職人interview
#77


竹工芸|京都ブランドを高めていく

竹という素材を大切にしながら、日常でも使いやすいデザインの竹籠バッグを制作されている「竹工房 喜節」さん。今回は専門学校の卒業制作で制作した竹籠バッグに改良を重ね、竹工芸を通して京都ブランドに貢献することを目標に活動されている細川秀章さんにお話をお聞きしました。

竹工芸にたどりつくまで

──創業はいつになりますか?

竹工房喜節としては10年前になるのかな。僕自身が竹工芸を仕事としてはじめたのは、今から15年前の2006年です。

──竹工房 喜節の「喜節」の由来はなんですか?

節が竹を表してると自分は思っていて、やっぱり、節がないと竹は伸びていかない。ただずっと伸びていくのは強度的に無理な話で、節が途中でちゃんと筒を押さえてるから伸びていくんです。節があってこそ、うちで作ったものとして喜んでもらう。喜んでもらうものを作って、自分も喜べる。
そうやって、使う側も作る側も竹を喜びたいっていうことで「喜節」という屋号にしました。

──お店を開くまでの、5年間はどのように活動していらっしゃったのでしょうか?

僕は31歳で京都に来て、伝統工芸の専門学校に入って2年間学んで、33歳の時に卒業したんです。でも、弟子入りするところや就職口がなかったんです。かといって、無理でしたと言って、また東京の方へ帰るわけにいかないので。よく分からない中、自分で竹の仕事を始めますって言って勝手に始めたんです。だから、最初は工房名もなく、個人名で始めました。

学校を卒業したのが2007年で、3年目ぐらいの時に昔から作ろうと思っていたバッグを作って、それをちょうど百貨店さんで扱ってもらえるようになったときに、自分の工房を事業登録して開設しようって思って、始めたのが2011年だったんです。
だから、いきなり喜節として始めたんじゃなくて、最初は助走期間みたいなのがあって、その助走期間も学校の近くにある共同の工房の一角を借りてやってました。百貨店さんが扱ってくれるようになってからは、打ち合わせのためにわざわざ1時間ぐらいかけて都心部まで出向くのが大変だと感じるようになったタイミングで京都市内に出てきて、そこから本格的に工房を構えるようになったっていう感じですね。

──元々、東京にいらっしゃったんですか。

そうですね。住んでたのは、神奈川県の川崎で東京の印刷会社に11年勤めてました。

──そこで伝統工芸とか竹工芸に興味をもたれたきっかけはなんですか?

元々、手でものをつくることが好きだったので、趣味の範囲で色々つくっていたんです。釣りも趣味だったので、釣りの仕掛けを作ったり、ルアーとか竿を作ったり、その道具を入れる箱を作ったり。あとは、アクセサリーを作ったりとか、もう何か暇があればものを作ってたっていう感じで。

でも、何でそれを仕事にしたいって思うようになったかっていうと、元々、印刷会社に11年ぐらい勤めていて、やっぱり、30歳近くになると一回自分を見直す時期が来て、僕の周りでもそういう人が結構いたんだけど、この仕事をこのままずっと続けていくのかなみたいなことを考えるようになって。

元々、百貨店の職人展とかでやっている実演をよく見ていたので、伝統工芸を仕事として、今までとはちょっと違う目線で見たときに竹工芸が結構気になって。他の工芸に関しては、趣味の範囲でちょっとお試しでできたりする教室があったり、本屋に行ったら入門書みたいなものがあったりとか、後は、東急ハンズとかに行けば材料が売っていたりとか。
独学でもやろうと思えば少しできそうだなと思っていたけれど、その中でも竹工芸に関しては全然入り口が見つからなかった。竹ってどこで売ってるんだろう、その竹をどうすれば籠にできるんだろうっていうのがわからなくて。本屋さんにその当時2冊ぐらい本があったんだけど、専門的過ぎて読んでも分からなくて、これは本格的に教わらないと仕事にできないんだろうなと思って。
あとは、竹っていう素材が自分に合ってそうだなって何となく思って。

それから、竹工芸が学べる場所を探しはじめて、求人しているところはないかなと思って調べたんだけど、全然なくて。たまたま調べた職人さんのホームページにこういう仕事に就くにはみたいな入り口がいくつか書いてあって、その中で京都には伝統工芸の専門学校があると知って、体験入学に行って、ここで学ぼうかなということで京都に来たっていう感じですね。

──迷いとかはありませんでしたか?

