に重要なんです。彫刻機械を使用すると、その作業は自動的に機械が行いますので、必要ありません。これに慣れてしまうと、自分で鏡文字を書く作業をしなくなると思います。となると、手彫りには戻れなくなります。

──機械と手彫りでハンコの制作手順に差はありますか?

機械で彫るよりも、手彫りの方が自由が効くので、お客様と対面で「どんなデザインがいいですか?」とお聞きするところから始まります。下書き(印稿:いんこう)を書いて、大体こんな感じになりますと言うのをお見せして、ご希望通りに修正を行い、了解を得てから彫刻作業に入ります。他のハンコ屋さんでは、書体を指定して、できた時に初めて仕上がりが分かることが多いと思います。うちでは印稿の段階から全部お見せして、必要な箇所は全てご希望通りに修正してから彫刻作業を行いますので、仕上がりまでの不安感は少ないと思います。


──実際にお客さんから調整を依頼されることはありますか?

印稿をお見せすると、出来上がりがそこから少しでも違うと「印稿と違います」と怒られます。印稿からほんの少しでも狂うと別物になってしまって、「印稿の感じが気に入っていたのに」と言われます。実は、すごく細かい所をお客様は見られていて、例えばこういう線でも若干最後を上に反らしているんですが、そこが真っ直ぐになっていたりすると、「印稿の反っていたのが良かったのに」などと言われます。ハンコは本当に細かな所で雰囲気が大きく変わってしまいます。

──どんな素材を使うことが多いですか?

使うことが多いのは柘(つげ)、黒水牛、オランダ水牛(白水牛)です。大きく分けると、英語でBuffaloと呼ばれている牛の角が黒水牛です。CowとかBullと呼ばれている牛の角が白水牛です。あとは象牙です。政府の販売許可証が無いと一切取り扱いが出来ませんが、うちは許可証を持った正規販売店ですので、国内在庫に関しては今まで通り、取り扱いが可能です。その他では落款(らっかん)で使用する石材関係です。こちらは書家や画家の方など、芸術関係の方々の需要が高いです。珍しい印材としては桧や楓、杉や桜といった印材も取り扱っています。木目の種類や粗さによっては元々印材に適さない木材もあるのですが、最近の技術で、木材を高温で圧縮加工する事により、印材として使用できる物が増えてきました。

彫る以外の知識が生きている

──何年この仕事をしたら一人前になれるんですか?

ハンコに関してだけ言うと、ます習字等の知識が必要です。色々な書体の「良い字」が書けないと駄目ですので、それだけでも最低3年~5年はかかると思います。その後に彫刻作業(彫る)の修行が必要で、昔は「10年かかる」と言われていました。その他の工程を含め、ゼロから始めると1人前になるまで20年くらいはかかると思います。私の場合、学生時代に工学部で学び、そのあとに自動車関係の会社に入社しましたので、材料や加工、工具(道具)の知識はありました。

──会社員時代の知識が役立っていることはありますか?

通常、手彫り印鑑製作の修行に入ると、師匠や先生の使っている道具と同じ物を使う事が多いと思います。彫刻作業に使う彫刻刀を「印刀:いんとう」と呼びますが、通常の印刀は包丁などと同じ「鋼:はがね」で出来ています。ですが、私は先述の通り、自動車製造の機械加工で使用する鋼よりも固くて強い、色々な金属の知識があったので、一般の「鋼」以外の金属で印刀を作ったりしています。非常に良く切れ(彫れ)ますので、彫刻スピードが早く、研ぎ直しの必要も少なく、技術習得の効率が良く、1年くらいで彫れるようになっていました。習字は昔に学んでおり、字を書くことは出来たので、あとは文字を反転させる技術(鏡文字を書く)が課題でした。「鏡文字を印面に書く」技術を習得するために、自分なりに色々と工夫しました。私は印稿を方眼紙に書くんです。お客様にお見せした時に分かり易くするためです。鏡文字を印面に書く際に、印面にも方眼があると非常に作業がしやすいと思いました。ですが、様々な形状、サイズの印面の中心を出し、そこに1mmの方眼を書き込む方法がありませんでした。そこで、それを出来るようにする仕組みを考え、治具を作成し、あらゆる印面に方眼を書けるようになりました。

──すごく細かいですね!

