京都のスープ
#37


伊藤柳桜園茶舗

「御所南」と呼ばれる閑静な住宅地、商店の連なる寺町通を曲がり二条通を西に歩くと「茶 柳桜園」という看板が見えてきます。明治8年の創業から150年、お茶人に愛され、育てられたお店を守る4代目店主、伊藤寛和さんにお話を伺いました。

家族で繋いできたバトン

お店の創業について聞かせてください。

明治8年、西暦1875年に創業し、今年でちょうど150年になります。 

初代は元々、医者を志して上京し、天皇陛下に仕えられていたお医者さん(=御典医)のお家で修行していたようです。明治維新になると東京遷都があり、そのお医者さんは随行されず廃業されたそうで、「お茶も元々お薬。薬効があるから茶商をしてみないか」とお茶の道を示していただきました。

今伊藤さんは何代目にあたりますか?

4代目にあたります。 

150年で4代目となると少なく聞こえるかもしれません。業歴が同じくらいのお店では6、7代くらい継がれているところが多いようです。先代はお祖父さんで、親世代は女性しかおらず、母親が嫁いだ先で私は生まれました。

私は1世代抜けた状態で継ぎましたし、それぞれの代で血縁を大事にしつつ紆余曲折ありながら必死にバトンを繋いできたのが実情です。

「柳桜園」というお店の名前の由来を教えてください。

古今和歌集にある素性法師さんが詠まれた、 

「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」 

という和歌から来ていると思います。京都の春は柳の緑と桜の綺麗な色が混ざったのが織物の錦のようだなというような、春の綺麗な景色を詠った歌なんです。 

この名前は創業時からなのか、誰かにお名前をいただいたのかっていうのは今調べている段階です。でも、100年前の昭和の頃には「柳桜園」の屋号で電話帳に載っていました。

いつからここでお仕事されているんですか?

学生の頃からここでアルバイトをして、大学卒業後すぐに入りました。ここ(柳桜園)を経営するためにも外の景色を見ておきたいというのがあったんですが。 

でもうちは、ただ単に仕入れて売っているだけではなくて、自分たちでお茶も挽いてますし、抹茶以外のお茶も自身で合組(ブレンド)して「自分たちの味」をお届けしているので、一番やりたかった「ものづくり」の仕事には近いというか、今の柳桜園の仕事がすごく好きです。


柳桜園の味

「柳桜園さんの味」を教えてください。

上品な味、穏やかな味筋というのをこちらとしては意識しています。 

お茶人さんに育てていただいたお店であると思っていますので、お茶人さんの要望に合うようなお抹茶を中心に、お煎茶、普段使いのお番茶類、ほうじ茶なんかも少し品があるような味を意識しています。その「品」ってなんやねんって問われると難しいところですけど(笑)。苦味が穏やかやったり、旨みもしっかり効くように茶葉をブレンドしてご用意しています。

茶道との繋がりはいつからあるんですか?

詳しい経緯はわかりませんが、千利休さんのお墓がある大徳寺さんに、うちのお墓と茶業に誘っていただいたお医者さんのお家のお墓もあるんです。そこで千家様とも色々と繋がりができたのかもしれません。 

元々は三千家の中でも武者小路千家さんと、うちの初代、2代目がかなりご縁が深かったんです。それから昭和ごろに表千家さんともご縁が深くなったと聞いています。戦争や時代の変化の中でも、創業から変わらずお店の中でお茶を挽いて新鮮な抹茶をご用意したり、お商売に真摯な姿勢がお茶人さんにもお認めいただけているのかなと感じています。

昔から変わらない売り方ですよね?

今でこそ百貨店さんに商品を置かせてもらったり、従業員さんも10名程いたりしますが、それまでは家族と番頭さん丁稚さんと言ったような、お茶人さんやご近所さんの為の小さいお店でした。店を大きくしようというよりは家族で繋いできたお店です。 

うちはあまり会やグループに所属していませんが、さらに歴史のある老舗の方々にも私どものやっていることはお認めいただけているのかなと感じます。京都の中では浮いた存在なのかなと思いますが、意外と扱いやすいお店なのかもしれません。

お客様にお茶を届ける上で大事にされていることは何ですか?