やっぱり、印刷会社に10年勤めてたので、一緒にいい仕事をしようとか、会社仕事を良くしようっていう風に協力してやっている同期もいたから、そういう人たちを置いて自分が辞めるのはちょっと心苦しいところがあったけど、30歳を過ぎて、結婚、育児、介護などで、これからどんどん身動きが取れなくなってくるので、夢はあるけど諦めちゃうっていうような状態になる人もいるから、今やるしかないなと思って。

別に引っ越ししなくても始められることだったら、もうちょっと心構えが緩かったかもしれないけど、神奈川から京都まで引っ越してきてってなるとそう簡単にはいかない。無理でしたって戻るわけにいかないから、そういう意味ではもう吹っ切れてたっていう感じです。

──学校以外で技術を学ぶことはありましたか。

そうですね。竹工芸の籠作りに関してはやっている人が京都市内を探してもほとんどいない状態なので、基本的には学校で2年間教わったことがメインになっています。

ちょこっとやっている人は結局、学校の卒業生だったりするから、同じことを習ってきた人たちになるし、たった2年間では足りないんですよね。技術としても、竹工芸ってこの材料づくりが自分の思い通りになるようになるまで3年ぐらいかかるって言われているから、材料づくりだけでも3年はかかるのに籠全部ひっくるめて2年間でやるっていうのはかなり無理な話で。

自分でやるっていったから、やるしかないし、仕事に関しても学校で教わったことをそのまますればいいという都合のいい仕事は来なくて。

こういうのできないかって言われたものがやったことのないようなことでも、自分なりに考えて「できます」って言って、値段も抑えて、徹夜してでも完成させる日々がしばらく続きました。
ただ、その中でも学校で教わっていた先生のところに編み方をちょっと聞きに行くことはありました。あとは、ずっと昔に先生のところに弟子入りしていたような竹の技術を持ってる人がちょっと教えてくれたりとか。でも、ほとんど自分で考えてやってくしかなかったっていう感じですね。


経験を活かした竹籠バッグ

──工芸品はご自分で試行錯誤されてつくってきたという感じですか?

学校で教わった範囲のことなら、別に自分じゃなくてもできる人はいるんですよ。そうなると、仕事の綺麗さとか価格で比較して、いい方が選ばれるんだけど、自分にしかできないものだったら、自分のところにしか注文が来ないから、そういう意味では独自性が出せるようにと考えています。

──その独自性というのはどういったところなのでしょうか?

うちの場合はやっぱり、竹籠をバッグの形にしたっていうのが一番の特徴かなと思っています。昔ながらの手提げのバッグじゃなくて、トランクだったり、ブリーフケースだったり、クラッチバッグだったり。今までにない形で、更に竹工芸の技術だけでなく、その他の技術がないと形にできない構造になっていて、その辺で趣味の範囲で色々やっていたところが活きています。竹工芸の技術だけで考えるとできないんだけど、他の技術を組み合わせると形になるっていうのが、独自性なのかなと思いますね。

──バッグにした理由はありますか?他の小物とかではなく

通っていた学校では2年目の最後に卒業制作を発表するんだけど、そこでの製作はすごく自由で、面白いものを作る人もいれば、トラディショナルなものにチャレンジする人もいて。
でも、僕は卒業してから自分で竹工房をやっていくって決めてたんで、自分が何をやっていくかっていうのを卒制で見せたいなと思って商品になるものをつくろうと決めました。どんなものをつくればいいかというと、

