職人interview
#23


鼻緒|01|鼻緒は滅びゆく産業

京都に草履の職人さんはいますが、鼻緒を作る職人さんはいません。かつて京都に御所があったことにより、皇室の方々へ品物を献上するため他県で作られたパーツや素材を仕入れ最終工程を京都の仕立て職人が担っていたのが背景にあります。
大阪 西成区にある創業60年の『川口商店』は大阪 草履の老舗 『菊之好』お抱えの職人さん。川口商店では工程の全てが手仕事。針を使う細かい仕事は女性が、木槌を使って鼻緒をならす仕事を男性が。工程が多く、昔から鼻緒の仕事は夫婦で行われていました。
三世代に渡り分業制で鼻緒をつくりあげており、一代目が一度、病で倒れた時に家族全員の支えがあったからこそ、今も続いています。手仕事への姿勢、時代で変わる鼻緒の魅力について教えていただきました。

鼻緒は滅びゆく産業

──鼻緒職人になったきっかけは。

僕は親の世代からこの仕事をやっていた。小学生の頃、手伝いが始まりで60年やってる。うちは鼻緒を作る工程が全部、手仕事。
手仕事には利点もあれば、不利点もあるなぁ。

──川口さんにとって、手仕事の利点はなんですか。

細かいところまでできること。それによって、鼻緒への足当たりが全く違う。そこが一番大事なところ。ミシンで縫うと縫い目が硬くなるのよね、そうすると当たるところが痛い。手で縫うと、細かく仕事ができて縫い目が表に出ない。すると、当たりが柔らかくなる。

──対して、手仕事の不利点は。

作る人が少なくなってきていること。履く人が減っているのもネックやね。
曾孫には小さい頃から下駄を履かせていました。今、中学生ですけど家に帰ってきたら下駄に履き替えて遊びに行きます。外は真冬で寒いのに素足で。最近は藁草履を履かせる幼稚園もあるよ。
最近、機械で縫う鼻緒屋さんも多いけど、昔、手仕事で作る鼻緒屋がここあたりに50軒以上あった。でもだいぶ減った。鼻緒は滅びゆく産業や。これは手仕事やから、手で作れる分しかできない。能力は人それぞれ違うから、これ(鼻緒の仕事)一本でご飯を食べれる人もいれば、そうじゃない人もいる。

──鼻緒を作られていて感じる時代の変化はありますか。

体格に変化があるね。
特に女の人は体格が良くなって、足も大きくなっているから時代に対応できることはしている。
形には変化ないね。草履は昔から草履の形のままで、進歩がない。簡単に言えば、鼻緒を指で挟む形。でも、進歩する必要がないんよね。
今の若い人や外国の人は、小さい頃から下駄や草履よりも靴を履いてるから、鼻緒を指で挟む習慣がなくて「痛い」と言う。昔は小さい頃から鼻緒のついた下駄を履いていたから、足が強かった。

──時代によって鼻緒の柄などに変化ありますか。

ある。
鼻緒には柄や刺繍といった、いろんな“色”がある。形のデザインは変わらんけど、色が変わる。景気がええ時は金色の鼻緒がよく売れるねん。悪い時は銀が売れる。
本当に。
日本には四季があるでしょ。一月、二月、三月…と並んでいて、鼻緒も並べることができるんよ。利休下駄(りきゅうげた)という、歯のついた下駄があって、高さが高いものと低いものがあるんやけど、下駄の台も12種類以上ある。縫いもあれば、竹のものもあれば、杉のものも。昔は気候によって変えていた。舞妓さんが履いているおこぼも側面に蒔絵が施されているものが昔あって、うちもそれを三代にわたって娘たちが七五三で履いていた。でも今は需要がなくて特殊な草履や下駄を作る人がゼロになっている。

──以前黒紋付の職人さんにお話を伺った時、「着物離れで着物関係の職種は生産を縮小化していっている」という話がありました。鼻緒の業界でもそうなんですか?

鼻緒はもう職人がいなくなっている。
鼻緒は工程が多いから夫婦でやっていかな、仕事が回らない。昔の鼻緒屋さんはどこもそうだった。どちらか一人が欠けてしまうと大変。
うちは夫婦でずっとやってきて、今は娘と孫も一緒に。僕の孫はこの仕事をしだして、10年目。学校を出た後、他所に働きに行っててんけど「おじいちゃんが鼻緒の仕事してんねやったら僕もする」と言って。器用ですねん。わたしらの仕事の手元を見様見真似でやりだして。鼻緒は分業制で男は一人、それに対して女は5人ぐらいがちょうどいい。針を持つ細かい仕事は女が。木槌で鼻緒をならす工程を大体男が。わたしら夫婦が年取っても、こうやって作業できているのは娘や孫のおかげなんです。
僕らは継承するもんを継承できたからええけど、もしこの仕事を会社としてやってたら生活安定していない。
僕は今年で86歳。僕らは滅びゆく産業やから経験を教えて、時代に対応していくのは孫らの世代。


職人interview
#23
川口商店
川口晃弘

文:
溝辺千花(空間デザインコース)
川口水萌(ビジュアルコミュニケーションデザインコース)

職人interview
#23


鼻緒|01|鼻緒は滅びゆく産業

京都に草履の職人さんはいますが、鼻緒を作る職人さんはいません。かつて京都に御所があったことにより、皇室の方々へ品物を献上するため他県で作られたパーツや素材を仕入れ最終工程を京都の仕立て職人が担っていたのが背景にあります。
大阪 西成区にある創業60年の『川口商店』は大阪 草履の老舗 『菊之好』お抱えの職人さん。川口商店では工程の全てが手仕事。針を使う細かい仕事は女性が、木槌を使って鼻緒をならす仕事を男性が。工程が多く、昔から鼻緒の仕事は夫婦で行われていました。
三世代に渡り分業制で鼻緒をつくりあげており、一代目が一度、病で倒れた時に家族全員の支えがあったからこそ、今も続いています。手仕事への姿勢、時代で変わる鼻緒の魅力について教えていただきました。