機械は、職人の経験や勘に基づいた「道具」
──工房や久留米絣(くるめかすり)について詳しく話を教えていただきたいです。
元々、福岡県南部の筑後地方は久留米絣という綿織物の産地です。絣の文化から始まり、タオルや広幅(ひろはば)の綿生地などの綿織物が昔から織られているところです。
下川織物は創業1948年、今年で74年目です。歴史としては、僕の祖母の実家が今でもまだ現存している久留米絣の工房だったんです。そこから嫁いで来ているので、すでに絣の技術を身につけていました。
創業者である祖父は元銀行員でして、金融面に関しては知識も経験もありました。つまり作る方の技術も出来る、お金の管理も出来るということです。
当時は日本の織物は日本の産業を支えている業種で、とても盛んな時期でした。
少しずつ成長している産業だったので、時代の波に乗っていくっていうところから久留米絣を作り始めたと聞いてます。 そこから今も現役である私の父が二代目、僕が三代目として受け継いで今に至ります。
──久留米絣の工程や、その中のハイライトをお聞きしたいです。
久留米絣は結構工程が多いんです。細かく分けると多いですが、大まかには30工程ほどと言われています。工程は図案を描くところから始まります。
次に、糸の長さや本数を整える「整経」という工程があります。この整経を行うのはどこの織物も同じなのですが、久留米絣ではそれに合わせて「くくり」という作業を行います。このくくりの作業は京都だと西陣で手作業でしている方もいらっしゃいますよね。久留米はそれを機械で量産できるのが特徴です。
くくりという作業で糸を縛り、染色し、のり付けすることで、縛ったところだけ中に色が染まらないようにします。そうすることで、縛ったところを解いた時、染まらずに白く残った模様がでてきます。
縛る間隔は、図案で決められています。その図案通りに経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を織っていくと、図案の模様が浮かび上がってくるんです。
この模様を作る工程では、糸を何回も濡らしたり干したりという作業が出てきます。なので、一つの物を作るのに2、3ヶ月ほどかかります。
機械を使いますが、その機械はボタンを押したら勝手に動いて作業するのではなく、機械そのものは職人が操作するものなんです。なので「機械」というより「道具」という感じです。機械を操作するのも、職人の経験や勘に基づいた技術。
機械を使って自動的に糸が動いていくわけではないので、糸そのものが機械的な圧力で引っ張られたりとかそういうことはほとんどありません。人の手で強弱をつけるくらいなので。 ストレスを糸に与えずに最後の織の工程まで行うので、見た目以上の柔らかさが生まれます。
「日本の絶妙なものづくり」が残っているのは、生活で使い続けてきたから。
──時代は機械化が常ですが、その技術を誰から学ぶんだというと職人さんからだと思います。日本の産業の品質が保たれるのは、そのような高い技術を引き継いだ職⼈さんが残されていくというところにあると思うのですが。
そうですね。やっぱり日本の産業は職人がいてこそ、というところがありますね。古い機械をフル稼働させて作るクラフト的な部分と、産業的な要素がミックスされたような絶妙な物が残っています。
それがなんで残せたかというと、「生活の中で使い続ける文化」があるからなんです。
伝統工芸や民芸における様式美に現れているように、日本には暮らしの中で使い続けるものにこそアートがあって、機能性と美しさを兼ね備えている、という考えがあります。
そういった日本人の独特の感性があって、生活の中で使い続けるからこそ職人の仕事もある程度担保されてきたと思います。だから、僕たちは生活の中で使い続けていけるものをつくる。
時代によっては着物が使われてきたけど、今では着物を着る人はほとんどいない。時代に合わせてどのようなものをつくるか、変えていかないといけないですね。
──三代⽬の下川さんが現代に合わせて変化させていらっしゃると思うのですが、現代における久留米絣の使い方はどういったものが多いんですか。
僕の代になって変化してきたというのは厳密にいうと、ちょっと違うんですね。
