職人interview
#51


京提灯|01|竹割ってる時が一番落ち着く

創業は江戸寛政(1789〜1801)年間。小嶋商店は、現在では数少ない京提灯の担い手としてご家族で役割を分担をし、京提灯を作っておられます。
AIや機械が発達する中、全てを手で行う小嶋商店。9代目の小嶋護さん、10代目の小嶋俊さん、諒さん、そして武田真哉さんにお話をお伺いしました。

竹割ってる時が一番落ち着く

──現在何代目ででいらっしゃいますか?

俊さん
今親父で9代目で、僕ら兄弟で10代目。

──ずっと同じ場所でお仕事をしていらしたんですか?

護さん
60年前くらいにここに来たっていうのを聞いてて。それまでは四条の木屋町に。その前は五条やったらしい。今では考えられへんな。呑み屋街になってしもったからな。

──継ぐ時の葛藤はありましたか?

俊さん
なかったな。二人とも18から高卒でこのまま入ったんやけど、親父が世間知らんとやっぱあんまり良くないってなって。いろんなことはしろって言って、仕事夕方くらいに上がってバイトしたりとかしてた。
「正直お前なんか全然通用せえへんから、世間勉強してこい。」って。

──今は護さんが文字を、俊さんが竹割りを、諒さんが紙貼りをされていますが、役割はどうやって決められたのですか?

俊さん
ほんまに実はたまたまで。俺が仕事始めるときに竹割る人が少なかったから、おじいちゃんがちょっとやってみ、っていって教えてくれたのが最初で。そのままこれが得意分野になっていって、諒が入ってきたときはもう俺竹割りする人いるから、貼る方から入ろっかって言って始めた。ほんまにそれだけ。

──竹割りの楽しいところはどこですか?

俊さん
なんやろな。とにかく、いろんな仕事があるんやけど、竹割ってる時が一番落ち着くようになった。考えながらできるというか。一番リラックスして竹割ってる感じ。
去年から竹も変わってん。今まで淡竹っていう種類の竹を使ってたんやけど、それが一斉開花してしまって、全国的に無くなんねん。竹ないやんってなって真竹で練習してたんやけど、逆に真竹の方がやりやすくなってしまってん。慣れってすごいな。
竹の中でも、肌見ただけで提灯に合う合わないがわかる。ある日突然ってわけじゃないからな。気づいたら分かるようになってた。

──私たちが普段日常的に行うことに近いんですね。

俊さん
そうやね。多分ずっとやってられる。身体痛なるし休憩は挟みつつやけど。
これ嫌やなってことはないね。

──武田さんはどのようなお仕事をされていますか?

武田さん
職人ではなく、数字や納期を管理して、どういう方向性に持っていくかっていうのを、出た意見をまとめて発信する。小嶋商店はそれぞれ役割分担できてると思ってて。俺が全くできないことを諒ができて、諒ができないところを俊ができたりする。それを後ろで支えてんのが親方で。親方がいないと不安やし。
だからほんまにバランスがいい。


非効率な産業

──T5でもミラノサローネへの出展の際、大きい提灯を作っていただきましたよね。

俊さん
あれすごい好きやもん。内側が綺麗ってやつ。俺ら毎日提灯の内側を覗くんやけど、“筋入れ”(完成した提灯を折りたためるようにするために、和紙に筋を入れる作業)を若い頃から毎日やってて、親父とかもチェックする時とかも、中を見んねん。

護さん
中を見せるっていうのは、リスキーではあるねんな。全て丸分かりになるから。でも中って規則的ですごい綺麗やん? 竹の節とかも、一本の竹では大きいサイズは作れへんから、何本か並べてくと規則的になるんや。

──今の時代、機械を導入するところが増えてきてますが、小嶋商店さんが手にこだわる理由はありますか?

俊さん
(製作工程に)そんなに機械を使うところがないから、そこにこだわってるわけじゃないけど、わざわざ機械作る手間の方が大変でしょ。なんぼかかんねんと。別にそれすんねんやったら、提灯作る仕事とかせえへんから。
だから結局、提灯作るのが好きなんやろな。

俊さん
でも、機械化が悪いことやとは俺は全然思わへん。
突き詰めていったら機械の方が綺麗なんやったらそうやるべきかなとは俺は思うし。
手作りのあったかみとかっていうのって、難しいところやけどね。それが好きな人はその方がいいっていうやろうけど。どっちが綺麗ですかってなったときに、機械の方が綺麗ですって言われたら、もうどうしようも無いやろし、難しいところかな。俺はもう好きな方でやるようにはしてる。じゃあ全部機械化して、提灯がバンバンできてきて、めっちゃ売れます、今よりお金持ちになりますって言われても、多分、うちはそうしますとはならへんと思う。それやったら違うことしますってなると思う。

──小嶋商店の京提灯魅力はどこだと思われますか?

