伏見人形の始まり


──まず最初に、丹嘉さんの創業の時期についてお聞きしてよろしいですか?
以下回答大西さん:「寛延年間」、はっきり何年とはわかっていないのですが、寛延年間創業ということで、1750年近辺なので大体270数年前になりますね。でも、京都の中やったら全然古くないです。(笑)
──型を用いて人形を制作されているそうですが、一番古くから作られている人形や型は何ですか?
型自体は父から2000種類くらいあると聞いてます。その中でも新しい型は石膏で作り直してるんやけど、古いのは「土型(どがた)」という土でできた型を今も使っています。
もともとは伏見人形は手びねりから始まっているので、シンプルな形のものが型として早い段階からあるんじゃないかなと思うんですけど、そういう意味ではこの「土鈴(どれい)」がそうなんじゃないかなと僕は思っています。

もともと伏見稲荷大社が五穀豊穣の神様で、作物がたくさん実りますようにという願いから伏見稲荷の山の土自体を持ち帰って自分の田畑に撒くというのが風習としてあって、それが転じて伏見人形を持って帰るという風習になったんです。それを考えるとシンプルな形であり、「鈴なり」という作物がいっぱい並ぶという意味の言葉に掛け合わせて、この土鈴も結んであるので、これは初期からあったんじゃないかと思います。
──徐々に人形の種類が増えていったということですか?
その時代の風習とか、流行りとかを題材にしていろんなものが増えていったという感じです。
全国の土人形の源流
──伏見人形が、さまざまな土人形のもととなっているということを拝見したのですが、他とここが違うというところや、伏見人形の魅力はなんだと考えられますか?
伏見人形を模して全国の郷土人形、土人形ができていったという風に言われているので、伏見人形を見て新しく作ったというものもあれば、まるまる同じものも結構多かったりするんです。例えば天神さんなんていうのは、各地にあるけれども、ほぼ人形の形が同じなので、伏見人形を買っていただいてそこから型をとっているということも絶対にあると思います。そういうのは線が甘くなっていたりするんやけど、伏見人形は線もはっきり出てるし、彩色も原色で鮮やかな色を使っているのは特徴かなと思います。
──鮮やかな色使いが印象的だと感じていたのですが、これは昔からですか?
鮮やかなのは最近の塗り方のように思われることもあるんやけど、昔から動物の鼻や蹄を「新橋」という青色で塗っていたりもするので昔から特徴的な色使いをしていたということがわかりますね。
理にかなった工程
──春と夏で成形、秋と冬で彩色というふうに時期を分けられていると思うんですけど、一つを作り上げるまでにどれぐらいの時間がかかっていますか?
一年から早くて半年ですね。ぎゅっと詰めると一週間でもできるんですけど、効率を考えて、土を作って、塗って焼いてというよりガッと作ってガッと塗るほうが効率的なのでそういうやり方をしています。
昔は冷蔵庫とかエアコンがないので夏の時期に絵の具が腐る、冬の時期に土が凍てつくということがあって、夏に土、冬に絵の具というように期間を分けていました。今でもすごく理にかなったやり方だなあと感じます。
──作る際に意識していることやこだわりはありますか?
夏の今なら土を使っている時期なので、土の柔らかさ、水の含み具合っていうのは意識しています。柔らかすぎたらやりにくいし、硬すぎると簡単にできるけどひび割れてしまうということがあるので、そこの加減には気を遣います。
──私も陶芸を少しやっていたのですが、同じ土ものでも陶芸との違いってありますか?
陶芸の方で言うと、素焼きの後に釉薬がかかるので、ちょっとざらっとしていてもいいというところもあるかもしれないですが、うちは素焼きの上に絵の具を塗るだけなので、「地塗り」という白い絵の具である程度の傷やざらつきは隠せるけども、あまりそういうのが出ないようにと気をつけています。
──作り方を調べたときに、素焼きの上に胡粉(ごふん)を塗っているということを知って、胡粉は日本画に使われるイメージだったので、陶器の上に塗るということに驚きました
日本画で胡粉を使わはるときは、胡粉に膠(にかわ)ということですよね。これはうちも一緒のやり方で、ただ人形界は胡粉を膠に混ぜて、それを濾してある程度ザラをとって塗るという感じです。例えば、お面とか仏像を作る人は、胡粉を塗ってから削らはります。こっちの方が胡粉の定着は強い。
人形を見ていて
──人形の目線が上に向いているように見えるのですが、何か意識されているのですか?

