職人interview
#69


西陣織|技術革新があっても根本的な所は変わらない

京都西陣にある小さな工房、りんどう屋さん。
六代目の西陣織職人である佐々木英人さんにお話を伺いました。
佐々木さんはYouTubeの動画投稿やメタバースへの進出など、着物文化の新たな可能性を求めて精力的に活動されています。従来の職人という枠を超えた活動の裏には、どのような思いがあるのでしょうか。

技術革新があっても根本的な所は変わらない

──普段はどんなお仕事をされているんですか?

僕の今の仕事は織物を織る仕事がメインなんですけれども、頼まれて柄のデータを作る仕事もしています。

──Twitterのプロフィール欄に、幼少の頃より機械の音を聞きながら育ったと書かれていましたが、職人になろうと意識し始めたのはいつ頃からですか?

特に意識した記憶はないんですけど、なんとなく親の仕事手伝うような感じになっていたんで、気がついたらやってるパターンでしたね。高校や中学の時からずっと親の仕事を手伝ってたんで。だから特に仕事という感じじゃなくて、流れるままにしてしまってた感じですね。

──周りで就職や進学したりする人が多かったかと思いますが、そこで葛藤はありませんでしたか?

無くはなかったですね。
なんというか、そんなに裕福な家庭ではなかったので、大学も行けたらなと思ったんですけど。親の仕事を手伝ってるうちにこれに慣れてしまったっていうかね。葛藤はちょっとあったけれども、特に悩みもしなかった感じです。

──技術を身に付けるために、どういうところから始められましたか?

織る技術に関しては、自然と親のやってることを真似て聞いたりしてましたね。実際、織場には小学校から立ってたんで。
別にやれと言われてやったわけじゃ無くて「ああ、面白いな」と思ってました。特に覚えようという感じじゃ無くて、織場で遊んでたら自然に覚えていった感じですかね。

──工房の力織機は何年くらい使われているんですか?

恐らくですけれども、30年か40年近くは軽く経ってると思います。
西陣織というのはその頃からあんまり機械が進歩してないんです。レピアと言われる高速織機とかもあるんですけれども、ちょっとこういう織機・織物には向いてない織物なので。

──高速織機と力織機の違いはなんですか?

スピードで言ったら、力織機が1分間に100回転するならば、高速織機は400回転とか。早いやつやったら1000回転するのもあります。
トヨタの博物館に置いてあるんですけれども。元々トヨタって自動車じゃなくて織機を作るメーカーなんですね。トヨタは今でも高速織機を作っているんですが、それはもうプリンターのようにできあがります。
音がすごいんですよ。ガチャンガチャンじゃなくてブーーっていう音で、「こわっ」ていうくらいのスピードで織っていきはる。

──できあがりも違うんですか?

もう写真のような織物を織りはられます。
怖いくらいです笑

──力織機は機械ですが、人の手が加わることはありますか?

ほぼ手がかかります。
力織機って動力モーターでは動かすんですけれども、細かなシャトルの糸の調節、綜絖(そうこう)の糸の張り方、機械の開口のタイミング、開口の広さ、さまざまな所で微調整を手でしていかなきゃならないので。勝手にボタン一つでポンッと織れますっていうもんではないです。
まあ唯一シャトルの打ち込みだけが、さっきみたいにガチャンガチャンと一定間隔で打ち込んでくれるので、それは機械の良いところなんですけど。
他はもうほぼ手で調節して行かなあかんので、結構大変ですよ。

──調整というのは見てわかるんでしょうか?

大体見てわかるようになります。
例えば、金糸はある一定以上のテンションがかかってないとほにゃほにゃって縮れて絡んじゃうんですね。絡んだまま織り込んでしまうと傷になるので、糸をずっと張れるように。
右に行っても左に行っても、この糸の張りが必ず張ってるようにしなきゃいけないので、これを調節するのがちょっと一朝一夕ではいかない。感覚で覚えていかなきゃいけない感じですね。

──その感覚はどのくらいで身につく物なんですか?

まあ一年やりゃなんとかなると僕は思ってるんですけども。
自分の中で注意深くやれる人ならば問題なくやれるんですけれども、人によってはなかなか注意深く見ない人もいるので、それが腕の差なんかなという感じはします。

──それは機械化しようと思ったら難しいのでしょうか?

機械化は無理だと思います。
結局機械を扱うにしても、その機械の微調整っていうのは人の手で感覚でやらなきゃいけないので。結構糸のテンションとかっていうのは、必ずこの数字でメモリーをやればこうなるって言うもんでは全然ないので。その辺りはなかなか難しいと思います。
1回織ってから調節で糸の張りを変えたりとか、シャトルが下に向いてたらそれを微調整したりとか。シャトル自体もそんなに均一な物でもなく、ひどいので1ミリ近く厚さが違ったりすると入り方も全然違うので、微調整かましたりする。それを全部機械では、メモリではできないので。入り方を見て調整かけて、このシャトルはこう入るなっていうのを見ながらやってます。

──人によって速さも変わったりするんですか?