①今までにない商品で自分にしかできないもの
②ちゃんとニーズがあるもの
③自分のつけた価格でちゃんと成り立つもの

これを満たすものができれば、仕事としてやっていけると思って、そういうものを探しに百貨店に行ったり、雑貨屋さんに行ったりして、色んなものを見て、色々考えて。
でも、結局、そういう真新しいものはなくて、本当に見つけたかったものは見つからなかったから、やっぱり、自分の発想としては滑り止めみたいなところに置いていたバッグという案で行こうっていう風に考えて。
バッグといっても、旅行にも仕事にも使えて、男の人でも使えるっていう今までちょっとなかったようなバッグを作ろうっていうことで作ったら、結構評価が良くて、その年でトップの評価を貰えて、実際に百貨店の人にこれは商品化しないんですかって言われて。

だから、昔からバッグがすごい好きで、バッグをつくりたかったわけではなくて、自分がやっていくにはなにがいいのかっていうので、行き着いた先がバッグだったっていうこと。バッグって外国のブランドとかだと物凄く高いものもあるので、やりようによっては成り立つなっていうのが見えてきて、その時点で一つ、バッグはありだなと思った。ただ、卒業してすぐバッグ作りをはじめた訳ではないんです。やっぱり、トランクの形にしたけど、結構見直す点があって、そこをどうクリアするかっていうのを考えなきゃいけなかった。

最初に言ったように、全部都合のいい仕事ばかりではなくて、一発勝負みたいな、やったことはないけれど、とりあえず形にして納めるみたいな仕事も多くあって。でも、そういう仕事が継続的に来るかというと来なかったりとかするから、このやり方は体力があるうちしかできないなと感じて、自分から商品を展開していくかたちにしようと思いました。作り方が確立したものに対して、注文が来るっていう形じゃないと、長く続けていけない。それが、学校を卒業して3年目ぐらいのときのこと。
以前の課題を洗い直すようなバッグをつくろうと思ってつくったセカンドバッグが百貨店さんで扱われるようになったので、そこから本格的に仕事を始めました。

──一人でバッグを製作できるようになるまでどれぐらいの期間がかかりましたか?

先ほどもお話したように、学校を卒業して三年経った頃にはもう、ちゃんと商品として展開できるように考えてつくっていたので、一応形にはなっていました。形になっていて、商品として出せるようにはなっていたんだけど、やっぱり、全然甘いというか。

特にバッグの内装。バッグの中に仕切りがあったり、ポケットがあったり、ファスナーの付いたポケットがあったりっていう、機能性の部分が求められるのがバッグで、外側に関しては最初につくったものから全然変わってないんだけど、中がどんどん変わってきています。

最初はもう、極端な例だと竹籠のバッグだから売り場に置いてあると雰囲気はいい。だから、お客さんは「こんなのあるんだ!」って手に取ってくれて興味を持ってくれるんだけど、中を開けて、ちょっと残念な顔をされる。「仕切りがあったら使いやすいのにね」とか、反応があって、そこが課題だなと思っていた時に今の奥さんと知り合って。うちの奥さんがミシンを持っているから、これくらいだったら縫って作ってあげるよって言ってくれて、それで、中が凄く充実するようになって。
そうすると手に取ってから購入してもらうまでの時間がどんどん短くなっていって、ちゃんとバッグとして見てもらえた。だから、外見は全然変わってないけど、中はどんどんグレードアップしていて、そういう意味では今も改良してる。もっと良くできないかとか、いい生地がないかなとか、そういうことを二人で色々相談しながら作っているので。

最初のやつはよくこれで出せたなっていうぐらい残念な感じだったので、うちの奥さんがいなかったら完成しなかったですね。最近は中の方が褒められるんです。竹籠のバッグを見慣れている人からすると、そこまでちゃんと中にこだわってつくっている所は少ないから「奥さんすごいね。褒めておいて」って言われる。やっぱり、バッグはバッグっていうプロダクトとしての難しさがあって、ただ形にすればいいわけじゃない。
機能とか目的とかっていうのが結構要求されるものだから、金具一つとってもすごく難しい。革の部分も、最初は自分で革屋さんに行って、革を買ってきてきて、加工してやってたんだけど、百貨店のバイヤーさんに見せたら「この革のところ、もうちょっと良い革を使えないの」と言われて、もう、1発で見抜かれてしまう。

でも、これは自分でつくり始めたものだし、誰かにやれって言われたわけじゃないからね。「いや、そこはちょっと僕、専門じゃないんですよ」って逃げられない。自分でつくったバッグなんで。だから、革もそのパーツ全部作ってくれるところを探して、金具もオリジナルで作って、そうやって、竹籠じゃなくてバッグとしてのクオリティーを上げていかないといけないっていうのが結構大変です。

──その革の部分は今は他のメーカーにお願いしているんですか?

