職人interview
#03


手ぬぐい|01|京都の染めは上百軒、下百軒

KYOTO T5から発売する「てぬぐい」を染めてくださった、創業78年 八幡染色 山口泰茂さんのお話。
「京都の染めは上百軒、下百軒」と言って京都全体に染工場が二百軒近くありました。父が立ち上げた工場で弟さんが色を作り、お兄さんが染めます。長さ25mもの染め台に敷かれた生地に、手作業でシルクスクリーン印刷されています。機械染めが普及している中、手作業で、色の重厚感を大事に守られています。

京都の染めは上百軒、下百軒

──康重さんは何代目ですか。

私で2代目。
大学出て、しばらくしてからこの世界に入ったから40年以上やってるね。

──ご出身は京都なんですか。

そう。京都生まれ京都育ち。

──この仕事をされるまで他の将来の夢や、継ごうという意思はありましたか。

そうやねぇ…。大学出て、しばらく他の会社に入って、いろいろ学んでから継ごうと思っていました。けど親父がちょっと体調崩して急遽すぐに継ぐことに。親父がやってた頃と形態はあまり変わってない。うちの親父は従業員何百人もいるような大手の染工場に勤めてた。
今、京都の南にあるイオン洛南の近くに、ものすごくでかい空き地があんねん。全部そこの工場やったんですよ。ほいで親父はしばらくそこで働いた後に独立して、「八幡染色」を創立した。
僕は学生時代にここでアルバイトしててん。アルバイトで稼いだお金で山へ遊びに行ったり、旅行に行ったりしてた。

──旅行お好きなんですね。どこへよく行ってらっしゃったんですか。

ここ何年かはあまり行ってないけど、以前はよく中国に行ってた。

──それは趣味として行かれるんですか。

それもあるし、中国へは工場見学が多い。中国にも染めの工場が沢山ある。杭州や上海周辺、紹興にかなりでかい工場が沢山ある。

──中国は人口が多いから発達したんですかね。

人口よりも産地が多いから、というのが重要やね。上海周辺はもともと繊維が中心で、桑畑がすごく多く、絹の産地やった。素材が沢山あったから織物屋さんができたり、布系の産業が発達したんやろなぁ。

──日本の染めの産地の特徴は何ですか。

日本では気候と関係があるみたい。
あまりこう、乾燥してていい天気ばっかりが続くと、糸がよう切れたりするからね。ある程度湿気があるところがいい。関西で言うと、京都・大阪・和歌山。関東だと横浜。産地は割と点在してるんよ。東京、浜松、福井、石川も。繊維の産地っていうのは染工場なり、なんなりあるわね。


「京都の染めは上百軒、下百軒」と言って、全体で二百軒くらいあった

──染めに関して、中国と日本との違いは感じましたか。

技術的な細かい部分は、だいぶ違うかもしれへんけど、基本的に変わらないような感じがした。
日本で染めが盛んな頃は、うち(八幡染色)は婦人服やメンズもののブラウス的なものが中心だった。婦人服はワンピースとかブラウスとか色々。
でも最近は日本でそういうものを作る量が完全に少なくなってる。造形大(京都造形芸術大学)のある、一乗寺の辺りに染工場は昔何十軒もあった。「京都の染めは上百軒、下百軒」と言って、全体で二百軒くらいあったんちゃうかな。今はそれがほとんどマンションとかになってる。染工場の数は、かなり減って4分の1、5分の1くらいになってるんちゃうかな。


売れる・売れないの前に作らなくなった

──昔は日本で染めたもので作って、着るという文化だったけど、今は外国からの輸入が多くなり、国内での消費が減ったということですか。

そういうこと。日本から、最初に縫製が海外へ出た。
そこから物を作る範囲ではまだ日本が中心で、海外に比べて日本のレベルやコストが段々上がった。そやから仕事もなくなり、同業者の数も減って日本での生産量自体も減ってる。うち(八幡染色)でも多い時、従業員が14、5人いてん。それから今は6人かな。3分の1くらいに減ってる。減っても中々仕事が埋まらん。
まぁ世の中変わってきたからな。みんな、売れる・売れないの前に作らなくなった。私の知ってる染工場でも、毎年40000m程染めてたけど、ある日突然0になった。全部海外生産に。今は、日本で物を作るには何もかもが高い。高い値段にしないと、そこそこの商品が作れないから。

