職人interview
#61


日本庭園|伝統を創造する

臨済宗大本山 南禅寺や真宗大谷派東本願寺をはじめ、星のや京都や南禅寺界隈の別荘庭園など、京都の寺社仏閣や日本庭園に携わる植彌加藤造園。今回のインタビュー場所となった国の名勝 無鄰菴もまた植彌加藤造園が指定管理者として携わる庭園です。

それぞれの庭園固有の歴史的意義や作庭意図を、時をかけてより豊かな価値へとはぐくむ職人の技。それらはどのようにして受け継がれてきたのか、どんな想いで京都の景色を育んでおられるのかを植彌加藤造園の代表取締役社長である、加藤友規さんにお伺いしました。

物心ついたら周りの人が植木屋さんだった

──まずはじめに、このお仕事を始められたきっかけからお話いただけますでしょうか?

一般的にはどこかできっかけがあって「こんな仕事をしよう」って思うのだろうけど、私は家業の植木屋さんのもとで生まれ育ったので、小さい時から家に職人さんが住んでおられました。

物心つくころから可愛がってもらって、住み込みの職人さんたちに映画に連れて行ってもらえたり、食事をするときも職人さんたちがご飯を食べているところで一緒に食べていましたし、親父さんや職人さんたちが、食事しながら「今日の仕事ってどうやったこうやった」「これはうまいこといった、あれは下手くそやった」など、楽しくお話しているところを聞きながら育ちました。

そういった環境から日本庭園に関する心と技をおじいちゃんやお父さん、また、子どもの頃に可愛がってもらった職人さんたちから教わりながら、そのまま今の仕事へと繋がっていますね。

──日本庭園の需要というのはどこが一番多いのですか?

一概に植木屋さんといっても色々なところでやっておられるので、その場所によると思いますが、私の家業はここ無鄰菴のある南禅寺の地域で植木屋さんをしていたので、元々の家業としての仕事というのは、やはり京都のお寺さんを中心に仕事をしていました。ずっと昔からあるお寺のお庭をお手入れする、そういったお仕事です。今はお寺以外の場所まで広く多岐に渡っています。


「完成のない生きた総合芸術」

日本庭園の魅力についてはどうお考えになられていますか?

日本庭園の魅力について。ベタな質問やね(笑)
あなたはどういうところだと思いますか?

──そうですね… 一言でいえば落ち着くところですかね。

落ち着くところ。そうやね。そういうところもあるかもしれません。
京都芸術大学の学生さんにお聞きいただいているから、日本庭園を芸術という捉え方で見ると、「完成のない生きた総合芸術」と言えるんです。日本庭園はそれくらい総合的な芸術をやっていると言えます。

2人は芸術作品というとどんな風に思いますか?

──芸術作品と聞くと油絵や日本画の作品や陶芸の作品など自分の手で完結するものを思い浮かべます。私からすると生き物を扱うというのは、制御がきかなくて難しいのかなと思ったりします。

なるほど。絵画や陶芸の作品も、もちろん芸術作品だよね。でも、それらは「出来ました」って言えるでしょう?

私たちの仕事にはそれがない。植物を植えて、植物の成長と共に仕事を行っているので、生き物を扱う以上「出来ました」や「完成しました」というのはないけれど、かえってそこがええねんな。

自分の将来、自分の人生の中だけで完結しないんです。先輩から受け継いで、まだ見ぬ後輩の人たちまで託していく。そこが日本庭園の面白いところであり魅力だと思います。

さきほどの「完成のない」と「生きた」という2つの言葉はそういうことなんです。

そういう意味で言うと、この無鄰菴のお庭も今年で126歳。私は56歳。70年の歳の差があるわけで、お庭の方が70年先輩。それを今こうして見させてもらって、もう半世紀経つ。この先間違いなく私はこの世に居ないけれど、「心」と「技」を託した人たちの手によってお庭はあり続けてほしいと思いますね。

──今のお話を聞いて、とても責任重大なお仕事なんだと感じました。

うん。重大やね。今お預かりしている現世の中で、その時の最高のものを味わってもらえるように考えています。
未来の後輩に漫然とに任せるのではなくて、きちんと今この時の最高のものをお見せして、でもさらに良くしていけるという未来の姿を思い描く必要がある。
今だけを見るのではなくて、過去のこともこの先のことも両方の時間を見据えて仕事をしないといけない。今だけで済ましては絶対にだめということですね。

ところで、2人は20歳くらいですか?

──そうですね。19歳です。

そうかそうか。ほんまですか。それは素晴らしい。(笑)

この無鄰菴のお庭は明治29年(1896)ごろに誕生したんですが、残って生き続けているというのが、それだけで奇跡で恵まれている。
仕事でいろんなお庭に行っていると1000歳以上のお庭とも出会います。そういったものと今はお付き合いしていますが、それぞれに人々の想いがちゃんと残ってる。これは残らなアカンなっていう想いで大切に残っていってるんやね。

是非たくさんのお庭に会いに行ってほしいと思います。


自分には持っていない力を持った人たち

──少しお話が変わりますが、植彌加藤造園さんの強みはどこにあるとお考えでしょうか?