はい、お願いしています。

──これも京都市内で作っている革なんですか?

これはね、大阪の人がやってくれてて。

── 先ほど、デザインの話があったと思うんですけど、デザインのアイデアはどういう風に出していらっしゃるのですか?

バッグを見て「もっとこういうので」って言われることがあって、それで形にしてみようかなとか。ブリーフケースも基本的には手に持つ、肩掛けにするっていう使い方なんだけど、「これ背負えたらいいのにね」って言われて、確かに自分も自転車で出かける時に背負えたら楽だなと思ったりとか。クラッチバッグも、バッグってある程度容量がないといけないと思ってたんだけど「もっと薄く作って」って言われて、「あんまり物は入らないけどいいですか」って聞いたら「これはアクセサリーとして持つだけだから、薄くていいの」って。

あんまり男の人はそういう発想がなくて、しっかり容量を確保しなきゃと思うんですけど、女の人はアクセサリー感覚で持つこともあるから、そういう意見を聞くとそういうバッグもありなんだなと思って。やっぱり、要望があればなるべく応えたいなと思っていて、だから、僕の中からデザインの発想が出てくることはあんまりなくて、お客さんから聞いた意見をもとにつくることが多いですね。

──そういった声はやっぱり百貨店とかで販売、実演をする中で聞くんですか。

百貨店さんからは年に何回か催事のお声がけをいただいていて、その時はなるべく実演もして、お客さんの希望を聞いて受けるようにしてますね。

──製作は奥様と二人でやってらっしゃるんですか?

そうですね。基本的には僕が外側をやって、家内が縫製してくれて一つにしてるんだけど、今、一人弟子がいて、竹の仕事に関しては、その弟子と二人でやっています。

──その方は結構お若い方ですか?

彼女は今25歳かな。

──やっぱり、同じように学校を卒業されてお弟子さんになるという感じですか?

そうですね。同じ学校の卒業生なんで後輩になるんですけど、彼女は3年生の時に一回、他の同期の子達と見学しに来てくれて、その次の年の夏休み前に学校を卒業したら、竹の仕事をしたいと相談に来てくれて。うちで竹の仕事をやりたいって言ってくれたんだけど、うちはそれまで人を雇ったことなくて、自分一人でやってきたから、少し悩んで。それで、夏休みに1週間、インターンシップでちょっと仕事をしてみて、仕事としてもう一回考えてまた連絡くださいって言ったら、年明けに「やっぱり仕事したいです」って連絡をくれて。今4年目ですね。


工芸は材料づくりから

──制作される中で一番こだわってることはありますか。

こだわってるところはやっぱり、「使いたい」って思ってもらえるようなものを作らなきゃいけないと思ってます。うちのバッグって、デザインとしてはそんなに奇抜なものを作ってなくて、バッグとしてはオーソドックスなものを作ってるんだけど、それが竹の素材で作るだけで、雰囲気がガラッと変わるので。それを使いたいって思ってくれる人がいた時に、ちゃんとその思いに応えられる、これ使って良かったって思えるようなものにしないといけないなと思ってるので。そこはこだわってるところですね。

──作る工程の中で一番難しい作業は何ですか。

それぞれ難しいんだけど、竹の仕事で言えばやっぱり材料作りが一番難しい。材料が綺麗に出来てるか、作りたい物の形とか編み方に適した厚さ、幅ができてるかで、もう、全体が決まってしまうので、材料作りが一番気が抜けないかな。


少ない道具を使いこなす

──どんな道具を使ってつくっていらっしゃるんですか?

