職人interview
#19


茶筒|01|目には見えない仕事

日本で一番古い歴史を持つ、創業144年 『開化堂』 6代目 八木隆裕さんのお話。茶筒の蓋を開けた瞬間の気持ち良さ。そこに開化堂の“らしさ”が詰まっています。
「この仕事は継ぐな」と言われ、継がないと決めていた隆裕さんは 一度、別の道を歩むも、あることがきっかけで開化堂を海外へ展開していきます。海外での実演販売などを重ねることで気づいた、“日本らしさ”、“開化堂らしさ”とは。そして隆裕さんの目指すスタンダードとは何か。
100年変わらず在り続ける、茶筒と手仕事の魅力についてお話ししていただきました。

目には見えない仕事

──『開化堂』の茶筒の魅力はなんですか。

蓋を開けた瞬間の気持ち良さです。
“気持ち良く開けた缶の中に、自分の大事なものが入っている”という感覚を作っています。最近の人はペットボトルの蓋をあける感覚があるから、缶もペットボトルと同じように持って蓋を開けようとするんです。そうすると手の圧で蓋が開かない。

「筒物は蓋の角っこを持って開けるねんで」とおばあちゃんから教わっていたのが、僕の先代たち。
今の若い年代の人が、本来とは違う開け方をしても、気持ち良さを感じていただくために、蓋のゆるさを調整しています。京都のお菓子屋さんも、時代に合わせて甘さを調整しているそうです。時代を感じて、時代に合わせるというのは手づくりやからこそ、できることやと思います。
そしてもう一つ、茶筒の材が銅、銀、ブリキなので、年月とともに変わる時間軸の美しさも魅力の1つです。

──職人さんは何人いらっしゃいますか。

僕と親父以外に8人いて、ほとんどが若い人です。大体10年かけて一人前になるので、段々覚えていって自分のできる範囲を広げていく流れです。
そして工程ごとに、次の人へ回すので、ある意味分業制です。

──修行の、最初の工程はなんですか。

缶を洗うことなど簡単な仕事からです。
材料をどう持ったら凹むのか、この缶を作るのにどこをどういう風に気をつけたらいいのか等を、なんとなく身体で感じるところから始まります。

──作る工程はどれ程ありますか。

細かく分けたら130以上あります。
缶の表面は一部、真っ直ぐに見えても、触ると微妙に膨らましていたりするんです。そういう目に見えない細かな仕事がこの缶には、いっぱい詰まっています。


「この仕事はダメになるから継ぐな」

──この世界に入ったきっかけはありますか。

僕は大学時代、ここでアルバイトをしていたんですけど「この仕事はダメになるから継ぐな」と親父に言われていました。僕は社会に出たことがなく親父の言うことが正しいと思っていたので、後は継がないと決めていました。親父もおじいちゃんに「俺の代で辞めるで」と言われていたみたいです。

大学を卒業してから、英語が好きだったので、英語の使える職に就きたいと思って働き出したのが、『京都ハンディークラフトセンター』。
そこで働いている時に開化堂の茶筒も出していて、海外からのお客さんがよく来 るんですが、ある外国人の方が茶筒を買いはって、なんでか分からないけど面白いなぁ。と感じて「何に使うの?」って聞いたんです。そしたら「家のキッチンに」と。その時「お土産に」と言われてたら何も感じてなかったけど “自分の家の文化に取り入れたい”と思われたということは、チャンスだと思った。これは海外で売れると思い、親父に「家に戻りたい。この茶筒を海外で売りたい」と言って戻りました。

──その時お父様の反応はどうでしたか。

100年同じものを作っているので「ちゃんと茶筒を作り続けなあかんで」ということは、ずっと親父から言われています。どう世の中に伝えたら良いかなと考え、うちは同じものを作り続けて、伝え方を変えていこうと思いました。
そして開化堂に戻ってからは見よう見まねで技を覚え、5年作り続け、そこから実演販売を繰り返し行いました。


その時、“日本らしさを忘れないといけないんだ”と気づいた。

──海外での実演販売で感じたことはありますか。

パリで実演販売をした時、向こうからの要望で作務衣を着て足袋を履いてたら、小学生くらいの男の子に
「NINJA(忍者)!」って言われたんです。その3日間は全く売れず「俺がやりたかったのはこうじゃない」と思い、身なりを変えたら段々売れました。

その時 気付いたのが“日本らしさを忘れないといけないんだ” ということ。「This is japan」と言ったところでジャポニズムが好きな人には取り上げてもらえるけど、向こうの文化には取り上げられない。だから逆に向こうの文化に忍び込むにはどうしたら良いかを考えるようになりました。
その策の1つが茶筒を紹介するパンフレット。
開化堂には海外版と日本版の2つがあります。海外版は海外の日の光、日本版は日本の日の光で茶筒を撮ったものを載せています。親しみを持たせ、向こうにどう伝えるか、ということを考えています。

──形を変えることなく茶筒を作り続けている中で、色々なことに挑戦されていますが、大事にされていることはありますか。

本当の “らしさ” って何かを考えるのが大事やと思います。自分たちの根っこの部分が何なのか分かっていないと、これから先何をすべきか分からない。なので根っこの部分を見つけて、その延長線上にあるものがすべきことだと思うので、そういうことを考え続けることが大事。

開化堂らしさというのは、技術だけでなく、なぜ開化堂ができたのかなど、手前の部分が開化堂らしさに繋がっていると思います。次の代に繋げていきたい。“らしさ” というのは、やっぱり言葉にはできない。開化堂らしさを次の代に伝える時に、次の代がこれを受け継ぎたいなと感じるために“自分たちはなんでこれを始めたのか。
自分たちはどこに行きたいのか”ということをもっともっと深く考えることが必要じゃないかなぁと思います。

表面的に言葉で言えることは、これっぽっちのことでしかないと考えてて、そんなことよりも言葉にできないことの方が大きくて、だからもの(茶筒)ができた。僕たちは言葉にすることができないから、ものを作り続けている。自分たちの想いがあるから、その想いが形になって。
そこがきちっと整理されてくると、この先何をして良いのか悪いのかが見えてくると思います。


職人interview
#19
開化堂
八木隆裕

文:
溝辺千花(空間デザインコース)

HP:
https://www.kaikado.jp/

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茶筒|01|目には見えない仕事

日本で一番古い歴史を持つ、創業144年 『開化堂』 6代目 八木隆裕さんのお話。茶筒の蓋を開けた瞬間の気持ち良さ。そこに開化堂の“らしさ”が詰まっています。
「この仕事は継ぐな」と言われ、継がないと決めていた隆裕さんは 一度、別の道を歩むも、あることがきっかけで開化堂を海外へ展開していきます。海外での実演販売などを重ねることで気づいた、“日本らしさ”、“開化堂らしさ”とは。そして隆裕さんの目指すスタンダードとは何か。
100年変わらず在り続ける、茶筒と手仕事の魅力についてお話ししていただきました。