職人interview
#02


京うちわ|02|冬は冬の「うちは」

「扇ぐ」ことしか知らなかったうちわについて、
京都の“飾りうちわ”職人である10代目、 饗庭 智之さんのお話。
一昔前、うちわは買うものではなく、贈るもの。夏になったらお米屋さん、お魚屋さん、呉服屋さんらが、自分の店の名前が入ったうちわをお中元としてご贈答に用いていたそうです。電化製品が発達して、自然の風が減ってきている中、扇がず、見て涼しむ『透かしうちわ』が生まれました。

冬は冬の「うちは」

──昔と今を比べて、変化はありますか。

生活様式が変わり、人はうちわを使わなくなりました。
電化製品が発達して、自然の風が減ってきている中、私たちは扇がず、見て涼しむ『透かしうちわ』を作りました。日用品としてのうちわから、工芸品の部分だけを引き上げたものです。

透かしうちわが知られるようになって、「冬のうちわはないのか」って求めてくる人がいて、とてもびっくりしました。
私は築200年になる家に住んでいて、障子1つなので冬はとても寒いんですよ。だから自分の常識からしたら冬のうちわなんて、考えられない。落ち着いて考えたら、「あぁ、今の家は寒くないんか。逆に季節感がないんや」と気づいたんです。だから、枯れないお花を置くように、うちわを置くことで、冬は冬の風情が欲しいんだと。なので春夏秋冬それぞれの透かしうちわがあります。


感性自体が、時代で変わってきている

──時代とともに変わる「うちわ」。これから、どう考えられていますか。

僕らは作り手として専念してきまして、20年前までは「この作業台以外を見てはダメ」「よそ見せずいいものを作ってください」と言われて暮らしてきたんです。なので急に「世界を見て新しいものを作ってください」と言われても、そんな癖もなければそんな人材もいません。今は作る人と売る人とでうまくコントロールして、組織として動かないとうまく業態にならないし、新しいものが出しにくい。
だからうまく組み合わせて新しいうちわを出せたらなぁと思っています。僕らは必需品、日用品(扇ぐうちわ)から工芸(透かしうちわ)に移ってきた中で感性が必要になってきています。その感性自体が、時代で変わってきているんです。なので休む間がない。「今年の図案はどうしよう」となった時に、日々、ちょっとずつ感性に変化をつけていかないといけない。

──感性はどう磨かれていますか。

触れるしかないですね。そういう面では全然勉強不足です。
僕はものづくりと経営を兼任していて、引きこもりのように工房にいますから。普通ならば、職人さんがいて、僕がそれを売る立場やから、日々美術展を見に行ったり、いろんな人とコンタクト取ったり、お話してセッションしたりというのが本業にならんといかんのですが、僕は社長であり、ものづくりをする一人なのでここにずーっと引きこもっています。

──先代も職人であり、社長だったのですか。

父も祖父もそうでした。昔、ここにいた職人は会社員というよりも師弟関係だったので家事もひっくるめて、職人さんがやってました。
小さい頃キャッチボールやドライブなんかは、父やなくて職人さんらが面倒見てくれはりました。その人らから「後は頼むぞ」と言われ続けて生活していて、大学出てからは金融機関に4年勤めていましたが、その間も、後を継ぐつもりでいました。

──『阿以波』に戻って来られてからは、職人さんたちに技などを教えていただいたんですか。

技は教えてくれません。
「こうすんねん」て目の前でチョロって見せてもらえるだけ。「なんで教えてくれへんのや」ってその頃思ったんですが、今はなんとなくわかります。経験を積んで、僕が後を継いでから若い人を職人として迎えた時、自分なりにコーチをして教えたんです。そしてその子は、教えられた8割ができた頃に「もう僕はできた!」と勘違いしてしまったんです。そうすると工夫することもなくなって、次の仕事を求めることもなくなる。成長を止めてしまい、その時は失敗したぁと思いました。
この世界が徒弟制度である意味を身をもって感じました。

──私たちKYOTO T5は職人さんの技を、現代の身近なファッションに落とし込み、何か世界に提案・発信できないかと思い“OLD IS NEW”を軸に活動しています。今、新しいものが生まれ続けていますが、何か感じることはありますか。

僕はあまり新しいものって出てないと思ってます。
みんな発想なんて若い時にポンっと出るだけなんです。
例えばゆーみん(松任谷由実)でもサザン(サザンオールスターズ)でも、若い時にポンッと出て、それにテクニックが段々ついてアレンジをしていて、新しい発想が生まれてるとは思われへんのです。
それでいいんですけど、一人の能力としては限界があると思います。1つの発想としてポンって出たんならば、その人はしばらくそこで輝き続けないといけないと思います。

──私たちの身の回りにあるものは、新しく生み出されたものではなく、何か土台があるわけですね。

そうやと思います。逆に、言葉は、なくなってきていると思います。
私らが中学、高校の多感な頃の流行歌と今の歌は全く違うんですよね。あの頃は、情景描写を感じさせる奥深さが勝負やったんです。好きなものに好きと言ったら恥ずかしい。それを言わずに感じさせるというのが一つの感性でした。
それが今は直接話法に変わってきている。展示会行っても図録やなくてパンフレットを持って帰ります。今、みんながどんな題をつけとんやろうって。そっち見ないと勉強できないんです。


オンリーワンよりナンバーワン

──時代の変化で素材、もの、人、言葉などのサイクルさえも変わっているんですね。
そのままを残し続けるのはとても難しいように感じます。

職人の技は文字化できませんしね。
僕はこうやって取材も受けるし、技も解放して見せてる。隠すこともできるんやけど、“オンリーワン”ほどしんどいものはない。逆に真似できるなら真似してみって気持ちでやってます。“ナンバーワン”は材料も余るほどあって、これが欲しいって言ったら出てくるわけです。
若手職人にもいろんな人がいてね。商売なんてもんは100回投げて1発当たればいいんです。やっぱり“ナンバーワン”じゃないと。


職人interview
#02
阿以波
饗庭智之

文:
溝部千花(空間デザインコース)

京うちわ阿以HP:
https://www.kyo-aiba.jp

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京うちわ|02|冬は冬の「うちは」

「扇ぐ」ことしか知らなかったうちわについて、
京都の“飾りうちわ”職人である10代目、 饗庭 智之さんのお話。
一昔前、うちわは買うものではなく、贈るもの。夏になったらお米屋さん、お魚屋さん、呉服屋さんらが、自分の店の名前が入ったうちわをお中元としてご贈答に用いていたそうです。電化製品が発達して、自然の風が減ってきている中、扇がず、見て涼しむ『透かしうちわ』が生まれました。