職人interview
#86


酒造|受け継がれる酒造

京都伏見の地で、古くから酒造りを行う松本酒造株式会社。食文化に寄り添い、伝統を守るという理念を大事にされています。
今回は、お酒が生み出す”繋がり”を大切にしながら酒造りを続ける、杜氏(とうじ:日本酒の醸造工程を行う職人を統括する職業)の横尾さんにお話を聞かせていただきました。



新杜氏の横尾さん

近鉄京都線・桃山御陵前駅から徒歩20分ほどのところに松本酒造はあります。
寛永3年(1791年)に松本治平衛が京都・八坂弓矢町にて屋号「澤屋」として酒造を創業したのが現在の松本酒造の始まりです。
現在は伏見で、おいしいお酒を届けるべく全力を尽くしています。

今回お話を伺った杜氏の横尾さんは福岡の酒蔵で酒造りをしていて、一昨年の10月から松本酒造に来られたのだそう。
「蔵の人も長年酒造りをされているので、まだ一番新米ですよ。基本的な工程はどの蔵も一緒なんですが、同じ酒造りでも細かいところは蔵ごとに随分違っています。」
そのため最初の冬は、蔵人の動きを観察することに集中していたのだそうです。

「伏見は日本の三大酒どころのひとつですから、そこで酒造りをさせていただくというのは思ってもみなかったことだったので、すごく新鮮でした。」
日本三大酒どころは兵庫の「灘」、広島の「西条」、そして京都の「伏見」。職人の方からすると、そのひとつに数えられるこの場所で酒造りをするというのは憧れがあるかもしれません。

伏見の日本酒がおいしい理由は、日本酒造りに欠かせない天然水が伏見の地下を流れているからなのだそう。ほかの京都の職人さんのところへ伺ったときにも、「京都の水」の大切さを教えていただくことが多くありました。
それだけ京都の人にとっての水というのは、生活と近しいところにあるのかもしれません。

横尾さんの出身は、京都ではなく長崎。大学は東京農大の醸造学科に入り、卒業後は一心に酒造りをやってこられました。現在でも醸造学部というのはあまり多くありませんが、横尾さんの頃もそうだったようで「醸造学科、おもしろそうだな」と思い、入学を決めたのだそうです。

「就職した酒造のある場所がとても田舎だったため、それが嫌で辞めようと思いました。でもその蔵の蔵元が、酒造りに対して非常に情熱的な方だったんです。そのまま私も引っ張られて、だんだん深みにはまっていきました。今でもハマりっぱなしです。」


酒造りを楽しむ

酒造りをするうえで大切にされていることは、「そりゃあ、好きになることでしょう」と横尾さんは言います。
「やっぱり嫌々やっていると、段々嫌な仕事になってしまう。酒造りを始めた頃は、やっている人が少ない分、話せる人も少なく心細かったんです。ですが少しずつ仲間が増え、今ではこの仕事を誇りに思っています。」

お酒造りをするなかで、今までたくさんの課題を乗り越えてこられた横尾さん。
そのなかでも特に印象深かったのが、初めてお酒を作った時のお話でした。
横尾さんは、3人の蔵人のもとで仕事をしていたと言います。3人目の杜氏さんがいなくなったときに、蔵元から「あなたが作りなさい」と言われたのだそう。
当時の横尾さんは杜氏という肩書きはまだもらっておらず、急に作れと言われてもなにをしていいか分からない状態だったそうです。
「仕込みは途中で止めたりせず、次々に仕込んでいくんです。そしたら肝心なところを見ていなくて、もろみ(日本酒の前段階のもの)が発酵していないということがありました。慌ててその蔵元に状況を伝えて手当をしてもらいました。おかげでなんとかお酒にはなりましたが、そのときは自分でどうしていいか分からなかったですね。それが一番印象に残ってるかな。」

「あとは夏場にタンク貯蔵してるお酒のサンプルを取り、できばえを見る『呑み切り』というのがあるんです。その呑み切りをしているときに蔵元から、『これは日本酒じゃない』と言われて(笑)。それも印象深いできごとでした。」

日本酒はふくらみのある味わいがないといけないのだそうで、その味わいが少ないとあまりにもさっぱりしすぎてしまうのだとか。
筆者もインタビュー後に松本酒造さんのお酒を購入して飲ませていただきましたが、すっきりし過ぎず適度にお米の甘味を感じ、横尾さんのおっしゃっていたことが実感できたように思いました。


