京都のスープ

「御町内御用達」とようけ屋山本

「怒られても、しんどくても、そんな大きくなくてもいいから続けていきたいね。
誰かに認められて、小さくても存続していけばええんやから。」
とようけ屋山本の3代目、山本久仁佳(くによし)さんにお話を伺いました。

“生業が成り立つこと”

京都市上京区、北野天満宮の近くに、とようけ屋山本はあります。
とようけ屋山本はチンチン電車が京都の街を初めて走った頃、1897年(明治30年)に創業された京豆腐専門店。
はじめは「山本豆腐店」でしたが、「とようけ」という屋号は、伊勢神宮外宮の祭神で食物・穀物を司る“豊宇気毘売神(トヨウケビメノカミ)”から、五穀の恵みを豊かに受け取ることができるようにと、3代目の久仁佳さんがつけられました。

「戦争が終わってから、豆腐屋は増えたり減ったりしてるんですよ。戦争直後、ものがなんでもよく売れた時代でね、豆腐屋をしたら儲かるというので豆腐屋の数が増えてきたんです。その中で、同じ山本豆腐屋というのがこの界隈で4軒もあって、どこの山本や? と言うので、何か屋号つけないといかんなというので、とようけ屋とつけました。他との識別するためのものなんですけど、名前というのは“呪”がかかるというか、それなりの個性がつくでしょ。」

久仁佳さんは三代目として、“生業が成り立つこと”が一番だとおっしゃいます。
「一番人が幸せなことはなんやと思いますか?恋人ができたとかそんなんじゃないんです。生業が成り立つことなんです。生活ができるというのが、何をおいても一番です。」

お客さんの声から生まれる豆腐達

とようけ屋山本は北野・下の森界隈に建ち、この界隈は“庶民の町、西陣の台所”として活気に満ちており、お店にはご近所の方から遠方の方まで、様々なお客さんがいらっしゃいます。

「お客さんは千差万別やね。幅が広いから成り立ってんのかね。昔はご近所だけやった。今広くなって、遠くのお客さんも多いですね。名前だけで売ってへんかなーって心配なところもありますけどね。ほんとの実力やなしに、名前だけで買って言ってたら悪いなぁと思ってるね。でも買ってくださる方はありがたいね。」

お店には、ソフト豆腐(絹豆腐)や木綿豆腐の他に、辛子豆腐(夏季限定)、本柚子豆腐、青紫蘇豆腐といったお食事用の豆腐から、豆乳を使った朧豆腐『ちょっと上等 ええかげんなそこそこ豆腐』や、デザートとしての『豆乳ヨーグルト』もあり、様々な種類の豆腐が所狭しと並んでいます。大豆はできる限り有機栽培、無農薬のものを使い、一つ一つ職人さんが手で作られています。

「いろいろ豆腐っちゅうのは昔から硬い硬い豆腐やったのね。ガタガタのね。それから絹豆腐に変わって。絹豆腐に変わったきっかけは、『嵯峨豆腐 森嘉』さんだった。その次に出てきたんが、ワシらのバラエティ豆腐。それから朧豆腐のきっかけ作ったんも私。おけの中で絹ごし作って、それを掬うて食べてもらう、組み上げ豆腐とかいう。それが今の朧豆腐になった。その次は形はあるけれど究極に柔らかい豆腐。そういう風に変わっていたんやね。それの、次何になるか知りたいね。」

その中でも、「時代によって変わって行った豆腐、変わらず昔のままの豆腐がある」と、教えてくださいました。

「古けりゃええっていうもんでもないね。古くていいものもあるし、だから生涯には古くて良かった部分は置いておいて、悪い部分は捨ててるかなやっぱし。そうでないと生き残れないね。※擬製豆腐や揚げ豆腐は100%と言うてもいいほど昔のまんま。豆腐は変わった。そうでないと存続できない。まずは生きていくこと自体が意味があることであって。そやけども中には流行りじゃないものでも、技術としても継承せんならんと思って作り続けてるもんもある。」

とようけ屋山本では、揚げ豆腐(油揚げ豆腐)は明治のままの製法を引き継ぎ、京揚げの特徴である「薄さ」を守り、「こんがり狐色の薄揚げ」を造り続けています。京都でも、殆ど明治の製法の揚げ豆腐はなくなっているそうです。

