バラバラなのが良い
居酒屋さんが並ぶ通りに1つだけ、ステンドグラスとタイルが印象的な建物。賑やかな河原町通から、少し入ったところに「喫茶 築地」はあります。
築地は、雅史さんの祖父である初代が昭和9年に創業されました。店内には、初代が集めたというアンティークの数々が並びに並び、そこは外とは切り離された、別世界に迷い込んだような空間になっています。
椅子や机なども、初代がお店を建てられる際に家具職人さんに絵を描いて渡し、特別に作っていただいたものだそうです。
築地に来られるお客さんは、観光で訪れた人や地元の人、何十年ぶりだという人など、老若男女幅広い世代の方がいらっしゃるそうです。
「お客さんは色々ですよ。かなりバラバラですね。でも私は、そのバラバラさが好きでね。若い子向けのお店だと若い子しかいはらへんけど、うちの場合だと、そういう若い若い子の隣に普通に90歳くらいのおじいちゃんとかおばあちゃんが座ってる。若い子だけとか、お年寄りだけとかが集まる場所じゃなくて、両方おるっていうのは嬉しいですね。」
初代がデザインされたというマッチ箱には、これも初代が置いたというロシアの湯沸かし器が描かれています。
“ほんまもん”のウインナー珈琲
築地で「ホット珈琲ください」と注文をすると、運ばれてくるのはホット珈琲にホイップクリームをのせた、ウインナー珈琲です。
京都にはそれぞれが違う個性を持つ喫茶店が多く残っていますが、その中でも築地は、京都で初めて“ほんまもん”のウインナー珈琲を出されたお店です。
「うちでウインナー珈琲を出し始めたのは終戦直後からだったのですが、ウインナー珈琲の生クリームって撹拌してホイップして泡だてて出すんですけど、泡だてて出そう思ったら、インチキのものだと混ぜても泡立たないんですね。だからホイップして浮かべて出すことによって、うちの材料は純正ですよと、そんなしょうもないもの使ってませんよ、っていう証明にもなるって言うて、出すようになったのがきっかけです。」
終戦直後の昭和20年ごろ。当時は物がなく、世の中には多くの粗悪品が出回っていました。「インチキなものは使いたくない」と言う初代の強い想いは、2代目、3代目まで一子相伝で受け継がれています。
そのため築地の珈琲は、ウインナー珈琲のための珈琲を作られているため、普通のホット珈琲はありません。その分築地のウインナー珈琲は、京都で一番のウインナー珈琲と言えるでしょう。
左:ムースケーキ 右:ウインナー珈琲
“変えない”ことしか考えない
京都で生まれ、京都で育った雅史さんが正式に築地3代目となったのは、18年前。
京都は観光地としても栄え、飲食店や雑貨屋さんなど、たくさんのお店が立ち並んでいる印象があります。ですが、京都が大きくなってきたのは20年ほど前とここ最近の出来事だそうで、それより前は家やオフィスビルが多く、特に築地のある四条河原町付近は目まぐるしく変わっていると、雅史さんはおっしゃいます。
「椅子とか、コップやお皿とかの調度品1つにしても、廃盤になったりしたら終わり。その代わりは無い。しかも珈琲豆とかは自然の農作物でしょ。変えないようにするっていうのは難しいです。」
「うちに来る人は、京都の外行って、結婚して時間ができて久しぶりに京都に来て、40年ぶり50年ぶりくらいに京都に来て、っていう人が多いんですよ。その人らが何言うかって言うたら、『何も変わってないな』と。それを言わはるんです。なので、『変わらないね』って言っていただくために、変えないようにすることしか考えてないです。」
新しいものが目の前をものすごいスピードで通り過ぎていく中で築地は作られた当時のまま、京都という場所に85年間あり続けています。変えることも難しいですが、「変えない」ということは、もっと難しいです。京都はその、「変えない」ことをし続けてきた街でもあるのかもしれません。
築地には、そんな「変えない街」、京都が映し出されていました。
京都のスープ
#11
喫茶 築地
文:
鈴木日奈恵(基礎美術コース)
創業からずっと変わらずあり続けてきた、築地。そんな築地3代目でおられる原田雅史さんにお話を伺いました。