日本の焼き物の魅力は「ひずみ」
──「サイネンショー」のきっかけが震災だったと聞きました。詳しく教えてください。
東北で震災があったあった当時のことですが、お米作ってる農家の人たちが、カップ麺の容器を洗ってご飯を食べているという話を聞いたんです。「ササニシキ」を作ってる人たちがそんなことになっているってとても悲しいことだと思いました。それで皆んなでお茶碗を送ろうとしたのですが、僕は普段お茶碗は作ってないでしょ。
──そうですね、舟とか蛸壺とかですね。
そう。
だから、自分のためにもいい機会だと思ってやってみた。そしたらすっごく楽しかった。でも現代のクラフト的な焼き方だと一度にそんなにたくさんの量は焼けないんですよ。昔の登り窯の焼き方だと出来るんだけど。それで久美浜(京都の北、丹後地方。ここに松井の共同窯がある)の登窯で1000コくらい一気に焼いた。それで出来た茶碗で展覧会して売上を送ろうと。
──?お茶碗を送るんじゃないんですか。
間違えた。
いや、まずはめし茶碗を送った。それで活動の維持費も東北への送料もすごい経費が必要だったので、展覧会の売上をそれに充てようと考えたわけ。「一汁一菜の器」プロジェクトとして、京都造形芸術大学が中心になって進めた。そしたら京都の高島屋が応援してくれて、たくさんの茶碗が売れました。お客さんの中には、自分の家の食器棚を全部入れ替える人も出てきた。すると前に使ってたもの全部引き取ってくれないかという話にもなる。
──それって、けっこう異常なことですよね。食器全部って…。
何となく気持ちは分かるんですよ。普段使ってるのは既製品できちんとして揃った形。僕らのはちょっとひずんで、薪窯で焼いているから、あたたかい雰囲気。同じことが東北でも起きていて、既製品とこっちの学生や作家が作ったものを同時に「どうぞ持って帰ってください」 というと、いびつな方から先になくなる。どうしてそっちを持って帰るのか聞いてみると「あたたかいから」と 言ってくれる。当時は震災直後の本当に大変な時期で(長い間焼きものをやってきた)僕らとしては、初めて焼きものってこんなに人の生活の役に立つんやなと思って、調子に乗りました。
──震災の復興的なアートプロジェクトの大半とは違って、実際に人が使う器というのがいいですよね。具体的でささいなことにダイレクトにアプローチしているし。それで、引き取った器はどうしたんですか。
その後、読売新聞がこの取組を取材して掲載してくれると、ものすごい量の器が送られてきたんです。それをみんなで窯に運んで、もう一回焼いてみることにした。
──それが「サイネンショー」の誕生。なぜもう一回焼くことにしたのですか。
僕ね、既製品が嫌いなんですよ。洋食器のいいのは好きだけど、和食器の既製品は嫌い。こいつら素材本来の能力発揮してないから、もう一回焼いてあげたらもっと能力出るはずだと思って、焼いたんですよ。するとひずむ。日本の焼き物の魅力って「ひずみ」なんですよ。「ひずみ」とか「かたみがわり」っていう 非対称性。それが既製品はきちっと出来すぎているから面白くない。1230℃で焼かれたものを100℃くらい上げてもう一回焼いてみたら、思った以上のものが出てきた。それで皆、ハマっちゃったんです。
──今、ここにあるサイネンショーの中には銀などがかけられたものが多いですが、これはそのまま焼いても物足りないから飾りとして、かけてあるのでしょうか。
というよりも、焼きあがってきたものの、きたない部分ができてしまったから隠してる。ボロ隠し。
──てことは、一回焼いて出てきたものに、銀をかけてもう一回焼いてるってことですか。
そう、再々燃焼。
仲良く燃えておいで
──でも一回でいいものもありますよね。あのどろっと溶けたプレートなんかは、最高でしょう。
それはかなりレアもので、一回で良くなるものは100こ入れたら10あるかないか程度。銀やなんやかんやしてあげて良くなるのが3〜4割。だから5割くらいはもうどうしようもないっていうものが出てくる。それは、またもう一回焼く。再々々燃焼。またはあかんやつ同士をくっつけて焼いてみたりとか。「仲良く燃えておいで」。
──とはいえ「サイネンショー」のたくさんの偶然の器の良し悪しって簡単には分からないですよね。
そう、僕も分からないんですよ。これはどうしようもないと思って放置して雨ざらしになってたものを時間をおいてもう一回見ると「これいいやん」というのが、いっぱいあったりして。自分たちの見る目が毎回変わっちゃう。
偶然の力で世の中変えられる
──面白いですね。まだサイネンショーに出会ったばかりだから分かりかねる。
2012年からだから、もう6年もやっています。でもまだ分からない。あとは使い方によっても変わる。こういうものって、はじめは綺麗だから飾ってるだけだけど、コーヒー入れてみたり、料理盛ってみるとぐんと良くなったりする。料理が部分を隠すことで、今まで見えなかった部分に目がいったり。
──6年。今もまだ焼き続けているのですか?