横尾さんはお酒作りをしてきたなかでお酒を一生懸命造って、人との繋がりがたくさんできたことが誇りだと言います。
「いわゆる呑兵衛仲間がいっぱいいます。30年くらい前、日本酒好きの人たちがお酒をたくさん持ち寄ってお酒の会をやろうって話があり、自分も飲むのが好きだからホイホイ参加してたんです。その頃にいろんな人と知り合い、仲間になった人たちにはいまだに懇意にしていただいています。酒造りの仲間だけじゃなく、さまざまな職業の人がいましたね。共通点は呑兵衛っていうだけですからいろんな話が聞けました。やっぱり、人と繋がるのが一番うれしいです。」



お酒が生んだ「繋がり」

そんな横尾さんはやはりお酒に魅せられた人。お酒が大好きだと言います。
一番やりがいを感じる瞬間は飲んでるときなのだとか。

「味はいろいろだしそれぞれ好みの味もありますから、それを楽しむのも醍醐味です。ここで造られたお酒もそうですが、やっぱりいろいろお酒を飲んで、喜んでもらえる人たちと一緒に酒造りに関わるというのがいいなあと思いますね。」

松本酒造のホームページの社長の言葉にもあるように、お酒でいろいろな縁を繋いできた横尾さん。これまでの繋がりのなかで、印象深いエピソードをお聞きしました。

「印象に残っている繋がりは、音楽プロデュースでボサノバをやっている方との繋がりです。私は音楽を聴くのが好きなんですが、精神的に落ち込んでいる時期に、たまたまボサノバのCDを買いました。その方が西日本の新聞にコラムを書いていることを知って、その方宛にメールを送りました。そしたら蔵に遊びに来られたんです。そこから今でもお酒を飲む仲になったので、お酒での繋がりを感じますね。ラジカセと日本酒を持ち込んで、ボサノバと日本酒の会を開いたりもして楽しんでいるんですよ。まさに酒友です。」

「あとは蔵の人全員で、去年ひと夏に柿渋を蔵の中に全部塗ったんですよ。天井が高いんですけど、足場を組み立てて登って隅々まで。うちの蔵だけでなく、兵庫の東条の田んぼの草刈りも手伝いに行ったりします。これもお酒が生んだ繋がりです。」

「兵庫の東条には、山田錦の特A地域があるんです。そこでできた山田錦を私たちはとてもたくさん使っています。それも人の繋がりで信頼関係があるからこそだと思いますね。農家の方は大切な米を、美味しい酒に造ってくれる酒蔵に託しておられます。」


松本酒造の強みは、まじめさなのではないかと横尾さんは言います。
「ここに来てびっくりしたのは、蔵の皆さんがすごくまじめなことです。使った道具とか蔵とか、ほんとうにすべてきれいにする。蔵は他にもいろいろ行ったことあるんですけど、こんなにきれいな蔵ははじめて見ました」

松本酒造の商品と人を繋げるため、個人的に取り組まれてることがあるかとお聞きしたところ、次のようにお答えいただきました。
「そろそろ福岡に進出しようかなと思っています。ガスが含まれているお酒って澤屋まつもと特約店様にしかないんです。自分が知っているのでは、福岡は2軒か3軒ぐらいしか特約店様がないんですよ。福岡でここのお酒を知っている人はそんなにいないんです。だから福岡の呑兵衛の人に広めたいと思っています」


杜氏ならではの悩み


最後に個人的な質問として、横尾さんの好きなお酒の種類をお聞きするとまさかの回答。

「ビールが一番いいや。もっぱらビールですよ。いきなり1杯目から日本酒はあまり飲まないです(笑)。飲み仲間と飲むときは日本酒ですが、自宅での晩酌ではあまり飲まないですね。
家でひとりで日本酒を飲むとね、考え込むんです。利き酒になってしまうんですね。だから、全然関係ないお酒の方が楽しく飲めますね」
実はビールが一番好きなのだそう。
杜氏だからこその悩みでした。やはりお酒は楽しくおいしく飲むのが一番ということだそうです。

さまざまな種類のお酒をこよなく愛し、人とお酒だけでなく人と人との繋がりも大切にされている横尾さん。
松本酒造のお酒は今後も伏見の地に強く根付き、たくさんのものや人を繋げていくことでしょう。


職人interview
#86
松本酒造株式会社
横尾正敏

文:
長濱枝音(アートプロデュースコース)

撮影:
前川佳奈美(クロステックデザインコース)
Vivian Li(京都文化日本語学校 卒業生)


松本酒造HP:

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酒造|受け継がれる酒造

京都伏見の地で、古くから酒造りを行う松本酒造株式会社。食文化に寄り添い、伝統を守るという理念を大事にされています。
今回は、お酒が生み出す”繋がり”を大切にしながら酒造りを続ける、杜氏(とうじ:日本酒の醸造工程を行う職人を統括する職業)の横尾さんにお話を聞かせていただきました。