植彌加藤造園の強みは自分ができること以上のことを後輩たちがしてくれるように、「今を生きてる想い」があることかな。

それは先輩への敬意でもある。先輩たちがかっこよくされてたことを見て教わったからね。教えてもらったことをブラッシュアップして、後輩たちにもやってもらいたいという想いで取り組んで、さらにそれを受け継いでいけるって素敵なことやんか。

高い技術があるというのは当たり前の話で、そんなことよりも日本庭園というものは色々な芸術分野や文化が集まってできていて、さらに完成がない。そこに惚れ込んだ人たちがスッと共有して共感して「面白い!」って一緒に仕事ができているところ。私の想いとしてはそこが一番の強みですね。

──携わる仕事をお客様に届ける際に大切にされていることはありますか?

そうですね、お代を頂いている限りは注文してくださる人の欲しいものをきちんと正確に把握して、叶ったものにしようとしているところです。

たとえば芸大のみんなが自分の卒業制作で「こういうことが好きだから、表現したいから、作ろう」というのとはやっぱり異なる。

大人のプロの仕事となると、自分の好き放題に作るのではなくて、お客様(クライアント)がどういう空間で何を求めているかに心を寄り添わないといけないからね。

それが最終的なものをお客様に届ける際に一番大切にしてることです。現代的に言うなら「お客様のニーズとウォンツを正確に把握して寄り添う」。

『作庭記』という日本の一番古い庭園の造り方を書いた書物があるんだけど、その中の表現にも「家主の意趣を心にかけて」庭を造ることが大切だと書かれている。 そういうところを意識していますね。

──お仕事を続けてこられて考えが変わったことや改めて見えてきたことなどはありますか?

「完成のない生きた総合芸術」と向き合っていくと、少しずつ熟成していくんですが、辿り着けない境地があるという気づきを得ましたね 。

 若い頃は仕事ができるようになりたかったから、何でもかんでも一生懸命取り組んでいたけど、途中で自分の一生をかけても辿り着けないところがあるっていうのが分かりました。日本庭園はそれくらい深くて広い総合芸術ということかな。

 みんなと同じくらいの年の頃はやっぱりたくさん勉強してたな。 これ覚えたいあれ覚えたい、覚えてさあ見てみよう。こんだけ勉強してこんだけ修行したからみたいなね。でも、 これくらい修行したから万全に出来るようになりましたとか、立派な職人になれましたとか、そうはならないことに途中で気付いたんです。

寿命の中で、一生努力を続けていく覚悟はある。でも、自分の人生の中だけでは完結できない。だから先輩から教えてもらったことは後輩に託していこうという考え方になりました。

──その気づきをされたのは、いつのタイミングだったのですか?

10年くらい自分で仕事を覚えていく中で、左官屋さんの職人さんのコテの技術を身につけたいなと思ったんです。でも、完璧に修行するには時間が足りませんでした。

実は造園の仕事はホントに多岐に渡るんですよ。職人として、現場監督として、土木屋のことも、大工のことも、左官屋のこともできなあかんし、色々な工種が混ざり合っている。植物のことはもちろんやけど、土木、建築、電気や給排水などの設備の問題など全てが対象なんやね。

当時30歳頃やったかな。もう一度20歳代から大工や左官屋の仕事も修行したいと思い始めたけれども、そこで全部は無理やと悟った。ホント、人生は短すぎる。広くて深いこの世界で修行して極めていくには寿命が200年は必要だと思ったね。

自分の生涯で完結できるものではないという自覚のもとでやっていかなあかんというのと、自分には持っていない力を持った人たちが集って成り立っているということを改めて知ったんです。

自分ができるできないの物差しで考えるのではなくて、自分が出来なくても仲間が側にいてくれて一緒にこの仕事ができるんやったら面白いし、その方がいいなと。

──やはりお庭のお仕事はチームプレーなんですね。

完全にチームプレイやね。制作プロセスのどこにいるかによって登場人物が全然違う。

庭造りは依頼を受けてからのやりとりもあるし、いざ庭造りを始めるにしても職人さんや設計する人、デザインする人たちとも一緒に仕事をする。竣工してからもお庭をお手入れする職人さんがいたり、いろんな人にお庭を楽しんで味わってもらいたいという考えで活用を企画するときには、そのお庭でどんな楽しいことができるかを考える人もいる。

お庭のプロセスの中でいろんな人たちが登場するから、関わる人は本当にたくさん。そのプロセスも面白いし、例えばお庭でこんなイベントをしたら面白いだろうなとか、一緒に妄想を膨らませるのも楽しい。

現代的に言えば、お庭はみんなの遊び場だからね。昔の人だって お庭で人が集って、お食事をしたりお酒も飲んだりと、好きに過ごして楽しんだわけやから、21世紀の今になっても、ここでどんな活用ができるかを考えることだってチームプレイが求められます。 いろんな多種多様なチーム編成でどう進めていくかですね。

──では、お仕事を進めていく中でのご苦労はありますか?

