職人interview
#67


京和傘|和傘という形を残す

330年続く日本最古の和傘屋、辻倉。
「あと70年ぐらいのやり方を僕で創立していこうと思ってるから、今のことだけで動いているわけでもないんです。」
そう語るのは、蛇の目傘や番傘など伝統ある和傘を手掛ける17代目店主の木下基廣さん。昔からある技術を残すことを目標に、和傘の柄に込められた想いを守り、伝えています。

職人業って死ぬまで修行

──この仕事に就かれたきっかけはなんですか?

300年以上続いているところだとよくある話なんだけれども。
僕、元々京都で3代目の呉服屋さんなんですよ。家内がここの娘で、辻倉の息子が後を継ぐ予定でやっていたんですけれども病気で亡くなってしまったんです。男手がいなくなってどうするという話になったんですね。私も呉服を経営していたので、傘も一緒に経営しようということで継いだのが13年前ぐらいかな。だから2足のわらじ。両方ともやっていかなければいけないんです。

── 一緒にやっていて大変な時というのはありますか?

意外と伝統工芸同士なので違和感なくできていると思ってます。
着物の方も和傘も職人業なので、何も大して変わらないというか。両方とも買う人が実は似てるのね。目掛ける人が一緒なの。だから何の違和感もなく、継げていると思っています。まさか継ぐとは思わなかったけどね。でも潰す訳には絶対いかないお店なので。もうやっていくということで。

──修行期間はどれくらいですか?

いや、もうずっと修行です。こればっかりはもうどうしようもない。ずっと修行状態ですね。着物もそうなんだけれども、職人業って死ぬまで修行。どこまででも突き詰めらそれるし、突き詰めれば次の段階が生まれてくる。終わりは絶対にない仕事。基本うちは、この形を崩さないというところをずっと守っていく。
僕は昔に戻したいというのが、一番大きいテーマなので。昔の傘って、もっと材料も技術も良かったはずなので。今どんどん昔の方へ、ちょっとずつだけれども戻っていくようになってきているのかな。それがやっぱり認めてもらえる人にはすごく認めてもらえるし、分かってもらえるからどんどん昔へ返っていっているんです。

──傘のデザインも昔のデザインのままなんですね。

和傘が出来た頃からのデザインで、昔のデザインかな。
でも、いろんな人とコラボレーションしています。ディズニーとかね。でも決して印刷でもなく、傘のこの貼りの技術を使って耳を付けているだけ。だから、傘の王道の柄に少し足して形にしたデザインをさせてもらってる。あえて何かをするとかいうのではなく。全キャラクター選べたんだけれども、うちの傘の技術を利用して昔ながらのデザインを活かして、こうなったっていう。だから、突飛なデザインとかは、うち自体はしていない。やはりもっと昔の柄がいっぱいあるので、それを順番に戻していこうというテーマでやってるかな。

──昔ながらの蛇の目傘だったりとか、そういう柄を大事にしているんですか?

それが軸だと思ってる。
よく職人さんも二手に分かれると思うんだけれど。売れなくなってきたから、その技術を使って新しいものをって考えるのもいいんだけど、うちは敢えて昔に戻っていく。昔に戻るということは、実は今の時代にとっては新しいことなのね。逆に考えると、新しいことに僕はチャレンジしていくという感覚がある。物を変えるのではなく、途絶えた技術が復活すれば、それが現代では新しいものになるので。


誰も買わなかったでは意味がない

──顧客層は舞妓さんとか芸子さんだったりも多いと思うんですけども、その繋がりって昔から変わらずにあるんですか?

そうですね。ここで何百年も店をやっている以上、花街が近くにたくさんあるので。舞妓さんはずっとお客さんです。日常品でもお使いになられるのでね。
最近、傘男子ってね、ここ2、3年流行って。若い男の子が日傘を買いに来てくれる事も増えていっているかな。

──顧客層は、若い人も増えているんですね。

若い女の子、男の子もいるし、もちろんお年を召した方も、お着物着られるから欲しいという方もいらしゃいます。あとはホテルに飾りたいとか、旅館で使うとかもいらっしゃいますね。料亭とかで送り迎えをするのに使うとか、どなたが買うてるのと聞かれたら、いろんな人というところですね。さらにそこに外国の方が入ってくる。うちは海外に向けて英語のサイトを持っているので、世界中から注文できるんです。日本文化が好きな人が、色々な使い方をしてくれてるかな。 

──ホームページを見ていても、発信を頻繁にされていますよね。工夫した点とか、大事にしているところはありますか?

