京都のスープ
#39


三浦太幸堂

バケモンがビビるくらいの大きい音じゃないとだめなんですよ。

体の奥底まで響く大きな音に魅了され、私は和太鼓を演奏する者となりました。太鼓をもっと知りたい、太鼓に対して向き合いたい。そんな想いから、私が所属している京都芸術大学 和太鼓 悳 で太鼓の修理などをお願いしている、三浦太幸堂の三浦豊隆さんにお話を聞かせていただきました。

工房が震える

中書島駅から車で10分ほど、京都市伏見区の製作所で太鼓づくりが行われています。

早速製作所に足を踏み入れると、そこはまるでリハーサル真っ最中のコンサートホールのように、緊張と高揚が入り混じり、太鼓の音が工房全体に震えながら響いていました。


バケモンがビビる音

三浦太幸堂さんの歴史は江戸寛政年間にまで遡ります。十代目当主となった豊隆さん率いる総勢9人の職人が、革づくりから革張り、木工、台の制作までを分業で担当し、一人ひとりの手仕事が重なって、素材の良さを最大限に引き出した太鼓作りを行っています。実際に張り替えていただいた面を打つと、そこには余韻のあたたかさというものを感じることがあります。

「うちの太鼓は叩く人に手間をかけてもらわないとあかんのです。ワークブーツみたいなもんで、毎日履かないと硬いままっていう靴があると思うんです。要は叩くほど長持ちするしなかなかヘタらへん、そういう革かなぁ。最初からいい音が出る太鼓と、そうじゃない太鼓とどっちがええかはそれぞれの太鼓屋さんで違うと思う。それこそ多様性で、あとはもうそれをお客さんに選んでいただくしかない」

三浦太幸堂さんの太鼓は、毛を抜くときの加工工程により、革が白くなく、また、硬く張られています。その革色と張り具合、音に疑問を持たれることもあるのだとか。

「怒られるわけやないけど、君んとこ最初から革が硬いから、小さいお子さんとか女性とか非力な人には向いてないなって言われたことはあるね。それはもう事実。うちのとこは3年くらい使ってやっと音が出てくる、みたいな。それが、ええかどうかなんですよ。そこの価値観はお客さんにお任せするしかない。それが許される現場と許されない現場とあって、どういう用途で使うかによっていろんな解釈があると思うんです。革屋さんと共にそうやって考えてきたから、どちらが好きかはお客さんに決めてもらったらいいし、進化することを否定されるべきではないと僕らは思ってるんです。 なかなか分かってもらえないことも多いですね、辛いですけど」

三浦太幸堂さんの革が張られた太鼓を打つとき、いつもより気が引き締まって太鼓と対峙しているような感覚を覚えます。それがものすごく楽しいんです。と伝えると、豊隆さんは柔らかい表情で太鼓の本来の目的について教えて下さいました。

「自慢になっちゃいますけど、私のとこのはそうやってよく太鼓叩きはる人はすごく喜んでくれはるんですよ。太鼓って本来、音を出してなんぼのもんで、なんで大きい音を出さなあかんのかっていったらやっぱり、天と地に音を響かせてそこらの神様に知らせなあかんのです。それがただの合図から、神事になっていったというのが歴史やと思うんです。例えば武将やったら戦の神様に勝てるように祈る。そのために太鼓の大きい音で周りのバケモンを闇に散らさなあかん。魔除け、邪祓いみたいに。だから、バケモンがビビるくらいの大きい音じゃないとだめなんですよ」


幸せの秘密

三浦太幸堂さんのお名前には幸せという字が入っています。その由来についてお聞きしました。

「それは大した話やなくて、僕の親父が、おもんないから幸せにせぇって(笑)。そもそも親父の代までは、三浦〇〇商店とか三浦〇〇太鼓店と名乗っとったんです。大元の先祖が池田屋という名前で、明治以降は池繁っていう屋号を名乗っていました。それが親父の代になって名前を変えて、まぁ太鼓堂っていうとそのままなんで、もじったっていうかね、幸せにした言うてますけど」