苦労でしんどいということはなくて、むしろそれは面白いと思っているね。

お庭を造るとき、設計図に書いた通りになんて出来るわけがないから、 現場でデザインをしていく中で想定外のことが数多く起こるんですよ。

それに対してどうしようか思考しながら一つずつ積み上げていく。それは苦労というか、それがやりがいとなって面白いんだよね。

お庭って本当に千差万別で、 それぞれ唯一無二で全部条件が違うから同じものは造れない。

この無鄰菴のお庭も東山の借景を取り入れることができたから、奥のお庭まで繋がっているような構想になったんだろうし、たとえ条件が悪いからこの地でお庭は作れないと思うのではなくて、そこを活かしてどんな工夫ができるか楽しんでいくことも醍醐味だね。


京都に残る伝統を創造する

──他の地域と比べて京都の良さはどういったところにあると思いますか?

お庭ってどこで造られてどこにずっと残ってきたかというと、やっぱり京都が多いんですよね。 

日本史を振り返りながら元を辿ると、 710年の平城京のあと、794年に平安京となって京都に都ができたでしょう? そこからずっと残り続けている。江戸時代に入ってから東京にお庭ができるようになったけど、長く残ってきた分、技術の蓄積などはやはり京都の方が厚みがある。

地方の植木屋さんの後継者は、学卒後すぐに家業の造園業をするのではなくて、20代のうちは京都で過ごしてから始めたりする人が多い。冒頭にお話した、子どもの頃にお世話になった住み込みの職人さんたちも20代を京都で修行して家業のために地元へ帰りはった。京都に職人さんが修行に来るのはそういうことやね。

また、無鄰菴のようなお庭のことを「名勝庭園」と言うんだけれど、統計的に言うと、文化庁から文化財に指定されてる日本庭園が全国230件ぐらいある。

そのうち京都には54件。数字の上でもそうだし、国宝に相当するような「特別名勝庭園」も全国に24件あって、そのうち京都が13件で半分以上を京都が占めてる。

そう言った意味でも、京都の良さの一つは言うまでもなく様々な時代の日本庭園が今も見られることですね。

──最後に、今後の展望についてお聞かせください。

私は植彌加藤造園という会社で造園業を生業としているわけだけど、自分のご先祖が南禅寺さんというお寺のお庭の仕事をさせてもらって、それ以来ずっと約170年の間、南禅寺さんとお付き合いを続けさせていただいている。そうしていると京都の土地が大切にしているものが、私にとっても大切なものになっている。そんな思いがあります。

今、お庭をお預かりしているこの時代の中で、同じ現世を共にしている仲間や一番身近な職場の人たちと一緒に、未来の後輩から「この令和の時代の植彌加藤造園がやっていたことってすごいことだな」「この令和の時代すごいブラッシュアップしてはるな」と感じてもらいたい。

今の私たちが126歳の無鄰菴を見た時に「100年前の先輩の七代目小川治兵衛さんは山縣有朋さんの想いをちゃんと具現化して、すごい良いものを造りはったな」って思えるみたいにね。

それは、現在進行形では分からないというか、今を共にしているみんなで、今を精一杯生きて味わって楽しんでいること。それを未来の後輩たちから見たら伝統になっている。そんな仕事をずっと成し遂げて行きたい。

今までを想い、今を想い、未来を想って「伝統を創造する」という大きな夢ですね。


職人interview
#61
植彌加藤造園
加藤友規

文:
安彦美里(基礎美術コース)
谷口雄基(基礎美術コース)

撮影:
稲村春輝(写真映像コース)

植彌加藤造園 HP:
https://ueyakato.jp/

無鄰菴 HP:
https://murin-an.jp/

職人interview
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日本庭園|伝統を創造する

臨済宗大本山 南禅寺や真宗大谷派東本願寺をはじめ、星のや京都や南禅寺界隈の別荘庭園など、京都の寺社仏閣や日本庭園に携わる植彌加藤造園。今回のインタビュー場所となった国の名勝 無鄰菴もまた植彌加藤造園が指定管理者として携わる庭園です。

それぞれの庭園固有の歴史的意義や作庭意図を、時をかけてより豊かな価値へとはぐくむ職人の技。それらはどのようにして受け継がれてきたのか、どんな想いで京都の景色を育んでおられるのかを植彌加藤造園の代表取締役社長である、加藤友規さんにお伺いしました。