基本的に200回転までは絶対無理やけど、最高120〜130回転ぐらいまではいけるらしいんです。けどそこまでくると十二丁の杼箱のスピード、シャトルを変える運動がちょっと着いてこうへんかもしれんと思ってるので、あまり早いスピードは実はしたくない。
もう120回転になるとすごい音しますよ。打ち出すスピードも全然違うし。でも、100回転で織るのを120回転にするとそれだけコストが安くなったりっていう話もありますけども。

──手織機と力織機の違いはなんですか?

手織機はシャトルの微調整というのがいらないんです。
でも逆に糸を一回打ち込む時の角度とか張り方とか緩め方、テンションのかけ方を手でちゃんと認識しながらやっていかなあかんので。それはそれでまた技術はいるんですけれども。
機械織(力織機)の良い所っていうのは、糸数を増やせるんですよ。経糸一本一本の先に100g,200gグラムの重りが付いてるんですね。これが3000本くらいあるんですよ。3000本×200gやったら。

──めちゃくちゃ重くないですか?

重いですよ。
60kgぐらいあるものをガチャガチャやってる。これを手でやろうと思ったらまず上がらないんですよ。ジャガードっていうのは大きものになると、手では無理ってなる。踏んで上がるのは100gとかぐらいまでで、それでもヤッ!って踏んで。1日ずっと踏んでられないんでね。

──こんなに糸があって絡まらないのかなって思っていたんですけど。

不思議なことに、絡むこともあるけど基本的には絡まないようにしてます。絡まないように糸を扱うんですね。「こういう風に巻いていったら、こういう風に出していけば絡まずにでてくる。」そういう風にできてます。

くだに糸を巻く機械。実際に巻いているところを見せていただきました。

「くだを巻く」の語源らしいです。お酒を飲みすぎると同じことばっかり言うとんなあっていう。ほんまか嘘かはわからないですけど。(後で調べてみると本当でした)

──シャトルは手作りですか?

いや、これはもう機械になっています。
手作りのシャトルっていうのは大体手機用の杼ですね。力織機のシャトルに関しては高速で飛ぶので、木の無垢のものだと必ず割れます。
この織機はささくれがちょっとでも浮いてるだけで、糸を全部ブツブツ切っていくんで。ささくれが出ないように、滑るときに当たる所は全部プラスチックで覆ってます。

──たしかに強度は必要ですよね。今後シャトルがなくなる可能性は?

ありますね。
現状はそれを西陣織工業組合の中に若手の織元さんっていう人らが集まって、これを持続化していく方法をちょっと考えています。
例えばそれを工作機械全般の西高で譲り受けて自分らで作るようにするとか。もしくは西陣織工業組合と産業技術研究所っていうところで、3Dプリンターを利用したシャトルの制作を考えてます。
一応研究してはるのでね、うちらが頼み込んでやってるもの。ピッカーに関しては既に日本製が無いのでね、台湾製なんですけれども。日本でもう作ってないんです。これも良くないことですね。やーめたって言ってしまったらもう終わりなんで。

中国でも同じような織機は大量に置いてあるらしいんですけれども、中国の方々は基本的には目が敏い方が多いので、もうこんな商売儲からへんと。とっとと最新の高速織機とか使った海外全般、全世界へ向けた商売をしてはると思うので。
昔に日本人の西陣とかの織元に頼まれて作ってた人はほぼいないです。

──佐々木さんはYoutubeで動画投稿もされています。Youtube動画などを拝見したのですが、どうしてYoutubeを始めようと思われたんですか?

元々ぼくSNSとかインターネットのITとかのことが好きなのでそういうので情報発信したいなと思って。お祭りのことやら京都の街のことを紹介するようなチャンネルにしようと思ってたんですね。
僕の知り合いとかの着物関係者も10年前くらいに初めはって、既に1万人とかぐらいのチャンネル登録者数を持ってはるんですけれども、僕もそれくらいの情報発信力欲しいなと思って5、6年前に始めたんです。
織仲間の小倉さんとちょっと喋らへんかって言って2人で喋るようになって、まあ2年くらいやってんのかな。かといって別に登録者数増えてないですけどね。前は50人程度やったんが今では300人、500人程度に増えたけれども、1000人はなかなか超えへんなと思いながら。

──Twitterなどとは違う発信の仕方という感じですか?

そうですね、切り口を違う感じにしたくて。着物関係者のYoutubeの情報発信者やと全部被るんですよ。あんまり被るのもどうかなって思ったんで。
Vtuberが面白いなと思っていたので、色々探してやってみたらある程度できたんです。じゃあ、ちょっとやってみよかと思って。弟子を誘ってやってみてはいるんですけれども。Vtuberで気になってる人が、「あれ、この人織物織ってはる人なんや」って思ってくれはったらラッキーかな。
人形劇みたいやなって思いながら頑張ってやってます。

