舞妓の御用達
#02


簪 金竹堂

舞妓、芸妓さんの存在は知っているけどどんな生活を送っているのか、どれだけの職人さんが関わっているのか私たちにとってそれは謎に包まれたままでした。
そんな“気になる”気持ちから舞妓さんの頭の先から足の先まで徹底解剖する企画がスタート。
この記事を通して、日本に残った文化“美しい謎”を一緒に解明していきましょう。

第2回 簪 金竹堂 定永光夫さん

第2回「舞妓の御用達」は江戸時代末頃から簪(かんざし)を製造、販売をしている金竹堂5代目 定永光夫さんにお話を伺いました。
現在は一般のお客さんにも簪の販売を行なっていますが、創業から戦後までは舞妓さん・芸妓さん・島原大夫専門の簪屋さんだったそうです。

簪が完成するには大まかに分けて3行程あります。
[材料準備(生地の染めなど)→装飾作り→組み上げ(形にすること)] 金竹堂さんはこの材料準備の段階から装飾の生地となる羽二重(絹の中で一番薄い素材)をどこの染物職人に頼むか、装飾の多いものはどこの職人に手伝ってもらうかなどを決め、最終的に形にして販売されています。

舞妓・芸妓さんと一般のお客さんの簪の一番の違いは、簪のサイズです。
舞妓さんや芸妓さんは髪を横広がりに結い上げるため、一般のお客さんの簪に比べて横に長く、大きいサイズとなっています。
舞妓さんは結婚していない娘さんのような格好がモチーフのため色が鮮やかであったり、装飾が豪華なのに比べ、芸妓さんは結婚後、大人な格好のモチーフに合うようにシンプルな鼈甲(べっこう) だけの簪をつけます。

また、装飾の豪華な舞妓さんは毎月つける簪も変わります。 こちらが一年の簪表です。


季節ごとの花や団扇の装飾は昔から変わっていませんが、中でも伝統的な風習が残っていると思ったのが12月の飾りです。
舞妓・芸妓さんには12月の初旬に南座顔見世総見という歳時があります。
これは五花街(舞妓・芸妓さんのいる5つの地区のこと)全ての舞妓・芸妓さんが南座に足を運び顔見世を観覧するもので、舞妓さんは見終わった後に簪の“まねき”と言われる装飾にお気に入りの歌舞伎役者の名前を書いて1ヶ月を過ごします。

その為、基本的に簪は置屋さんが保管しているので一度納めた簪は壊れた時などに修理をしたりする程度ですが、12月の飾りだけは毎年何も書かれていないまねきの簪を納めるそうです。

第一回都おどり総踊りの簪を金竹堂さんが手がけた功績により、現在も舞妓・芸妓さんの簪の9割をこのお店が取り扱っています。
基本的に簪の注文はおかあさん(置屋の女将さん)やおねえさん(先輩舞妓さん) が行うそうですが、簪の装飾は変わらないことが大前提である為、納める際はかなり厳しい目でチェックが入るそう。

このこともあり、最後に「自分にとって舞妓・芸妓さんはどのような存在ですか」 と質問すると「舞妓さんや芸妓さんといった京都のシンボルである方に関わった仕事ができるのはとても嬉しい。その反面、責任が重いんです。なんてったって毎月1日には死んでも決められた簪を納めなければいけませんからね。」 とおっしゃっていました。

伝統を守るということはずっと同じ風習を続けることが大事だと他の職人さんから伺ったことがありますが、ただ同じことをするだけでも 様々な責任の上に成り立ってできているんだなと感じました。


舞妓の御用達
#02
簪 金竹堂
定永光夫

文:
中喜多真央(空間デザインコース)

イラスト:
樋田みち瑠(油画コース)

舞妓の御用達
#02


簪 金竹堂

舞妓、芸妓さんの存在は知っているけどどんな生活を送っているのか、どれだけの職人さんが関わっているのか私たちにとってそれは謎に包まれたままでした。
そんな“気になる”気持ちから舞妓さんの頭の先から足の先まで徹底解剖する企画がスタート。
この記事を通して、日本に残った文化“美しい謎”を一緒に解明していきましょう。