京都のスープ
#25


石臼蕎麦 わたつね

京都三条にある、石臼蕎麦わたつね。
「もともと大衆食堂やけどね。今もそれを目指してるわけ。気楽に来てもらえる食堂を目指している。」元店主である、中塚博己さんと奥さまの和子さんにお話をお伺いしました。

4代続く、石臼蕎麦わたつね

わたつねさん自体が始まったのは昭和32年。中塚博己さんが10歳の時、 博己さんのお父さんが始められました。

「うちはもともと大衆食堂。蕎麦もあれば定食もあればごちゃごちゃしていた。それは父親が四条の田毎(たごと)さんで働いていたからです。
昭和32年に僕のお父さんが始めて、今はもう店主は僕の息子になってます。僕のおじいさんは錦でわたつねっていう名前で魚屋の商売を始めたんや。だからおじいさんで父親で僕で今息子やから4代続いてるんやな。おじいさんの時は漢字で綿常って書いてた。なんでそんな漢字を使ったのかもうわからへんけど、元々は綿花の商売をしていたみたいです。」

お店の名前は、お客さんに読みやすいようにと、30年ほど前、漢字の“綿常”から、ひらがなの“わたつね”に変わりました。


お蕎麦と和食料理の大衆食堂

わたつねさんは、種類豊富な定食も提供されている大衆食堂です。

和子さん「息子が二人いるんです。長男は京都の割烹料理屋さんで修行をしました。次男の方はお蕎麦を本格的に勉強したいって言ってそれで長野県あっちこっち歩いて。どこで修行しようかってなってね。
でもやっぱり東京で食べたお蕎麦屋さんがいいって思って東京のお蕎麦屋さんに5年間お世話になりました。だからお蕎麦と和食の料理を両方やる大衆食堂になったんですね。」

小麦粉を使わず100%蕎麦粉の十割蕎麦もあります

夏は鱧天ざる、冬は牡蠣ご飯、こだわりの季節のメニュー

わたつねさんに一番人気のメニューを伺ったところ、季節によって人気のメニューは変わるそうです。
和子さん「手打ち蕎麦と季節によって、今は牡蠣ご飯が始まったんですね。
みんなスマホ持ってもう探して探してこれをくださいって言って。お客さんがそれを広めてくださって。息子が割烹屋さんで修行してたから、だから、そういった季節の炊き込みごはんとか、色々試行錯誤して今の牡蠣ご飯にたどり着いたんです。
そしたら、お客さんがインスタにあげてくださって。ありがたいことに宣伝してくださって。夏は鱧天ざる。
去年は特に鱧天ざるの注文が多かったです。」

焼き魚定食と牡蠣ご飯
フライ定食と牡蠣ご飯

最近はその季節のものを出すようにしているそうです。こだわりは季節の魚を提供すること。
お刺身は売り切れないように仕入れ、春は豆ご飯、たけのこご飯など、たけのこはその日の朝に掘ってきたものを使っておられます。


仕入れが大事な、京都産のお野菜とお米

わたつねさんが大切にされていることは何かお伺いすると良い食材を使うことと言っておられました。

和子さん「お米は京北と美山で作られているものを使っているんです。
野菜はね、立命館大学とかがお野菜を仕入れているおっちゃんがここをよく通るんですよ。ある時、うちも野菜買ってくれないかって言われて。山から来た良いお水でお野菜とお米を育てている。そういうのを図で見せてくれたんですよね。京北町の減農薬で育てているお野菜。そこでお野菜を仕入れるようになって。お店でも150円とかで販売しているんです。常連さんもいらっしゃって全部買い占めちゃうこともあるんだけどね(笑)。
もう一軒、 丹後で女の子がいろんな変わったお野菜を作って家に届けてくれてお野菜を仕入れているんです。そこは無農薬なんですよ。だから虫がついたりする時もあるんですけどね、すごく良い野菜です。」

美味しいお野菜の販売は毎週月曜日と木曜日に入荷されるそうです。

最後に、わたつねさんは京都にとってどんな存在でありたいですか、と尋ねました。

和子さん「うちは観光地じゃないから本当に近所の方がご飯食べに来るとかが多くて。一人住まいの女性とか男性とか、あとご夫婦とかが日頃のご飯を食べに来てくださるの。いろんな層の方が来てくださいます。毎日来てくださる方もいます。」

博己さん「もともと大衆食堂やけどね。今もそれを目指してるわけ。気楽に来てもらえる食堂を目指している。それをうまいこと息子が引き継いでくれたからうれしいね。」

年代問わず、たくさんのお客さんが集まる大衆食堂・石臼蕎麦わたつね。季節の美味しいご飯を気軽にいただくことができます。


京都のスープ
#25
石臼蕎麦 わたつね

文・写真:
鈴木はな佳(ファッションデザインコース)
安彦美里(基礎美術コース)

アシスタント:
桝田菜月(ファッションデザインコース)

京都のスープ
#25


石臼蕎麦 わたつね

京都三条にある、石臼蕎麦わたつね。
「もともと大衆食堂やけどね。今もそれを目指してるわけ。気楽に来てもらえる食堂を目指している。」元店主である、中塚博己さんと奥さまの和子さんにお話をお伺いしました。