印面は、本来は朱墨を塗っているだけで、方眼はありません。自分で印面に方眼を書いてしまえば、特に初めは作業がやりやすかったです。反転に迷った際、「上から3マス目、右から4マス目・・」みたいに反転の補助が出来ますので、楽に作業が出来ました。この作業を繰り返していき、今では実際は方眼が無くても、頭の中で方眼をイメージして、どんな文字、図形、絵柄でも反転出来るようになりました。こういう、作業がスムーズに出来る工夫は、思いつく限りの事をやりました。自分なりに色々と考えて実践して、を繰り返したので、作業の習得が早かったのかもしれません。前職の自動車の設計では、公差±0.001mmとかで図面を書いていましたので、1mmの方眼では正直粗すぎるのですが、それでも方眼の有る無しでは、反転の正確性に雲泥の差が出ます。これまでの知識を利用して、一般のハンコ屋さんよりも精度を高めたり、他店がやっていないことを導入したので、独自の技術、うちでしか出来ない作業が増えていきました。

──職業病ってありますか?

色々な物を見る時に、「どうやって作られているのか」「どんな道具を使っているのか」をいつも考えています。最近、台湾の友人に手作りの釣り竿を貰ったんですが、竹で出来ているのですが、竿の伸縮する部分の嵌合が完璧で、どうやって調整しているのか気になって、分解して確かめたりしました。プラスチックとかなら、設計段階で調整している事が分かるんですが。北海道の木彫りの熊とかでも、この部分はどんな刃物でどの向きに彫ってるのか、とか見ながら考えています。色々興味があるので、自分の印刀でも、極限まで細い印刀を作って、試したりしています。彫刻機械で使用するドリルや、一般の印刀では、ここまで細い線は彫れないと思います。


これが実際にその印刀で彫った印影です。

──うわすごい!!とても細かいですね!

私たち、いわゆる「職人」にとって、最終的に一番大事なのは「道具」だと思います。(技術の習得はもちろんですが)最終的に「道具さえあれば出来る」という段階に来ます。この印鑑も、この印刀さえ渡せば、同じように彫れる人はいると思います。ただ、その印刀がないと絶対に彫れない。無い道具を自分で作る、というのが一番大事だと思います。京畳や金箔の職人さんとか、他業種を含め色々と周りの人を見てみると、やはり優秀と言われている方々は、皆さん必ず独自の工夫をした道具を使っておられます。道具は本当に大事だと思います。

京都の街からヒントを得る

──道具や材料がなくなって廃業されてしまう職人さんもいるとよく耳にします。

そうですね。この印鑑の蓋を「サヤ」と呼ぶんですが、この「サヤ付きの印材(彫る前の印鑑の材料)」が手に入りにくくなってきています。一本一本、サヤのサイズが微妙に違い、印材を作る職人さんが手作業で調整しているんです。例えば同じサイズの印鑑同士でサヤを交換すると、片方はキツくてサヤが閉まらず、片方は大きすぎてグラグラになります。サヤの精度がとても大切で、抵抗がなくスムーズに開閉できるように、一本一本調整されています。この調整をする職人さんが、高齢や後継者不足のため少なくなり、サヤ付きの印材が品薄になって来ています。

──他にも仕事をする上でこだわっている点はありますか?

