一京の台所
京都の中央を貫く四条通りの一本北、 漬物屋、豆腐屋、魚屋、佃煮屋、菓子屋など狭い通りにびっしりと並ぶ様々な商店。“京の台所” として栄える錦市場の中に、だし巻き卵の専門店 三木鶏卵はあります。
三木鶏卵は、昭和3年に創業されました。初代はお店を始められる前、乾物屋さんに丁稚奉公で働いており、そこではだし巻き卵がよく出されていたそうです。
「昭和初期の京都は乾物屋が何軒もあり、その乾物屋がだし巻を作って売るという店が多数ありました。 創業者が奉公していた乾物屋でも作っていたらしく、後にだし巻専門店を始めました。 京都は昔から仕出し屋さんがたくさんあって、客人には仕出し、もしくは 買ってきたものでしかもてなさないところがあります。 ハレの日は客人も多く、うちのだし巻もその中の一品として喜んで頂いてます。」
現在は3代目の三木真也さんがお店を継がれ、三木鶏卵の味を伝えるために挑戦し続けておられます。
10年前から、3代目と河野さんで考案されたという、「黄身餡ぱん」。「甘くないだし巻きだけでなく、甘いもので何か卵の美味しさを伝えたい」という3代目の思いから生まれたそうです。
伝承される技術
京都のだし巻きは、「京巻き」と言われ 、出汁がたっぷりと入るように長い銅鍋を使い、強い火力で手前から奥に巻いていく技法を使います。
そして焼きあがっただし巻きはより綺麗に仕上げるためにすだれを敷き、木でできた枠に入れて冷まします。そうすることでより出汁の味がしっかり保たれるそうです。
だし巻きを焼き続けて17年になるという職人さんは
「ただのだし巻きを作るだけだったら、誰でもできる。でも、同時に綺麗に焼いていくのが難しい。 全部完璧にこなせるようになるまで、3 年はかかるかな。」
重たい鍋を軽々と持ち上げ、くるくるとだし巻き卵を焼いていく姿はとても美しく、その背中は三木鶏卵の歴史を物語っているようでした。
職人さんにはそれぞれ自分専用の鍋があり、それを直しながら使っていくそうです。
「最初はみんな一緒なんやけど、使っていくうちにそれぞれ自分のものになってしまうんよ。」
だし巻き以外にも、う巻き(うなぎの蒲焼入り)、ふくさ焼き(野菜入りの和風オムレツ)、 かやく巻きなど豊富なメニューが揃っています。
三木鶏卵には現在 7人のだし巻き職人さんがおられ、一番長い方は40年間、だし巻き卵を焼き続けているといいます。人の手によって丁寧に作られただし巻きは、出汁の味が心と身体に染みわたる優しい味をしています。
京都の味を繋いでいく
京都のおせちに必ずと言っていいほど入っているだし巻き。
そのだし巻きを求め、年末になると三木鶏卵には長い行列ができるといいます。
「うちの一番の特徴は、職人が一本一本丁寧に焼いているところ。 やから、他ではマネできひん。今はAIとか色々あるけど、やっぱり人やね。 人がやらへんかったら、うちのだし巻きじゃない。 人が焼くから、儲からへんし、廃業していく人が多いんよね。 でもうちは、昔のまま、人が作ることを続けているから、商品がお客さんに認められてるんだと思います。」
機械が発達し、大量生産、大量消費、効率が求められる時代で “人” というのは効率が悪いものかもしれません。ですが、人にしか出せない味、京都にしか出せない味を91年間、絶えることなく作り続けている三木鶏卵。
「朝も早く、暑くてしんどくつらい仕事ですけど、職人を間をあけずに育てること。 そして昔のままで、京都の味を大切に守っていけたらいいなと思います。」
これからも三木鶏卵は、人々に愛され、“京の台所” には欠かせない存在として在り続けていくでしょう。
京都のスープ
#13
三木鶏卵
文・写真:
鈴木日奈恵(基礎美術コース)
アシスタント:
鈴木はな佳(ファッションデザインコース)
三木鶏卵 HP:
https://mikikeiran.com/
三木鶏卵の広報を担当していらっしゃる、 河野小百合さんにお話を伺いました。