──お弟子さんについてお聞かせください。

弟子は3人。
最初に入ってきた3人のうち1人は北海道に帰ってしまったし、1人は高校生が卒業して入ってきてくれはったんやけど、ちょっと方向性が違うっていう。よくある音楽性が違うみたいな感じでやめてしまって、他の方へ行きましたね。
創造的なクリエイティブな仕事かって言われたらそうじゃ無いかもしれへんし、同じことの繰り返しっていうこともあるかもしれへん。物は作ってるんやけど、予め全て準備されたものをここで織るってことなんで、織ること自体は労働に近いです。上手いことできてるかな、上手いことできてへんな、失敗したし直さなあかんなっていうだけのことなんで。
職人っていう作陶とかとはまた違うかもしれへんね。

──佐々木さんの活動を拝見して、私たちが今まで取材させていただいた職人さんのイメージとのギャップを感じました。

職人ぽく見えないねってよく言われます。
やり方とかあんまり職人ぽくなく、VtuberやYouTubeとかもやっていて。弟子への対応もやっとけみたいな感じではなくて、「できる?できない?できないなら俺やるわ」みたいな感じで(笑)
あんまり無理させたく無いんですよね。どうせしんどいんでね。

──お仕事の中で苦労されたことはどんなことですか?

お金の問題ですよね。
そんなに儲かる商売じゃないので、お金をどう工面しようかっていうところを毎年毎年頭を悩ませています。儲かるようにしたいです。儲からないと人が入ってこないので、儲かるような商売をしたいなって思いますね。

僕の最初の仕事っていうのは、こういうのを織ってくださいって言われたものを織る、機業っていう出機屋って言われる仕事やったんですけど。
僕が高校卒業してしばらくしてから自分で紋をつける、柄を制作できるようになったんです。柄データを新しく作れるようになりましたっていうことで、今度は織元では無いんやけども織屋のような仕事をしてはる人らがいて、別に西陣織工業組合に入ってはるわけじゃ無いけど西陣織扱ってるますよみたいな顔して売ってはる人がいて、そういう人らに対してOEM的な仕事を僕はずっとしてたんですよ。それで親父が亡くなったときになかなか値段が合わないことを言われたので、ちょっとそういう仕事無理やなみたいな。
それでサラリーマンしてから、復活はしたんですけどやっぱり大変やなっていう状況です。

足りないのは需要ですね。
言い方は悪いかもしれませんが、まだおじいちゃんおばあちゃんが生きているので、その方々の層はなかなか分厚くて。その層が西陣を支えているんです。
今70代、80代何ですよね。なのであと10年もしないうちに織る人いなくなるよねっていう。

──織る時間と、企画を立てる時間と、SNSを更新する時間とで結構パンパンになりますよね。

もうパンパンです。僕織物だけじゃなくてバイトしたりとかもしてるんで。そういうのも含めると一日15時間以上働いています。維持しているだけでも大変なんですけどね。
それももうちょっとしたら、むしろ供給の方が少なくなって需要の方が増えると思う。今まで供給していたおじいちゃんおばあちゃんの世代が辞めていきはるので。無理やり減っている需要が戻るならばありがたいけど、戻らなければ絶対このまま行くので。供給がそれに合わせられるんで。僕らはそのときに逆転するんじゃ無いかなって。まあどうなることやら。

──今もすごく厳しい状況だとお話を聞いていて思いましたが、それでも動き続けられる原動力は何でしょうか?

結局僕自身、この商売で食わせてもらってきたんですよね。親もそれで食ってきたし。そういうものが無くなるのも忍びないと思うので。
言い方悪いけど僕が残れば西陣織も残るんちゃうかなって思っているんで。まあ、残したいからですよね。基本的には技術革新みたいなものがあるんですが、基本的な技術は実は変わってないんですよ。昔から織物っていうのは糸をあげて糸を通す、その組み合わせをどうするかという根本的な生地の組織は変わっていないんです。
1000年以上工夫されてきたものがこういう形で伝わっているので、今まで培われてきたスキルが次の世代に残って、ある程度は淘汰されるかもしれないけど、根本的な織物を織るという技術は残していけたらなと思う。多少変わっても、根本的な所は変わらないように残せたらなって思います。
その気持ちが原動力です。

──新しいものを取り入れながらも、残したいものはありますか?

西陣織という産業自体を残したいですよね。
織機だけを残すならば、骨董品なのであまり意味がないのでね。ひょっとしたら織機自体が革新的に変わるかもしれないけれども、縦糸を上げて中に糸を通していくという織物の構造自体は変わらないと僕は思うので、それを残せるようにしたいなって思います。良いように変わってくれたらいいかなって思います。


職人interview
#69
りんどう屋
佐々木英人

文:
滝井智恵(クロステックデザインコース)

撮影:
中田挙太

りんどう屋 HP:
https://nishijin-online.org/pages/rindouya

職人interview
#69


西陣織|技術革新があっても根本的な所は変わらない

京都西陣にある小さな工房、りんどう屋さん。
六代目の西陣織職人である佐々木英人さんにお話を伺いました。
佐々木さんはYouTubeの動画投稿やメタバースへの進出など、着物文化の新たな可能性を求めて精力的に活動されています。従来の職人という枠を超えた活動の裏には、どのような思いがあるのでしょうか。