こだわりで言うと、印鑑ケースですね。昔の印鑑ケースは「舟型」といって、平らな面があるんです。現在の印鑑ケースは、全て曲面で構成されている物がほとんどです。また、内部にも違いがあり、昔の印鑑ケースは「肉池(朱肉)」が無いものがありました。現在では、便利なのでほとんど付いていますが。肉地が無いほうがコンパクトに出来ますし、「印鑑の保管」と言う面で見れば、同じケース内に「油分を含む朱肉」は無い方がいいんです。特に油分を吸収してしまう木製の印鑑に対しては劣化を早める原因にもなります。私は昔の「舟型」が好みで、「自分で手彫りした印鑑は、自分が納得したケースに納めてお客様に納品したい」一心で、肉地無しの舟型の印鑑ケースを復刻したんです。日本中、当時の職人さんを探し回って、ようやく「舟型」を作れる職人さんを見つけて、やっと復刻出来ました。このケースの本体は、木製なんです。木製の本体に本革を貼り付けて出来ています。これも、職人さんが、一個一個、手作業で木を削って成形して、2つに割って、印鑑を納める部分を彫り込んで作られています。木製なので非常に軽いんです。

──ほんとだ、軽いですね!

最初に話を持ちかけた時は、職人さんに「これは面倒くさいんやぞ」「一個一個手で削るから、納期もかかるしコストもかかる」「なんで今さらこんな物つくるんや」とか言われました。こういう時は、こちらが真剣に話をしないと、絶対に話を聞いてもらえません。「うちでしか取り扱いのないケースに納めて納品したい。絶対に舟型のケースが必要だ。」と何とか説得し、構想から完成まで5年位かかりましたが、出来上がりの品質には非常に満足しています。現在流通している印鑑ケースはほぼ100%大量生産品ですので、この手作りの舟型復刻ケースは貴重だと思います。ご納品の時に、お客様に現行のケースか舟型復刻ケースかを選んで頂くのですが、ほとんどのお客様が舟型を選ばれます。良いものには必ず需要があります。

──京都だからこその良さはありますか?

あります。京都は職人さんが多いので、色々な職人さんの道具を見れる機会がすごく多いんです。例えば京の名工とか未来の名匠などの展示会や、ものづくり関係の体験会等で、色々な業種の一流の職人さんが集まる機会が頻繁にあったりします。そこに行くと、仏像を彫っている職人さんがすぐ横にいたり、金箔の職人さんが目の前で実演していたり、そういった方々と一堂に会する機会っておそらく他の県ではあまりないと思うんです。

──知識を蓄えられていいですね。

そうですね。手仕事のヒントだらけです。私みたいに何かちょっとでも面白いものがないかな、といつも考えている人間がそこに行くと、全部が好奇心の対象になってきます。「これは応用できるかも・・」というものに出会えます。ですので、そういうアンテナを張り巡らせておくと、京都はすごく良いことが多いです。


──最後に今後の展望を教えてください。

社会情勢として、今後、ハンコ屋さんはおそらく減っていくと思います。でも、「良い印鑑」「気に入ったハンコ」が必要な人というのは必ず存在すると思います。そういった方々の注文を、どれだけ柔軟に聞くことができて、ご希望どおりの印鑑を作れるか、が勝負になってくると思います。私の知らない注文がまだあるかもしれないですし、そういったご注文に出会った際、それを実現できるような道具等のベースをきちんと作っておくことが大事だと思います。道具と技術をセットで毎日アップデートしていくこと。自分の技術というものをどんな状態でも100%発揮し、それを説明出来るようにしておくこと。自分で分かっているつもりでも、説明できない事があったりするので、きちっと毎回、自分の作業の意味を確認する。日々のお客様との会話を真剣にする。そういったことを常に心がけて行こうと思います。



職人interview
#83
田中文照堂
田中大晴

文・撮影:
則包怜音(油画コース)

インタビュー:
則包怜音(油画コース)
安彦美里(基礎美術コース)

撮影:
安彦美里(基礎美術コース)


田中文照堂HP:
https://www.bunnshoudou.jp/

職人interview
#83


印章|独学から始まったハンコ業

印章(印鑑)製作工程の全てを手作業で行う田中文照堂。
今回は五代目である田中大晴さんに、創業当時の資料や作業工程を見せて頂きました。彫刻機械を置かず、手彫りのみを専業にしているハンコ屋さんは、田中文照堂を含めて京都に数件しか無いそうです。手彫りにこだわった背景にある、道具や素材の知識の数々をお聞きしました。