僕が最初にこの店に就いた時、ここは路面店だったのね。それを僕は1階である必要がないというので、7階に持ってきたんだ。その時はインターネットが出始めの頃。これは変わるなと思って、そこからインターネットもすごく勉強したね。路面店の頃に比べて、7階にしてからの方が購買率は確実に上がっている。店に入ってこられる方は、もう7、8割買う気で来られるから。路面にあると、覗くだけのお客さんも多い。それに全てを毎日対応しなければいけない苦労がある。けれど、7階にしてから効率が良くなって、売り上げも上がっている。

──インターネットも先を見越して、取り入れられたんですね。

そう。SNSも、インスタグラム、ツイッターとかフェイスブックだっていうのは、もっともっと後から出てきたからね。インスタグラムも出始めてすぐ使っている。やっぱり発信に関しては敏感にするべきだと思う。
これはマーケティングというか、僕ら商売人はそう考えるんだけれども、誰も買わなかったでは意味がない。だからマーケティングはものすごく大切にしている。
売れるから作る。作るから職人が育つ。全てを回していかないと。


昔の人の想いが柄になる

──傘の柄の種類って昔からあるのも含めるとどれくらいありますか?

数え切れないくらい。ただ、今は技術が途絶えてしまっていることが多いね。やりたいことはたくさんあるけど、そうそう簡単にできるもんじゃない。

──難しい技術ほど、消えていってしまうんですね。

消えていってしまうね。でもそれを少しずつだけど戻していけば、新しい柄が増えていくので。それを目標にして、慌てずにやっていっているかな。332年やっているので、僕の代がいまさら慌てても。次の代、さらに次の代と考えた残し方であったり、商売の仕方を考えないといけない。400年目指した商売の仕方を徹底してる。

──伝統工芸って特にそうですよね。

うん。指針を作って土台を作ってやらないと、次の世代の人間が大変なことになるので。そんな大それたことは思えないんだけれども、あと70年ぐらいのやり方を僕で創立していこうと思ってるから、今のことだけで動いているわけでもないんです。

──和傘を作っていて、自分の中で気に入っている柄ってありますか?

もちろん!
伝統柄の蛇の目になっているものが粋であってすごくいい。技術的にも難しいし、1枚の無地よりも何倍も手間がかかってくるし。柄ひとつひとつに言い伝えとか、想いがあるからいいんです。お月さんを見立てていたりね。黒と白が逆になると満月であったり、昔の人の想いが繋がっている柄なので、面白いなと思う。

──伝統的な柄が一番自分でも気に入っているんですね。

もう絶対的やね。

──蛇の目柄にも言い伝えとかがあるんですか?

蛇の目とかね、どうして蛇かっていうと、蛇って神様を意味してあったりとか。いろんな昔の人の知恵とか想いがあって柄になってる。昔のものって全て理由付けがあって作られているので、調べれば調べるほど面白いですね。昔はお嫁にいく時、必ず1本持たせる嫁入り道具の一つでもあった。どうして嫁入りに持たせたのかとかも、全部理由があるんだよね。
他にも開いた傘の形が末広がりっていう八の字ですから、80歳になった方のお祝いの日に傘を贈るとかね。その名残で80歳のお祝いの日を「傘寿」と言うとか。
いろんな言い伝えが傘には残ってるの。傘というと僕たち現代の人間にはただの雨を避ける道具なんだけれども、昔はそうじゃなかった。

──元々、傘文化は中国から入ってきたんですよね。

そう、中国から。それを開閉できるようにしたのが日本やね。
アジアはジトジトした雨が降るから、やっぱり傘の文化ってまだあるのね。傘にも色々なパターンがあるんだけれど、ここまで細やかにしたのは日本だけなんですよ。それもすごい日本人らしいなって。

──そうですね。日本人はこういう仕組みを作るの大好きですよね。

糸飾りとかね。傘って斜めに差すので、差している人が綺麗に見えるようにという仕組み。その仕組みのためにとてつもない技術と時間をかけるので。

──すごいですよね、美意識が。

そう。そういうのはやっぱりすごいなと思うね。日本人らしい考えやね。

──持ってるところまで想定して普通作りませんもんね。

二段になっているのも、ただ装飾しているんじゃないんだよね。特に蛇の目は大きいので、風が強い日はすれ違う時に一段下げたらひゅっとなるので、すれ違いやすいようにという思いもこもっているみたい。

──防水性などは、和紙に上から加工されているんですか。

昔からアマ二油やエゴマ油のような植物油を使っています。
実は4、500年前からいっさい技法も材料も全く変わっていない。季節ごとに少し調合は変わるけどね。これから乾きにくい時期なんだけれども、乾きやすい時期と乾きにくい時期で調合を変えて、防水性を持たせてる。 

