職人interview
#70


京扇子|時代に合う扇子

扇子のメーカーとして1718年から創業している「白竹堂」。扇子は分業制で細かく工程が分かれています。
今回は10代目である山岡駒蔵さんに扇子についてお話いただきました。

自分たちが持てる扇子を作りたい

──お店のことについてお伺いできればと思います。

私のところは1718年(享保3年)、江戸時代の8代将軍吉宗の時代に創業して、今年で304年になります。扇子のメーカーとして分業制でものづくりをしています。
元々は西本願寺の門前で商売をしていたと聞いています。お寺用の扇子を作っていたのか、参拝客用の扇子を作っていたのかは分からないけれど、お寺に関係あるものを作っていました。

──先代の方から継がれたきっかけは何ですか。

父親が体調を崩した時に手伝ったのがきっかけでこの道に入りました。やる以上は自分たちが持てるような扇子を作りたいと思い、それは何だろうと考えたら、興味のあることやファッションに繋がりました。

──「京都扇子団扇商工協同組合」だけが京扇子という名称を使えるとお聞きしました。京都にとって扇子は特別なものなのでしょうか。

国内産扇子の主産地というのは、京都が7割8割ぐらいを占めています。名古屋や東京のほうでも作られていますが、作り方が違ったりします。

──扇子の作り方について教えて下さい。

扇子の紙は、実は3枚の合わせ紙でできています。普通うちわだと表と裏を張り合わせて2枚の合わせ紙だと思うんだけれども、扇子の場合は3枚になっている。
日本独特の作り方で、海外ではなかなか真似できないようです。やはり扇子の紙というのは日本でしか作れない。それだけを作る紙屋さんも存在していて、京都にも何件かあるんです。

──扇子の種類について教えて下さい。

扇子には紙扇子と生地扇子の2種類があります。昔から扇子屋さんをされているのは紙扇子屋さんが多くて、製法は日本古来のものなんです。
例えばお茶のお点前の時に小さめのお茶扇子を置いて使う。それから日舞の時に使う舞扇も作っているし、将棋とか囲碁用の扇子もあります。
お寺さんの扇子もあります。普通、扇子はすぼまっているイメージがあるけれど、お寺さんの扇子というのは閉じた時に先が開いた形をしています。
京都には扇子屋さんが何軒かありますが、それぞれ得意のジャンルがあって専門性の高いお店が多いです。日舞の時に使う舞扇ばかりを製造する扇子屋さんも存在します。

──確かに舞扇子屋さんは京都の色々な場所で見たことがあります。

デザインも種類もたくさんありますよね。舞の流派によって違う柄を使うこともあるので、色々な扇子屋さんが存在するんです。


扇子屋さんはプロデューサー

──扇子づくりの分業制について教えて下さい。

私たち扇子屋さんはプロデューサー的なものです。
扇子の面には絵が描いてあるでしょう。扇子の上絵師という職人さんがいて、扇子の絵ばかり描く仕事をされていて京都には何軒も存在しています。その絵屋さんによって特徴があるので、狙い通りのものを作るために今回はこの職人さんに頼もうという感じで物を作っていきます。
扇骨は日本の島根県から材料を入れて、滋賀県の安曇川町で竹を細く薄く加工して、扇子の骨組みを作っています。

専門性の高い職人さんも多いです。例えば扇子の下部分の黒い所は要(かなめ)といって竹を取りまとめているところで、要屋さんというのも存在します。「肝心要」という言葉の通り大事な所です。要屋さんは要だけを朝から晩までずっとやっています。それぐらい専門性の高い職人さんがいて、わりと東山区にそういう職人さんが多くおいでです。

──材料に関して何か困っていることはありますか。

いい竹がコンスタントに取れないというところです。仕入れる土地の気候の影響で、竹の状態が変わることがあるんですよ。
竹というのは真ん中が空洞になっていて、地面から水分を吸い上げて大きくなっているんです。水分をたくさん吸っているところは水の管というのが太くなっていて、ちょっと柔らかい竹ができてしまったりする。
僕たちはなるべく目の詰まった硬い竹を使っているので、高地にあるものを使ったりするんですけど、いい竹が頻繁に取れることも大事だと思っているんです。
扇骨を加工する職人さんの高齢化も進んでいるし、何とか食い止めたいと考えています。

要の材料も変わってきています。今はセルロイドや金属のものを使いますが、昔はクジラのひげを使っていたんです。少し脂分を吸っていて、開閉がしやすいからというのがあります。


時代にあったものづくり

──新商品を作るときのきっかけはなんですか。

例えば服を買いに行くと、これが好きだなという目線で見るじゃないですか。同じように僕たちも、こういうターゲットの人はこういうものがいいんだろうなということを考えながら作っています。
江戸時代には、扇子を美術品として売っていた扇面売りが存在していました。扇面は当時の流行で、こんな柄がいいなと選んだりしていたんです。僕は、今でも扇子は流行のものだと思っています。今僕らは洋服を着ているし、それに合うような扇子を作っているから。
扇子の機能は素晴らしいけれど、昔のデザインは今に合わないこともあるので、やはり同じく流行に敏感になって扇子を作っています。