続けています。世の中、ほんとつまらない焼き物が多い。美大出て10年20年焼き物やって、土選んで、でなんでこれ やねんみたいなものがたくさんあって、そういうものの作り方は変えたいと思う。こんな風に偶然、窯から出て来たものが 良かったりする。素人と一緒に偶然の力で作る。素人が偶然の力で世の中を変えることができてしまう。でも偶然を呼んで来る目利きが必要。偶然が降り立つ場所は窯場。そういう仕組みが必要なんですよ。
──さきほど日本の既製品の焼きものは嫌いだと言ってましたが、有田焼みたいな伝統的なものも嫌いなんですか。
それは現代の既製品のこと。有田や九谷とかは素晴らしいですよ。それから昔のマニファクチュアな製品は、 微妙にそれぞれが違う。手間かけて量産したものならではの美があって、とてもいいです。
──フィンランドのアラビアの古いものもそうですよね。
そうそう、だから量産品が一概にダメなのではない。今の日本の焼きものって、例えば食洗機にかけられないとダメだとか電子レンジが使えないとダメだとか、要するに「衛生的で便利、いつまでも新品」に作られている。そうすると器が育たない。使い込んだ美なんてほとんどないですよ。
古伊万里や古九谷がドロドロになって出てきた
──最後にこのサイトは伝統文化(工芸)にフォーカスしているので聞きますが「焼きもの」の世界にも、伝統工芸ってありますよね。その中にいいものもありますか。
もちろんある。
「伝統工芸」を支えている職人や原材料、材料を扱う職能集団は貴重です。それと民芸の窯元には面白いものが多い。伝統工芸は、希少価値とか唯一性。でも民芸はそうではなくて量産品。だから安く作らないといけなくて、装飾にしても何にしても最低限でいいわけです。するとシンプルでいいものが生まれやすくなってるかなと思う。オーガニックの野菜が今高く売られてるけど、実際には安くできる。でもなぜ高く売ってるかというと差別化して闘わないといけないから。闘いやめた途端に安くできる。安くできちゃった方が実は闘いに勝ってる側なんですよ。そういうスタンスで民芸はあると思う。
──民芸なり伝統工芸の良い品を「サイネンショー」したことはあるんでしょうか。
…(笑) ある(笑)。
サイネンショーチームは素人が中心だから、その人たちは、当然どの器が伝統工芸の ものかなんて分からない。だから勝手に窯に入れてしまったわけ。伝統工芸の古伊万里とか古九谷のすごくいいものがドロドロになって出てきた(笑)。有田の上等な絵皿が窯から出てきて、「これいいやん」というのもあった。有田のものは、呉須(ゴス=藍色の顔料)で下絵を描いて、本焼きした上に上絵で朱や金塗って仕上げる。3回焼いてるんだけど、
サイネンショーすると3回目が全部飛んで、すっぴんの藍の輪郭だけが残る。それは間がぬけていて 面白く焼き上がってくることがある。けども、ほとんどが元よりも…ひどいものになって出てくる(笑)。伝統工芸のママでよかったのに!という。 それは腰抜けるぐらい面白い。「ごめんなさい」っていう面白さ。隣の優等生より我が家のドラ息子。伝統工芸の焼き直しは面白い。すっごいスリル。
──もったいない(笑)すっごいスリルと言っても、それは素人の方が「やっちゃった」系ですよね。意図的にやるつもりなんですか?
今ちょっとやってみようかと思ってる。でもそうなってくると、こっちの窯の技術と、ある程度の予測が大切になる。すると「サイネンショー」とはまた少し違う世界かなと思う。
松井 利夫(まついとしお)
1955年生まれ。
京都市立芸術大学陶磁器専攻科修了後、イタリア政府給費留学生として国立ファエンツァ陶芸高等教育研究所に留学。
エトルリアのブッケロの研究を行う。
帰国後、沖縄のパナリ焼、西アフリカの土器、縄文期の陶胎漆器の研究や再現を通じて芸術の始源の研究を行う。
近年はArt&Archaeology Forumを立ち上げ「アートと考古学展」(京都文化博物館)を企画監修。
京都芸術大学教授、IAC国際陶芸アカデミー理事、滋賀県立陶芸の森館長
職人interview
#14
サイネンショー
松井利夫
その取組のリーダーである、松井利夫(アーティスト・滋賀県立陶芸の森 館長)にイノベーションが生まれた話と考え方を聞きました。