※擬製豆腐:厚焼き卵のような見た目の豆腐。“ぎせい”という名前のお坊さんが作ったという説と、厚焼き卵に似せて作った偽の“擬製”のふたつから来ているそう。久仁佳さんは、「昔は擬製豆腐というの、お砂糖バーっと入れて甘っこ甘っこした豆腐のデザートやった。昔お婆さんが言わはったのは、擬製豆腐が美味しくてお寺で擬製豆腐でるのが楽しみやったて、その時分は甘いのが出るのが楽しみやった。でも今、そういう時代やないでしょ。だから取り残されてるもんやけど、製造技術として、ワシのいる間は続けていく。ときたま注文がある。もうほとんどないね。」と教えてくださいました。

“角あれど 豆腐のようにやわらこうまめに暮らして笑われもせず”

明治・大正・昭和・平成と四代にわたって100年以上豆腐を作り続けてきたとようけ屋山本。
その歴史の積み重ねとともに、久仁佳さんは驕らず、常に謙虚な姿勢でお店をされています。

「ワシは頭が悪いと思って生きてきたから、何を言われても平気や。それなりに一生懸命やって、頭が悪くても、何かええもんがあるかもなぁ思って。頭悪いって思ってるから、人のいうことが聞ける。人間関係は大切ですよ。何にしても。だから反対意見と言うのも大切や。反対意見の中に真理がある。問題点があんねん。だから甘口の意見と言うよりも、辛口の意見が大切や。」

大量生産、大量消費の中で時代とは逆行するように、とようけ屋山本はずっと手作りで豆腐を作っておられます。

「この商売でも戦後豆腐が出て、そして京豆腐に名がでて、大量生産の店ができてきて、私のような上質の豆腐を売る店と大量生産の店と分かれて。人つこってどんどん大きく作るところは、手を広げようとしたところは行き詰まってるところが多いね。名が出たからそれで大量生産で行けーっていったところは、行き詰まってる。だから私はそういう棲み分けるということが大切だなというふうに思ってる。人を押し除けてまで大きくしてやったーということは、あまり言いたくないね。

コロナで息子が言うねん。とようけ茶屋も追加のメニュー作らないかんって。でももうええて、言うて(笑)うちは、近くの人にきてもろったらいいにゃから。うちはそれでいいんや。なんぼでも手を広げて言うことはない。人に認められたら小さくても存続していけばええんやから。

せやけど、ええ時ほど用心せんと。それが店を続けていく上での一つの成立条件になってるんじゃないかと。足元救われるぞっていつも営業している。ええ時ほど特にな。悪い時は歯を食いしばって。めげない。胃がきりきり痛くても、頑張る。」

とようけ屋山本は京都にあり続けて123年。

どこでも近くでものが安く買える、なんでも均等に揃って安定したものが買える時代にとようけ屋山本さんの豆腐は、わざわざ足を運びたくなる魅力があります。

「“角あれど 豆腐のようにやわらこう まめに暮らして笑われもせず”。お得意さんの言葉やねぇ。キチッとしてなさい、礼儀正しくキチッと付き合いなさい。けども、人間が柔軟でないといけないよ。規則一点張りのことでなしに、穏やかに柔らかく相手に接しなさいよ、ということ。まめに暮らしてっていうのは、勤勉であれ、ということ。人に笑われるようなことはしないように心がけなさい、ということ。笑われるっていうことは、公に対する摂理を持ってなさいということやね。そんな大きくなくてもいいから続けていきたいね。もうけなくても、存続するということが第一の条件で、自分の作りたいものを作って存続するということが一番大切。」

とようけ屋山本さんはこれからも“御町内御用達”として、京都に欠かせない豆腐屋さんです。

 

2020.10.01更新


 

Soup of Kyoto -interview 20-
Toyoukeya Yamamoto
Yamamoto Kuniyoshi

Text by Suzuki Hinae
Assistant by Suzuki Hanaka
Photo by Egawa Noe

京都のスープ20
とようけ屋山本
山本久仁佳

文:
鈴木日奈惠(基礎美術コース)

アシスタント:
鈴木はな佳(ファッションデザインコース)

写真:
稲村かおり