「頭を垂れろ 胸を張るな」
──誰から技術を教わったのでしょうか。
私には、お姉さんが2人いて、私は末っ子の長男です。私の親父が8代目で、僕が生まれたら9代目の跡継ぎができたということですごく喜ばれて。次の業の継承をするということでずっとかわいがられました。
その時に祖母、つまり父の母がおられてですね。祖母は孫の僕をいつも横に呼んでは何かをしていました。それが祖母にお仕事を教えてもらっていたんだと後から気づきました。
技は9歳の頃より祖母に習いました。祖母にとっては、私が習うというと、とりあえず仕事の道具、仕事の材料に触れさすという感覚が大きかったんだと思います。
例えば、珠に糸を通せたら、「上手にできた」って頭を撫でて褒めてくれました。それが嬉しくて自然に身についていきました。
もう一つ言えば、仕事場の手元にきれいな箱にお菓子等が入っているわけです。落雁であったりとか、松葉の形の飴細工だったり。それが欲しいがためにやるんですよね。やったら褒められてお菓子をくれるんです。それの繰り返しで、自然と祖母に歩み寄っていき、念珠の仕立てができるようになっていきました。
──食べ物に釣られてしまったんですね。笑
条件反射ですね。
ただ、繋ぐとか通すとか組み上げるとか、そういうのを少しずつやっていたんです。
祖母が亡くなったのが僕の中学時代です。それから父の下で教えてもらって、7代目の祖母と、8代目の父から両代の技を継承しました。
──今まで苦労された事や、今苦労されている事はありますか?
継承していくものを作る人間でもありますが、会社を経営する社長でもあります。働く社員の生活を保障しながら、みんながいがみ合わず、助け合いができる良い環境をつくらなければなりません。
例えばある日、社員の中につまらない顔をしている子もいれば、楽しい顔をしている子もいる。その間に潤滑油みたいにうまいこと入れるのが社長なんじゃないかなと思っているわけです。いかに仕事の楽しさを伝えるかというのと、この会社がどういう思いでお客さんに対して接するんだという仕事のベースをしっかりと伝えることが大切だと思っています。
伝統の継承というのは同じことの繰り返しが非常に多い。
多くの体験の中で、自然と技が積み上がってうまくなっていく。糸1本にしても、この湿度だったら合わないとか、今日は雨やからあかん、とかそういうものが積み重なって自然と加減がわかるんだと思います。
それで、自分に驕らず続けるようになったのは、祖母が私に言った、「頭を垂れろ 胸を張るな」という言葉がきっかけです。
「ええもん作ってるやろ、俺は」これは絶対したらあかん。いいのがたまたまできる時があるかもしれない。だからといって次またいいのができるとは限らない。たまたまいいタイミングでいいものを作れたとしても、その翌年にはもうあれ以上は作れへんてなってしまう。
「頭を垂れろ 胸を張るな」というのは商売人は威張ったらあかん、来てくれるお客さんがいるからこそお商売も成り立つ。今では頭をずっと下げておくことを祖母から学んだということです。技術面に関しては、教えられたことは習得していくのでいいけれど、やっぱり加減ですよね。加減というのは実際にやっていかないとわからないところが難しいかなと思います。
他にないものを作る
──続いて、手仕事の魅力についてお聞きしたいと思います。
手加減というのは、なかなか機械ではできない。機械でできるものも、今まで試したこともあります。ありますけど、念珠は機械化して多量生産するような商品でもない。ちょうど今、需要が合っているのかなと思います。
お客様と話をして、「どういうものが好みやな」とか、「こういう使い方をしはるなら、こういうふうに仕立てた方がいいやろ」などとお客様の要望とご相談によって良いものができたら良いなというものがあります。
手加減ができる手仕事というものは、素晴らしいことだと思います。
──他とは違う福永様の強みについてお伺いしたいと思います。
お客様から直接、要望を聞いて新しい商品のヒントをいただくので、お客様のご要望されるオリジナル商品の開発や製造が可能になっているお店です。それは強いと思います。
私たちの会社は少ない生産数であっても作れるので、毎年新しい商品の開発をしていくんです。
あかんかったらあかんでええ。念珠はありがたいもので、糸を切ってバラバラにしたらその材料でまた違うものを作れる。そういう柔らかい考え方で新しいものづくりをしています。
珍しいものはいっぱい作っていますし、他にないものも作っていますよ。例えば、阿弥陀如来さんを余長3cmで木彫して、念珠にしたりだとか。この前、「もっとやったれ」と思って、1cmの阿弥陀を作ったり。ちょっとやりすぎたなとか思ったんですけど、そういう変わったものや面白いものも作るのが遊び心だと思います。
一回面白いことをしたことがありますよ。マンモスの牙で数珠を作ったことがあります。
──象牙みたいな?