主に竹割包丁っていう竹を割って材料を作る道具を使います。
台の丸太も道具になっていて、硬さ、柔らかさ、粘りがちょうどいいっていうのを聞いたことがあるので、松の木を使っています。大きいものを作ろうとも小さいものを作ろうとも、今の道具で細い材料から幅の広い材料まで全部作れる。だから結構他の工芸だと道具箱の中にぎっしりこう何百本と刃物であったりとかノミがあったりっていう職人さんもいるんだけど、竹工芸に関しては非常に道具がシンプル。

──その道具はもうずっと長く使っていらっしゃるんですか?

包丁は学校に入った時に教材の一つとして購入するんだけど、その時から使ってて。一回柄の部分が割れてしまったので、もう一回木を削って作り直して、自分なりに3ヶ所止めたりとかして、使っています。

──切れ味が悪くなったら研いだりして使うんですか?

これは基本的に研がないんですよ。ほとんど切れ味が必要ないというか。それなりに尖ってればいい。逆にこれが切れ過ぎると勢い余った時に大怪我の元になってしまうので、これは一回も研いだことがないですね。でも、小刀は研ぎます。

──もうこの道具だけで完成するんですね。

あと細かい作業すると千枚通しが必要だったりするんだけど、基本的には竹かご作りに関しては少しの道具で事足りてしまう。逆に言うと、この辺を使いこなして物凄い細い材料とか広い材料を作らないといけないので、非常に感覚的なところが大事になってきます。
だから、学校で教わる時に、簡単な編み方から順番に編み方の課題がいくつも出されて、一つの課題が終わって先生に「次の籠の材料はどんなものですか」と聞いたら、先生が竹を割って、「こんなもんやで。」って渡してくださって。それを渡されたらこんなもんかって弾力と幅を自分で読み取って同じ材料を言われた本数用意する。
それは先生の中でこの材料であの編み方で編んで立ち上げたら、これくらいの籠になるっていうのがもう頭の中で想像できてるから。竹も1本1本硬い竹だったり、柔らかい竹があるから、同じ厚みで作ってるんだけど、今日は硬いなということがあったりするので。先生の中ではあくまでこの弾力、これくらいっていう感じなので数字で言えない。

これがいつも同じ弾力だったら、厚さ0.2ミリにとかって言えるんだけど、大事なのはこの弾力なので。自分が今から作ろうと思う籠にそれが適してるかどうかっていうのが、体で反応できるようになるまでで3年ぐらいかかる。編み方を教わるだけだったら1日もあればできるけど、トータルでやるとなると難しい。


竹のこだわり

──竹はどこから仕入れているのですか。

これは亀岡の竹屋さんから仕入れてます。

──竹屋さんというのがあるのですか?

そうなんですよ。竹を材料として扱ったりとか、竹垣を作ったりとか、そういう比較的大きい仕事をやっている場所です。

──どうやって運んで来るんですか。

竹や山から来る時は半分にしてます。要は倍の長さが1本4m50㎝、15尺っていうのが単位になるので、持ってきてもらってから半分に切ったりとか、半分にして持ってきてくださいって言って持ってきてもらってます。たまに竹屋さん行って選ばせてもらうんだけど、その時はこの倍の長さの竹を見て選んでます。

──青と白では何が違うのですか?

使い道で言うと、白の竹はこのまんま皮を籠を作る材料にします。青竹の方は、この一番外側の表面の硬い艶のあるところを削り落としてあげると染めたり、漆を塗ったりできるけど、このままだと全部弾かれてしまうので、皮のエナメル質を全部落としてあげて、そこから材料を作って、全部染めて、漆を塗って籠になります。

──どこで染めていらっしゃるのですか?

家の裏の水場の方で、染料をお湯で炊いてそれに材料を付けて染めてます。

──白い方は漆とかを塗らないのですか?