──季節ごとに加工の仕方も変わるんですね。

変わるね。どうしても湿気の多い国だから。
紙も息してるので、乾いている時はきちっとなっているけれども、これからの梅雨の時期は緩む。水分を吸っちゃったりするので。その辺も考えて貼っていたりとか、糊の調合も緩めの糊にするか固めの糊にするかを、その都度変えます。
漆の仕上げも夏が一番難しいのね。温度が高くて、漆が柔らかくなりすぎるので。冬は逆にカチカチになり過ぎるとか、日々変わりますね。和紙を貼った傘を干すのにも1週間かかるので、1週間天気がいい時に干す。もう常に天気予報は確認するね。どうしてもお日さんの下で干さなければ、不具合が出ちゃうのね。ストーブで乾かすこともやってみたけれど、全然違うんですね。どうしてか、今でも分からないけど、お日さんじゃないとダメになっちゃう。

──和紙屋さんでも、できるなら天日干しがいいそうですね。

そう。こだわるところは絶対こだわるね。うちも無理ばっかり言ってますけど、天日の和紙でやっていただいています。どの分野でも、お日さんは大事なんだよね。

──和紙屋さんも梅雨の時期はしんどいって言ってましたね。

みんなやっぱり自然のものを触っていると、梅雨って、結構天敵やなぁ。


人と人との繋がり

──材料のオーダーも直接行かれてるんですか?

今、コロナになってから特になんだけど、zoomとかオンラインがあるじゃない。でも僕は、職人さん一人ひとり、材料屋さん一人ひとりに会って話していくというのを、ずっと大事にしている。オンラインは速いけど、やっぱり行かないと駄目ね。伝統工芸の仕事なんていうのは、信頼関係の下で人と人との繋がりでやっています。だから繋がりを大切にしていかなければなりませんね。売るのはネットも使わせてもらっているけれども、作り手とは10分の会話でも、行って話して信用を作る。その方が仕事が回り、いいものが出来上がる。人とこうやって話して、雰囲気見て「あぁいい子たちだ」とかさ。会うと色んなことが分かってくるんで。人と人は、しっかり会って喋るべきかなって思います。そういうところを、僕は大事にしてるかな。

──zoomだと、どうしても一方通行な感じがしちゃいますよね。

zoomだとあじが伝わってこないのよ。
特に日本って、言葉もそうなんだけども、曖昧なニュアンスって膨大なの。侘び寂びなんて海外にはない感覚。小さい頃から教わってきた日本人ならではの全てがあるので。普段から、その小さなニュアンスで判断して言っていることが大いにある。そこは何か大事にした方がいいと思うじゃない。そうでないと、信頼関係もいいものが生まれてこないの。
こなせる仕事は、すればいいんだけれど、僕の仕事ではほとんど無理かなと思う。基本的なことで淡々とできることはある。けど、それならzoomじゃなくても、パッと電話で伝えるだけでいいけどね笑。直接会うと、1日潰れたり、1泊2日かかる。それでもやっぱり、会いに行って喋る中でアイデアが出てきたりもするから行く価値は全然ある。みんなも大事にした方がいいかもね。

──そうですね。極力会うのがいいですよね。

コロナ禍でなんだかんだ言ってても、会ってくれる人には会いに行ってたね。ちょっと今は、と言われる人はしょうがなかったけど。極力会う形で、行っていいなら行きますと。
逆にコロナ禍でゆっくりできた部分もあるかな。僕らはもう、何百年やっているうちのたかだか2、3年のことなので。その間にやれることはいっぱいあるので、逆にちょっと止まってくれている時の方がいろんなことが進んで、それはそれで良かったかな。

──退屈と取るか、じっくり見つめ直す時間と取るか、ですね。

そうそう。だから、みんな学校に行けなくなって家でリモートになってただろうけど、それをどう取るかで心も全然変わってくると思う。僕はすぐ違う方面にスッと取り組めたので、2年半くらいうまく時間を使えたかな。普段バタバタして使えなかったことにしっかり時間を取れたんです。

──昔からある傘のデザインで、一番復活させたい柄はありますか?

復活させたいのは、切り絵。

──どういったものですか?

切り絵ってわかると思うんだけど、傘の紙に切り絵していくの。そうすると穴あくやん。その上にもうひと回り大きい切り絵をして、塞いでいくの。すると、柄になる。昔はそれがあった。藤模様であったりとか、色んなお花の絵であったりとかを切り絵でやってたんですね。めちゃくちゃ手間がかかるのよ。切るだけだと穴空くんで、そこから穴を塞いで柄にするというのが。専門にされてた方もいたんですが、亡くなってしまって。
今どんどん切り絵できる人を見つけながら、少しずつちっちゃい柄からスタートしています。最終的には全面に切り絵が出来るようにしたいですね。
あと、羽二重。薄い絹と和紙を張り合わせて1枚の紙にした丈夫な生地のことなんだけれども、貼っていくと丈夫な羽二重生地の和傘ができるんですね。これも日本にはなくなって。それも、ずっと開発にチャレンジ中。 