向上心を表現しているのですか?とよく言われるのですが、伏見人形というのは二面型という、前と後ろの二つの型でできているので、型から外す時に普通の型だと顎とかが引っかかってしまうんです。なので、型が抜けやすいように、出っ張りがないようにという前提のもとに作られています。どうしても抜けない構造になっているものは、二面じゃない型もあります。
──ここにある團十郎さんのサインが入っている人形は直筆ですか?

そう聞いています。おそらく先々代ぐらいかな。この暫(しばらく)という人形は大昔、團十郎さんが江戸追放を許されて京都から江戸に帰るとき伏見人形で「暫」を作らせたそうです。うちにはこれしかないんやけど、十八番のうちの三つ、暫、矢の根、助六をこの辺の窯元に頼んで作らせたと聞いています。昔この辺りには5、60軒窯元があったんです。
ちなみにこの「外郎売り」も僕が色を塗ったんですが、今の團十郎さんが襲名披露として外郎売りをしたというのを記事で見た時の写真が、まさしくこんな感じだったんです。そもそもは塗り方が全く違って、何十年も違う人形として認識してたんですが、これはどう考えても「外郎売り」だろうということで塗り方を変えたんです。

外郎売りやったら、薬箱を持ってないとちょっと成り立たへんかなと思っていたけれど、その襲名披露の記事に、何も持っていないショットがあったので、じゃあいいんやということで色だけを変えて外郎売りにしました。
──塗り方だけでもだいぶ印象が変わりますね。
僕はそれ(外郎売として塗られている人形)は、旅人だというふうに父から聞いていたんやけど、昔の本とか、曾祖父などは、松尾芭蕉だと思っていたって。同じっちゃ同じなんやけどね。認識の歴史なんか変わるから、こうやって変わっていってもいいやろうし、ほんまが外郎売りかもわからへんし。

残したい人がいたので残ったという状態がベスト
──伝統産業という面で意識している点はありますか。
そこは別に全然ないです。もうベンチャー企業の人とおんなじ気持ちで仕事してます。伝統工芸だからこうせな、みたいなんはあんまりないです。
──インスタグラムなども拝見させて頂きました。ミャクミャクなど新しいものにも挑戦されていると思いますがどうですか。
今は新しいモチーフで新作を作ることは少ないんですけど、もともとの伏見人形っていうのはその当時の風習や流行ものを題材にする、というのが成り立ちなので、流行り物を作ることは、決して新しいことをしているわけではなく、もともとの伏見人形のスタイルではあるんです。だからミャクミャクも僕が改めて新しいものを作っているわけではないということですね。
──最後に、伏見人形のこれからや、継承についてはどのように考えておられますか?
僕は「残すために何かを作る」ということは考えていなくて、「結果、残る」というものがいいものだと思うので、いいものを作っていけば、それを見て残したいと思う人がいれば、それがつながっていくという風に考えています。残すことだけをメインにそれだけを考えれば、できんこともないんでしょうけど、それって意味あるのかなあと思う。「結果、残したい」と思う人がいたので「残した」という状態が、僕にとってベストかなあと思っているので、とにかく僕はいいものを作って、それを知ってもらうという思いでやっています。
──わざと残そうっていうのではなく、結果的に残るっていうものがいいものということですよね。
そう、そこが大前提で、いいものでないと残るということは成り立たないので、そうなればいいかなって思います。
工房見学
まず始めに、石膏型と土型を見せていただきました。


型にしっかり凹凸があるため線がはっきり出て、彩色の作業自体は塗り絵に近いことが特徴です。石膏型の方が量産に向いていますが、使っていくうちに線が摩耗していってしまうそうです。

成形の作業も見学させていただきました。
職人さんの周りには、型、修正用の粘土、水など効率的に作業ができるように整えられていました。

素焼きをする窯の様子

年号、元号が書いてある数少ない土型も見せていただきました。
編集後記
今まで伝統産業というと残さないといけないというイメージを持っていました。しかし、大西さんの「残すために何か作る」のではなく、「いいものを作って、残したいという人が現れて、結果残ったという状態がベスト」という言葉が印象に残り、守ることだけでない、新しい心持ちを知ることができました。私の拙い質問にも一つ一つ丁寧に答えて下さった大西さん。人々の心をつかむ朗らかで鮮やかな伏見人形の裏側には、その手仕事の丁寧さや真面目さはもちろん、おおらかな大西さんや職人さんの存在を感じることができました。
職人interview
#89
丹嘉
大西貞行
文:
鎌田あおい(空間演出デザイン学科 空間デザインコース)
撮影:
瀧山璃空(クロステックデザインコース)
丹嘉HP:/http://www.tanka.co.jp