白竹はそのままですね。

──竹ひごを触らせていただいた時にすごく柔らかかったんですけど、編むとしっかり張るんですか。

そうなんですよね。1本1本だと柔らかくてちょっと頼りない感じだけど編むっていう作業をすると竹同士が重なって押さえ合うので非常にしっかりした形になる。だから、しっかり編むと編み目としてすごい繊細な感じなんだけど、全然動かない。


京都ブランドへの恩返し

──バッグ以外のものも作っていらっしゃるんですか?

先ほど、青竹と白竹があるって言ったんですけど、この白竹は実はちょっと特殊な竹で京銘竹と呼ばれてるんです。この白竹っていうのはこの青竹と同じ種類の竹なんだけど、油抜きの方法が違う。
一つはお湯で炊く方法で、もう一つは火あぶりって言われいて、大きいコンロの上で竹を回しながら炙っていくと、じわっと竹の油がにじみ出てくるので、それを完全に拭き取るんじゃなくて最低限コーティングするような感じで油ぬきをして天日で干す。そうするとどっちもクリーム色の竹になるんだけど、火で炙った方が凄く色艶が良い。この白竹はこの時点で京銘竹という工芸品になります。もうここに置いてあるのも工芸品です。

普通、籠作りの人達は、こっちの火であぶった方を使いません。お湯で炊いた方を使います。火炙りの竹っていうのは割れては困るようなものを作る時に使う。このまんま節のとこで切って、ここに窓を開けて花生けにしたりとか、建築材料に使ったりとか、そういうのに使われている。逆に言うとお湯で炊いた方は割れやすい。割れやすいから、籠籠屋さんの仕事では扱いやすい。値段も京銘竹の方が3倍ぐらいする。
だけど、明らかに京銘竹の方が色つやがいいし、この京銘竹という工芸品を材料に、うちで籠を作ったら工芸品を材料にした工芸品ができる。なのでうちでは、この京銘竹の白竹を使ったかご作りをちょっと進めているところです。そうやって、もうこの竹の材料が工芸品になってるっていうのは、全国でも京都だけ。

──他の県にはないんですか?

ないです。
なので、工芸品を材料に工芸品を作るっていうのは、本当に全国でも唯一なので、それだけ竹にこだわってます。今、いろんな工芸品の材料が手に入らない状況で、自分の産地では取れないとか、手に入れられないとか、他の産地に頼ってるとか、もっといえば海外から輸入してるとか。そういう意味では国内どころか京都で取れる竹、地元の材料で、地元の技術で地元の工芸品ができるっていうのは非常に貴重な存在になってくると思うので、なるべくこの京銘竹を使ってかご作りをして、京都の竹と竹工芸品の全体のブラントの価値を上げたいなと思ってます。

──やっぱり京都でやってらっしゃる意味っていうのはそういうところにあるんですか。

うん。そうですね。

たかだか学校で2年しか勉強してなくて、いきなり飛び出て仕事をした時にどこか他のところで実演してて、「どちらでされてるんですか」って言われて、「京都です」っていったら「ああ、やっぱり」っていわれる。

何がやっぱりなんだか分かんないけど、「もう京都はね。こういうの残ってるわよね」って言われて、その時点で何か本当にペーペーなんだけど、ちゃんとした職人さんていう風に見られる。それを裏切らないような仕事をしなきゃいけないんだけど、そうやって下駄を履かせてもらえるから、そこで助けられた部分というのは非常に大きくて。仕事にできてるんだったら、その助けられてきた京都のブランドを自分が上げて、これからやる人がそこで、またこうやってちょっとしたアドバンテージをもらえるような状態にしておかないと。

今、他の産地がすごい頑張っていて、そうすると京都の位置が相対的に低くなってしまうので、もう一回、やっぱり京都はすごいよねっていうところに持っていってあげたいなと思っていて、そういう意味ではこの素材からアピールするのもアリかなと思って取り組んでます。

──細川さんは手仕事の魅力についてどういう風にお考えですか。

これもね、人それぞれ捉え方が違うんだけど、一つ言えるのは、僕らが教わって、当然のように手作業でやってる仕事っていうのが希少なものになっていくということ。僕らが希少なものにしたんじゃなくて、周りが勝手に希少なものにしていく。