俊さん
ゴツゴツしててしっかりしてんのがめっちゃ好きや。しっかりしとんなぁみたいな。基本そういうのが好き。ご飯も大盛りの方が好きやし。(笑)

諒さん
技術が集まった感じがいいんかな。糸がまつってあったり、紙の貼り方とかでいうと、光が入ったときにどう貼ったら綺麗に見えるかっていうのもしっかり考えて貼ってるし、ちゃんと細かいところが大事にされてるっていうのが好きやな。

武田さん
人間の手で全てを終わらせるっていうのは、大量生産の世の中ではものすごい時代遅れやと思うんやけど、でも、ものすごく希少価値が高い。希少価値を頑張って残してくれたのが親方(護さん)やねん。大変な時期がきっとあって、もうダメだと思っても、好きで残してくれて、その希少価値が今、良いものはいいんだ。って求められて来ている。後継とかの問題とかもあってこれからもっともっと少なくなっていくと思うんやけど、もし、そこで1つでも小嶋商店が残ってたら、それは唯一無二のものになる。そこが魅力かな。伝統産業全部そうだね。


「好き」であり続けること

──提灯というと私たちのイメージでは、神社やお祭りですが、昔と今で役割や求められる場所の違いはありますか?

俊さん
基本的にはお祭りとか、神社とか看板とか。あんま変わってない。注文としては、今は一番内装照明が多いかな。あとはイベントのヴィジュアルロゴ入れて欲しいとか。いろんな話もらったら、基本的にはチャレンジするようにはしてるな。
せやけど今でも提灯屋さんって、製法自体はこれじゃないとあかんって言ってるところは全然減ってる。親父の時からしたら、生産量からすると半分もいってへんのちゃうかな。職人さん自体が減ってきてるしな。昔はもう、数あげなあかんかったから、俺が始めた時でも職人さん4~5人くらいで毎日おんなじ提灯ずっとやってはって、俺はずっとおんなじ竹割ってたし。

──京都には何軒くらい提灯屋さんがあるのですか?

俊さん
だいぶ減ってるし、規模を縮小してやったはるところもあるし、大きいところで言うたら4軒、5軒ぐらいかな。
50年前くらいやったら、市内で15、6軒お得意さんあったんが、亡くなられたりとか、もうやめはったりとかで、今は2軒か3軒。そんなレベル。
俺らはもう全然違うところでやってるから、他の提灯屋さんの並びをあんまり知らなくて。組合とかもないし。だから俺らはやりたいことできるんやけどな。

──需要が減ってきてる中で、提灯職人を続けてゆける理由はありますか?

俊さん
子供みたいやけど、単純にこの仕事が好きやねん。手作りで一個のものを作って納品して商売していくっていうのが、普通の考え方ではできひんと思うねん。その時代、時代でどうやってつくり続けるか自分で考えたらいいとは思うけど。
ほんまに好きやったらできると思う。好きなことできるし、好きな人と一緒に仕事できるし。でも(子供に)おすすめはできひん。

提灯の素材である和紙は、300年続く佐賀県の『名尾(なお)和紙』。提灯には貼るときに使いやすいように、小嶋商店オリジナルの和紙を作ってもらっている。


職人interview
#51
小嶋商店 京提灯
小嶋護
小嶋俊
小嶋諒
武田真哉

文:
鈴木日奈惠(基礎美術コース)

撮影:
中田挙太

小嶋商店HP:
https://kojima-shouten.jp/

職人interview
#51


京提灯|01|竹割ってる時が一番落ち着く

創業は江戸寛政(1789〜1801)年間。小嶋商店は、現在では数少ない京提灯の担い手としてご家族で役割を分担をし、京提灯を作っておられます。
AIや機械が発達する中、全てを手で行う小嶋商店。9代目の小嶋護さん、10代目の小嶋俊さん、諒さん、そして武田真哉さんにお話をお伺いしました。