一緒ですよ。店頭にマンモスの牙とか置いてありますので、あとで見て帰ってください。私が北海道の某デパートの京都物産展で実演をしていた時に、ロシアのヤクーツクという村の日本の親善大使さんに会いました。その人が何してはるかって言ったら弓道の神事の行事で使う道具を作ってはる社長さん。国外に輸出できなくなった矢尻の先に使用する象牙の材料が流通の都合で手に入らなくなったそう。
ワシントン条約で、象牙が国外に輸出できなくなったために、全然日本に入ってこなくなって。それで象牙の代わりはないかということで、マンモスだそうです。
──象牙がないから、マンモスの牙を使う発想がすごいですね。
マンモスの牙は硬い茶色い外皮と、中の白い象牙質の部分、矢先に中心部を使うので、その周りの部分が余るんですよ。
それで、「福永さん。余った部分で数珠の珠を取って数珠にできませんか」と。そんな話をして親善大使がヤクーツクから私の方にその余った部分を送ってきたので、それから珠を抜いて作りました。
──どんな方に売れましたか。
お寺さんです。珍しいから。うちは毎年カタログを発行してるので、2万軒のお寺に一気に宣伝できました。 また、そのおかげでヤクーツクの方々に収益の半分を送金することができました。
──世界各地から材料を集められているということなのですが、探しに行かれているのでしょうか。
私が現地で見に行くのは一部です。例えば、香港は市場的に中国全土の売りたいものが、サンプルで手に入りやすいです。自分の足で歩いて、サンプルを買って、逆にそのサンプルからバイヤーに指示を与えています。最近は自分でデッサンして、こういう玉をつくって欲しいとかも言いますね。
──いろんな世界で繋いでくれる方がいるんですね。
合掌すること
──続いて、モノをお客様に届ける際に大切にされていることについてお伺いします。
一つ一つ丁寧にお仕立てすることが一番大切です。手を抜かないこと、気を抜かないことが、お客様にモノを届ける際に一番大切なこと。「福永さん、これあかんかった」と言われたときは、どうしたらいいのかなと一緒に考えて、もし間違ったことをしていたらはっきり謝る。
それでお客様が「ああ良うなったわ」というところまでお付き合いをさせてもらうのが一番お客様との信頼にも、モノを届けるためにも大切にしていることです。
お客様に送付して開封するときに「どんなんできたやろ」とドキドキしはるわけですよ。その時に段ボールを開けたら中がくしゃくしゃに梱包してあったら嫌でしょう。最後の最後まで気使ってくれてるなというのが伝わるように、お客様の立場にたっていつも仕事をすることが大切だと社員にも教えています。
お客様が喜んでもらえること、気分良く接することを大切にしなさいと伝えています。
──若い世代、次の世代にどの様に念珠を広めていきたいですか。
念珠というものに関しては、葬儀や法事で使用する他に先祖の何か明るいイメージで使うという感覚がないのかな。でもそれはしょうがないんです。なかなか若い世代に広めていくというのは難しいかなと思います。
ネット時代ですから、何が起こるかわからない。訳のわからぬ付加価値を誰かが言い出したら、みんなこぞって買いに来ることになるかもしれません。けど、念珠そのものを理解してもらうことは大変難しいかなと思っています。
伝えたいことは、念珠の持つ意味を知って皆さんが必要だと感じてくれること。使ってみたいと感じさせることが、これからの若い世代に必要なもの。
私たちは社会に出る子たちに合掌するということの大切さを伝えたい。
そして合掌する手に念珠がなぜ必要であるかも伝えなければなりません。
今、私が存在する命が親や祖先から命を繋いでくれたことに感謝し、合掌することが、子たちに伝える大切な事なんだなというのを感じてもらえるメッセージをどう発信していくかです。
私たちの伝統産業がなくならないことを祈っています。
職人interview
#66
福永念珠舗
福永荘三
文:
山田暖子(こども芸術コース)
鈴木穂乃佳(基礎美術コース)
撮影:
鈴木穂乃佳(基礎美術コース)
福永念珠舗 HP:
https://www.juzz.net
世界各国から選りすぐりの材料で作る念珠だけでなく、お客様一人ひとり合わせたオリジナル念珠まで幅広く作られています。驕らず真摯に念珠を作る職人として、そして社員をまとめる念珠屋の社長としての福永さんの信条を伺いました。