──材料や道具も、減ってきて困ることもありますよね。

あのね、材料は日本中に実は竹はもういっぱいあるので問題ないけれども、これを加工する人間、技術の方がもう廃れるのが早い。そこを今、うちは育てている感じですかね。
和紙はもう頼まなければいけないので、黒谷さんとか、若手がいるところで見つけて、相談して漉いてもらってます。次世代の人間がいるところにお願いしてます。僕はもう若手を育てる感じで、一緒にやっていこうと。そういう形で職人を見つけに行ってるかな。
道具ももちろん、どんどん作る人が少なくなっていっているから、道具を自分たちでも作るようにしてる。昔はやっぱり道具だけ頼むとかあったんだけど、道具も全部自分で作って、自分でまかなえれば無くなることはないので。一つ手間だけれども、それもやっていこうと。だからもう道具もみんな各職人、職人の手製。自分のやりたいように加工してもらう。あるものを手になじませるのではなく、手になじむように作っていこうという風に変えている。

──自分が道具に合わせる感覚から、道具を自分に合わせる感覚に変えていくということですね。

そうそう。手間は増えるけれども、そっちで行こうと。削る人が居なくなりはしないと思う。しまいには削るのも、自分でこうブーンってやり出すからね。それで一つ、その子も成長していく。全て自社内で循環できるようにしていくべきで。
ただ和紙はそういうわけにもいかないので。育てていくという感覚を持ちながらやっていかないとね。みんなで一緒に残っていこうよという感覚がないと残れない。


今までやってきたことをやる

──この先400年を目指していく中で一番大事にしていきたいことはどういうところがありますか。

それもよく質問されるんだけど、確実に逸脱せずに今までやってきたことをやるだけ。昔に戻っていくだけ。それで続いていくと思う。
でも、それって実はものすごく難しいことなので。決して、売れないから、ダメだから、何かしたいからという理由でこれを変えることはあってはならないと僕は思います。それをするならば違う会社にしてしまえと。 

──和傘という形は残して、それをずっとちゃんと続けるということですね。

うん。絶対的に辻倉は、何百年後もこの形でいるべき。でないと、日本で一番古い意味もない。売れないから、他のものを置きたいとかは絶対だめ。僕はそういう感覚なので。きちんとできるように土台をしっかり作る。するとそれが次の代も同じようなことをしてくれるのではないかと思ってます。

──伝えることが大事なんですね。

そう、伝えることが大事。
目先ではなく、相当先のイメージを僕たちは持って動いている。だから若手の紙漉き職人と接するのも、次の代と接している。次の代は、その下の世代と接していく。循環をきちんと作るんだけど、もう自分さえ良ければとかってなると次の代が困ってしまう。だから、一緒にやっていきましょうよと。職人はもうみんな一緒にやっていこうと。持ちつ持たれつなんだろうなという感じ。

──最後に、京都であってよかったなと思うところはどんなところですか?

これもさ、たまたまずっとあったからあまり実は考えない。いいところで長いこと続いているんですけれど。全ての文化の発信地はもともと京都だったんだよね。途中から江戸に行っただけで。平安京が大きかったので、その頃から、特別な町で商売させてもらっているのはありがたいなと思ってるかな。
変な話、うちはずっとあるんだけれど、隣が土佐藩邸とかだったし、こっちの隣は中岡慎太郎の家だし。斜め向かいで坂本龍馬も殺されているし。そういう世界なので。坂本龍馬もきっとうちに買いに来てる笑。
知らんし、わからへんけれども、でもすごいよね。そういった特殊な町なので、続いている部分もきっとあるでしょうし。不思議な街だと思うね。いろんな意味で。ありとあらゆるものがやっぱり唯一残っているもんね。


職人interview
#67
和傘屋 辻倉
木下基廣

文:
則包怜音(油画コース)
安彦美里(基礎美術コース)
伊賀春香(基礎美術コース)
中村珠希(基礎美術コース)
建木紫邑(クロステックデザインコース)

撮影:
北結衣(文化財保存修復・歴史文化コース)

和傘屋 辻倉 HP:
https://www.kyoto-tsujikura.com/

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#67


京和傘|和傘という形を残す

330年続く日本最古の和傘屋、辻倉。
「あと70年ぐらいのやり方を僕で創立していこうと思ってるから、今のことだけで動いているわけでもないんです。」
そう語るのは、蛇の目傘や番傘など伝統ある和傘を手掛ける17代目店主の木下基廣さん。昔からある技術を残すことを目標に、和傘の柄に込められた想いを守り、伝えています。