それと、昔みたいに着飾る生活習慣が日本から消えていっている。
うちの母親は昔、デパートに買い物しに行くときでも「この服では行くのは、かなわん!」と、普段着と出かける時の服を完全に分けていた。今は、あまりそういうこと気にしないでしょ。

──気にしないですね。デートへ行く時におめかしするくらい(笑)友達と遊ぶ、大学に行く、買い物に行く服を分けたりしないです。

そうそう。若い子は高級な服と普段着の服とを尚更分けてないね。
私が結婚した頃、うちの奥さんがジーパンを履いててん。そしたらうちの親父がそれを見て、私に怒りよった。「あんな作業着みたいな服着て表を歩かすな」って。今ではジーンズを履いてどこへでもいける。生活習慣が昔に比べて変わってきている。

──高級な服と普段着の服を分けて着る文化がなくなったということですか。

うーん。高級な物が欲しいと言う人はいるし、ある程度は売れてる。
この業界の仕組みを話すと、まず、うちら染工場とテキスタイルの問屋が繋がってる。問屋がいろいろ企画して作って、「こんなんどうですか」ってアパレルに持って行くなり、アパレルの方から「こんなん作って欲しい」という注文がテキスタイルの問屋にあって、そっから染工場に発注がくる。
今はそのアパレル自体が、百貨店を中心とした売り場で売上げを落としてる。百貨店は服の売り上げが結構な比率を占めるんやけど、それが年々減ってる。普段、服をデパートになんて買いに行かへんでしょ。


今はもう、ほとんど0に近い

──行かないですね。UNIQLO、GU…お手頃にいつでも手に入るものが増えてます。

私も結構UNIQLOで服を買ってる(笑)
まぁね、染め屋さんはとにかく大変。今、悪い時期。日本での服に関する繊維の生産量っていうのは95%減で、もう昔に比べて5%しか量が残ってない。
でも百貨店とかUNIQLOとか、いろんなところに服が一応あるわね。ほとんど海外から来てるってこと。着物に関しては98%減。今、レンタル着物が流行ってるらしいけど浴衣も数年前まで、日本で結構な量を染めてた。けどそれも10年くらい前かな。今はもう、ほとんど0に近い。うちらみたいな工場ではもう染めてない。機械染に切り替わって、ほとんどが中国で染められたもの。

──国内で生産して、消費する数が偏っているんですね。

そう。息子2人おるんやけど、「卒業したら(この世界に)来い」とは、よう言えんかった。2人とも国立の大学院出たけど、一人は公務員で、もう一人は全然畑違いのことやってる。

──「継いでくれ」と言えないのはなぜですか。

この仕事は将来を保証できへん。
私の知り合いの染工場の社長の息子はんも、一生懸命やってはったけど、結局ダメやった。それを目の前で見てたら来いとは中々言われへん。今カツカツの生活しとったら「来い」って言えんことないけど。私よりも年収多い(笑)まぁ、そのうち、辞めんならん時期が来るやろな。

──泰茂さんの代で終わりになるかもしれないということですか。

多分終わりになるでしょう。あと何年続けられるか。状況次第で。



職人interview
#03
八幡染色
山口泰茂

文:
溝部千花(空間デザインコース)

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手ぬぐい|01|京都の染めは上百軒、下百軒

KYOTO T5から発売する「てぬぐい」を染めてくださった、創業78年 八幡染色 山口泰茂さんのお話。
「京都の染めは上百軒、下百軒」と言って京都全体に染工場が二百軒近くありました。父が立ち上げた工場で弟さんが色を作り、お兄さんが染めます。長さ25mもの染め台に敷かれた生地に、手作業でシルクスクリーン印刷されています。機械染めが普及している中、手作業で、色の重厚感を大事に守られています。