少し照れくさそうにその由来を語る姿が印象的でした。そんな「三浦太幸堂」となった今、『研鑽に終わりなし』を合言葉に日々技術の向上に向き合っていらっしゃいます。

「新しくお付き合いが始まったお客さんなんかと話していると、”そんなことを気ぃつけてはるんや”とか”そういうことを要求しはるんや”というのが日々あるんです。『研鑽に終わりなし』というのは、今の自分のとこの技術をベースに大事に育てるのはもちろんなんやけども、それが100パーセント真実やとは思わん方がいいという意味で、自戒の念に近いんです。新しい技術っていうのが実際にあるし、僕んとこの技術見て、”あぁこんなやり方してはるんや”と思われることもあるやろうし、逆ももちろんある。だからこれがベストやと思ってたらいつまで経っても進歩しないなと思います。まだ上があるかもしれんという、常にその意識を持って欲しいので”終わりはないよ”という。どんな仕事でも同じなんですけどね」


太鼓をつくるということ

お仕事で一番嬉しかった瞬間をお聞きした際、職人さん自身が嬉しそうにやってるのを見たり、「出来ました!やりました!」と喜ぶ姿を見ることだと語ってくださいました。それはきっと、職人さんにも、豊隆さんの熱意や向上心が伝わっているからこそなのだろうと感じます。そんな職人さんが一番大切にしていることは、道具の手入れだそうです。

「刃物一つでもこまめに研いで切れるようにするとか、朝来て道具の様子見たりしてます。それでおかしかったらやっぱり仕事も遅くなります。ここで仕事してるもんは、一つのルーティンみたいなもんで、使う道具の手入れと片付けはいいもの作るため、効率的にするために特に大事にしています。ありふれたかなづちとかでさえも、置くとこはちゃんと決めてる感じ。道具の手入れは安全の確保にもつながるし、品質の確保にもつながる。全ては道具の手入れから始まってるんじゃないですかね」

道具を大切にすることは、私含め、芸術に携わる者は特に大事にすべきだということを改めて認識させられます。人間の一日も、顔を洗ったり布団を畳んだり、整えることからはじまります。その日を充実させたり、良いものにするには、なんでも手入れが大事なのかもしれません。

そんな人生の軸について考えさせられるお話をしてくださった豊隆さん。今後の夢や挑戦してみたいことをお聞きすると、少々苦い顔をしながら太鼓業界のハードルの高さについて教えてくださいました。

「そうですねぇ、これは辛い質問です(笑)。正直なかなか夢が持てるような状況ではなくて、刃物一つにしても作り手がどんどんやめていきますし。機械類はもっと深刻で、日本でも木工とかの機械類作るところもみんな辞めてるし、その事業存続に対してやっぱりハードルが高くなってきています。売れ行きももちろんだけど、そういう道具類の確保も大変なんですよね。夢というか目標に近いんですが、うちが小さくなってもなんらかの形で誰かに引き継いで残してもらうのは、目標であり夢というか。現実的にどうしていけば、というのも日々考えてんのは正直なところで、世界で展示会があってそこでうちのを使ってもらう目標がある、とかそういう景気のいいことは正直ないんです。ほんまの”夢”みたいなことを言うと、サラの太鼓10本とかつくってオリンピックでうちの太鼓叩いてる、とか見れたらいいなぁとは思いますけどね。でもそれはほんまに”夢”というか”妄想”やね。とにかくなんとか今のうちの事業が続くことが目標かな。若い人を前にしてあんまり夢のない話したくないねんけどね(笑)」

冗談を交えながら明るくお話してくださった豊隆さん。実際に太鼓を演奏することでさえ、音の大きさなど、環境的な問題でハードルが高いものです。和太鼓に携わる者として、「存続」という言葉に対する熱い想いに、深く共感しました。三浦太幸堂さんの太鼓の音色は、あたたかく、心の奥の何かを呼び覚ますようで、その名の通り幸せを感じる面の反響があります。その音はたくさんの人の耳に届き、心に響いています。次に舞台に立つ時には、豊隆さんの「バケモンがビビるくらいの大きい音じゃないとだめなんですよ」という言葉を、思い出すに違いありません。


実際に和太鼓 悳で三浦太幸堂さんの面を打つ様子

京都のスープ
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株式会社 三浦太幸堂 三浦豊隆

取材:
濱埜結(プロダクトデザインコース)
西岡菫(文化財保存修復・歴史文化コース)

文・撮影:
濱埜結(プロダクトデザインコース)

京都のスープ
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三浦太幸堂

バケモンがビビるくらいの大きい音じゃないとだめなんですよ。

体の奥底まで響く大きな音に魅了され、私は和太鼓を演奏する者となりました。太鼓をもっと知りたい、太鼓に対して向き合いたい。そんな想いから、私が所属している京都芸術大学 和太鼓 悳 で太鼓の修理などをお願いしている、三浦太幸堂の三浦豊隆さんにお話を聞かせていただきました。