海外へ行くと特にそうなんだけど、ものすごくリスペクトされる。この技術が残っていることで、これをずっと続けてるということですごいリスペクトしてくれて。でも、僕らは別に変わったことしてるわけじゃなくて、勝手に周りの方が変わっていってしまってるだけ。
機械化とか、外でできることが増えちゃってるので、この先、工芸っていうのがどういう位置づけになってくのかは分からないんだけど、どんどん特別なものになっていってしまうような気がする。そうなると何か日常で使って欲しいと思っても、勝手に特別なものになってしまう。その辺、自分の作ったもののあり方っていうのも見直していかないといけないのかなって思ってて、特別なものって思われるんだったら、その特別なものとして作る心構えが必要になってくるので、難しいなって。

──特別なものになってしまうよりかは日常で使ってほしいっていう思いが強いということですか?

特別なものになってしまうのはしょうがないと思う。しょうがないと思うんだけど、それが特別なものだからといって触れない、高いところに持っておいて愛でるようなものじゃなくて特別なものだけど、特別な時にやっぱ使いたいよねって思ってもらえるようなものにしたい。

飾っておくものだと、もう本当に工芸品としての意味がなくなってしまうので、使ってもらえるもの。今度、海外に行くから、喜節のバッグを持って行きたいとか、そういう意味の特別なもの。買って、飾って、眺めて、それでおしまいじゃなくてここぞという時に使いたいって思ってもらえるようなものにならないといけないっていうこと。

──今後やってみたいことや、今後の展望はありますか?

さっき言ったように、これが作りたいっていうのは特にないから、一応バッグを作って今までやってきて、少しブランドとして確立しつつあるので、それをもっとしっかりしたものにしたい。
竹のバッグっていったら、京都だよねって言われるぐらいのところまで持って行きたいなっていうのと、竹のバッグ=京都になって、じゃあ自分も京都で竹のバッグ作ろうって思ってくれる人が出てきたら嬉しいなと思ってて、そういう意味では、今一人、家で働いてくれてるけど、家でこの先どれくらい雇えるか分かんないけれども、工芸をやる人を増やすことの力になれればなっていうのがありますね。

──去年、蘇嶐窯さんにお話をお聞きしにいったことがあって、その時に入り口にコラボされた作品が飾ってあって、そこで初めて細川さんのことを知りました。そういうコラボを今後やっていきたいなっていうのはありますか?

あれもうち発信じゃなくて涌波さんの方から器に竹編み付けられないだろうかっていう相談を受けて、うちなりに考えたのがああいう形だったんで、そういう意味では相談しに来てくれるっていうのは非常に嬉しいんですよね。その時に無理、できないっていうんじゃなくて、自分のところだったらこういう風にするとか、これならできるっていうので、何かちゃんと応えられるようにしています。

逆にうちのほうから、こうしたいんだけど、涌波さんのところでできないかなというのが、もしかしたら出てくるかもしれない。どっちにしても、しょぼいものにはしたくない。どうせやるんだったら、その蘇嶐窯+喜節じゃなくて蘇嶐窯×喜節でもっと大きいものにしたいと思ってる。
それもまた、京都のブランド価値の一つかなと思っていて、結構身近にいろんな工芸の人がいるので、相談した時にお互いプロフェッショナルでできたものが物凄いものになるっていうのが、京都の強みだと思ってるので、そういう相談があった時、相談した時にいいものができるようにしたいなと思っています。



職人interview
#77
竹工房 喜節
細川秀章

文・撮影:
工藤鈴音(クリエイティブライティングコース)

竹工房 喜節 HP:
https://takekobokisetsu.com/

職人interview
#77


竹工芸|京都ブランドを高めていく

竹という素材を大切にしながら、日常でも使いやすいデザインの竹籠バッグを制作されている「竹工房 喜節」さん。今回は専門学校の卒業制作で制作した竹籠バッグに改良を重ね、竹工芸を通して京都ブランドに貢献することを目標に活動されている細川秀章さんにお話をお聞きしました。