やっぱりお茶はひとりで飲むより誰かと一緒に飲む、人と人の間にお茶があるという状態が一番良いなと思ってます。 

私どものお茶によって、美味しいと感じていただけるのはもちろん、喉の渇きが潤うだけでなく、その先の心までもが潤うようになってほしい。お客様が、お茶のある生活で心が豊かになっていただけることをお手伝い出来たらと思っています。 

お茶は、お客様が好きな様に淹れられるからこそ、前段階をより美味しいものにしておくということを大事にしています。



空前の抹茶ブーム

今苦労されていることはありますか?

今は世界的な抹茶ブームで、今年の新茶市場はお米以上に値が上がっています。 

コロナ禍はお茶会が中止になり、出口である販売のことを心配をしていましたが、今年は逆に入口である仕入れの心配をしています。どれだけ需要があっても、うちは0から何かを生み出しているわけではなくて、農家さんが生み出されたものを加工して販売しています。ものがないと何も始めることが出来ず、売り上げが0になってしまいます。

やはり海外のお客様も多いですか?

そうですね。 

うちはあまり派手なお商売をしたくないので、広告はお付き合いがあるところにしか出さないですし、ホームページすら持っていないんです。でも今は検索でなんでも出てきますので…。 

昔はお茶人さんやご近所さんしか来ないようなお店やったんですよ。ご遠方から京都までお家元のお稽古に来て、うちに寄ってお抹茶を買って帰るというお客様が多くいらっしゃいました。最近はそういう方より、観光のお客様やインバウンドのお客様の割合が増えてきました。 

今は抹茶ブームなので、去年から目に見えて来客が多いですが、抹茶ラテ用にという人や、転売目的の方もおられるので、素直に喜べない状況です。今までの日本のお客様が買いづらいとか、これから若い人がお茶をやってみたいと思った時に障害になって、文化が先細りしていくことを危惧しています。

茶の湯の世界とともにお仕事されているんですね。

今売れたら良いというよりは、50年後、100年後に同じように商いを続けるためにはしっかりと茶の湯文化が残っていることと、そういったお客様が必要不可欠なので。商いとして、茶の湯文化の中で、お抹茶という一役を担っているという気概でご用意するよう心がけています。もちろんそれには、お茶を生産される農家さんの生活も豊かになる必要もあります。


コンパクトな街

京都はお好きですか?

質問の意図はお察ししますが、僕は京都が好きですよ。ずっと住んでいるからというのもありますが、世間が面白おかしく言うようなやりにくさはあまり感じていないです。私は祇園という京都でもかなりディープな、特殊な環境で生まれ育ったので、よりネイティブというか京都の言語や距離感にはかなり敏感だと思うんです。「本音と建前」と言うとあんまり好きじゃないですけど、そういったことの感覚はわかりやすい。だからこそ距離感もとりやすいので、たとえ面倒なことがあったとしても、自分の中ではそれも含めて普通だと思っているし、生活しやすいと思います。あとは、自分たちやお店も街並みや文化の一つなので、それを守っていこうという意地のような感覚があります。それこそ祇園祭など鉾町の方とか宮本組の地域の方々が中心になって、守っていこうとされている気概がある方々から刺激を受けています。 

さらに、京都は地理的にも経済圏的にもコンパクトなので、お互いなんとなく知っているというか、親世代でお世話になったからということで、次の世代の人を引っ張ってあげるなど良い循環がどの業界でもあるように感じます。競い合うというよりは切磋琢磨して、ライバルやけど教えてあげるとかそんな距離感が魅力やなと思います。


学生時代から家業を見ていた伊藤さんからは、お茶の未来を担う気概と熱量を感じることができます。世界的な抹茶ブームという歴史上稀に見る状況の中で、昔ながらのお客様とともに昔ながらの商いを続けている伊藤柳桜園茶舗。今日もお茶のある暮らしをつくり、守っています。


京都のスープ
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伊藤柳桜園茶舗 伊藤寛和

文:

瀧山璃空(クロステックデザインコース)

写真:
西岡菫(文化財保存修復・歴史文化コース)

京都のスープ
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伊藤柳桜園茶舗

「御所南」と呼ばれる閑静な住宅地、商店の連なる寺町通を曲がり二条通を西に歩くと「茶 柳桜園」という看板が見えてきます。明治8年の創業から150年、お茶人に愛され、育てられたお店を守る4代目店主、伊藤寛和さんにお話を伺いました。