──店内にもいろんなデザインの商品が置かれていますね。

刺繍やラインストーンのものもありますね。ネイルのような感覚で、親骨に装飾したりもします。
皆さんが普段持ちたいと思えるものをメーカー側は発信しないといけません。お客さんは選ぶ側なので、これ欲しいなと思わせるようなものを作るようにしています。

竹の繊維や竹の皮が入っている扇子なんかもあります。
これは紋竹落水和紙。紋竹っていうのは表面に柄が出来ている竹のことをいうんだけど、落水和紙っていうのは上から水を落として穴をあけているような風にして作るらしいので、こういう名前がついています。

──他とコラボレーションした商品を作ることもありますか。

僕は音楽も好きなので、今はバンドグッズやツアーグッズの扇子を作らせてもらったりしています。過去にもゆずさんやTHE YELLOW MONKEYさんの扇子を作りました。
アニメの扇子も作ります。『黒子のバスケ』や、それから『あやかし緋扇』という漫画があって、実は作者の方が白竹堂の扇子を基にして作られたんです。
舞妓さん用や、将棋に使うような扇子も作って協会に納めているんだけども、舞妓さんや棋士の方が興味を持ってお店に来て頂けることもあります。

なぜコラボレーションをしているかというと、裾野を広げたいという気持ちがあります。グッズとして扇子を世の中に出すことで、ファンの方が手に取ってくれて、扇子の良さを分かってもらえる入り口になると思うんです。

KYOTO T5にもご協力頂いている、黒谷和紙さんとのコラボレーション扇子がありました。
また、去年学内に展示をして頂いた伝統工芸士の細井智之さんとのコラボレーション扇子もありました。扇面1枚1枚が手描きで作られているそうです。

試行錯誤が必ず形に出る

白竹堂さんは本店の隣に工房があります。そこでお仕事をされているのは、京都伝統工芸大学校などを卒業された若手の職人さんばかりでした。
お仕事されているところを見学させて頂き、お話をお伺いしました。

──皆さんはなぜこのお仕事を始められたんですか。

見学に来た時に体験をさせてもらって、この仕事をすることになりました。
学校では蒔絵の制作をしていたんですけど、仕事でもものづくりに携わりたい気持ちがずっとありましたね。

──手仕事の楽しさややりがいを感じるところ、反対に難しいところはありますか。

自分の手でやっていると試行錯誤が必ず形に出るので、どんどんいいものが出来上がっていくとやりがいを感じますね。
手仕事は積み重ねで出来上がっていくので、毎回100点の材料や織物が作れる訳じゃないんです。それをこの付けの作業で100点に近づけられるかというところは難しいです。
扇子の材料が違うと組み合わせる糊の濃さやつける量も変わってくるので、同じ扇子でも毎回違いますね。

──どういう扇子が好み、とかってありますか。

好き嫌いとかではないんですけど、実際にお客様が手元に届いたライブグッズの扇子をSNSに載せているのを見ると、すごくやりがいを感じます。

──こういう扇子を挿す道具などは売っているところがあるんですか。

道具を作っている職人さんがいて、作ってもらっているんですよ。
普通の大工さんに頼むこともあれば、専門性の高い道具は決まった人に頼んでいます。
道具の職人さんも東山区にいるんだけども、うちだけじゃなくて色々な業界の道具を作ってはるんじゃないかなと思います。刃物とかも作ってはるし。


新しいものを作っていく喜び

──ホームページにある「AIコーディネート扇子」を見て、とても驚きました。

今はコロナでなかなか外に出にくいので、お店に行かなくても自分の好みのものが買えるようにAIコーディネート扇子を作りました。そういうことにも敏感でありたいなと思っていて。
他にも最近はSDGSの活動として、処分する車の部品を再利用するためにエアバックを染めて扇子にしたりしています。エアバッグからしてみれば、今まで人の命を守るためにやってきたのに、次は扇子として生まれ変わるなんて思いもしなかったでしょうね。再利用に役立てるということが僕らの新しい喜びかな。

──これから先、白竹堂がこうありたい、みたいなものはありますか。

時代の流行によってファッションが変わっていくように、扇子も時代に合わせて作っていく必要があると思っています。殻を破ることによって400年500年と続けることに繋がっていくと思うので。
今まで全部手作りでやっていた工程も、職人さんが継続してできる別の方法を開発していく必要があると思います。世の中に出す商品のことも作り手のことも、両方考えてやっています。

──職人さんにはこうあってほしい、みたいな願いはありますか。

年々作りにくくなってきていると思うんですよ。竹の材料ひとつをとっても、昔はもっといいものがあったけれど今は取れなくなったりとか。
でも竹に応じた工夫をしていけば作れる。作りにくくなってきていることは事実だけれども、職人さんは技術を磨き続けているので、心地よく使える扇子づくりが続いていけばと思います。


職人interview
#70
白竹堂
山岡駒蔵

文:
安彦美里(基礎美術コース)
中村珠希(基礎美術コース)

撮影:
鈴木穂乃佳(基礎美術コース)

白竹堂 HP:
https://www.hakuchikudo.co.jp

職人interview
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京扇子|時代に合う扇子

扇子のメーカーとして1718年から創業している「白竹堂」。扇子は分業制で細かく工程が分かれています。
今回は10代目である山岡駒蔵さんに扇子についてお話いただきました。