うちは企業風土として変革や挑戦をしてきた。先代の親父も人がやらなかったことに目を向けて色々新しいことをやってきた。そういう環境で育ってきたので、新しいものに対しての挑戦にあまり抵抗がないですね。
具体的に、“肩にかけるタイプの携帯電話”がうちにもあったんですよ。昔は工場で作業している時に電話がかかってきたら、呼びに行くまで相手の人はずっと待っているわけですよ。そういう所だとなかなか注文に結び付かないこともありました。だから、親父は携帯電話がいつでもどこでもすぐ繋がれるようにしておくことに、価値を見出したんです。
──企業として変化していくことに積極的だったということですね。
そうですね。その中でよく考えるのが「うちは生地を売る、素材を提供する会社です」ということ。
普通はヒット商品を作ることが最初にあるわけですが、私は裏方のバックボーンをしっかり作らないといけないと思ったんです。つまり、ヒット商品を作るのではなく、ヒット商品を作る元の素材を作る考えです。
世の中にはいろいろな絣を使った商品がありますが、その中でも素材は下川織物の絣を選びたい、というブランディングをしていきたいと考えました。
車のタイヤはあの会社のなら大丈夫という感じで、下川さんのなら大丈夫、みたいな感じであるべきだと思ったんです。
下川織物の生地を買う行為自体をブランディングする。下川織物の生地を使う行為に一つのステータスがある。商品価値が下川織物の生地を使っているか、使ってないかで1ランク違う。そんな状況をつくることが、一番のブランディングなんじゃないかと考えています。
あくまでも職人としてやっているから、自分独自の立ち位置を作れている。
──なるほど。今聞いていたら下川さんは実行と改善を繰り返していることで、マーケティングの回転がすごく早いんだろうなと思いました。
確かに現場でモノづくりに従事しつつも、マーケティング戦略やITなどの先端技術を現場に導入する職人はあまりいないです。だけども私は、職人であり続けることに一番の意味があると思っています。職人ということから外れたら、自分のような人はたくさんいらっしゃいますから。結局「職人でありながら」というところが自分の持ち味であって、やっぱり自分は職人として生きていくべきかな。そこは意識しているところですね。
絣(かすり)の柄って、かすれてる。職人でも予想できない“かすれ感”が魅力。
──下川さんが考える久留米絣の魅力はどんなところですか。
まずは機械的な圧力を加えないという理由から、見た目以上の柔らかさを感じることができるということですね。
あとは、図案に合わせて柄を作っていくんですが、久留米絣には「手織り」と「動力織り」があるんです。動力織りというのは、糸を布に織りあげるための機械、「織機(しょっき)」にモーターが付いていて動くものを使用します。
これもボタンを押したら機械が勝手に動いてくれるわけではなくて、職人がついて操作しながらじゃないと動かないんです。手織りなら一人一台しか操れないけど、モーターのついた動力織機だとそれが一人で三、四台同時に動かせる、この違いだけなんですね。
染色に関しても、久留米絣は化学染料を使ってカラフルに染めるものと伝統的な藍染の両方を使い分けて作っています。伝統的な染め方と、化学染料を用いた染めが共存しているのも特徴的だと思っています。
もう一つは柄ですね。絣の柄って、かすれてるじゃないですか。でも、これは図案を描いた時点ではかすれていません。だけど出来上がった織物には“かすれ”がある。
要するに計算して“かすれ”を作っている訳ではなく、職人の僕たちでも予想できない“かすれ感”が出てくるわけです。
それがすごくアーティスティックだからか、海外のデザイナーやアーティストが絣に関心を寄せてくれる、というところも魅力です。 図案にない“かすれ”が魅力。僕はそれを絣の魅力として伝えたい、というか伝えています。
今でもくくりの技術を残せている理由。
─久留米絣は他の産地の染織物と比較すると、どういう特徴がある染織物なんですか。
他の産地と比べて久留米絣の違いは何かと言ったら、やっぱり「くくり」と言う技術を使って経糸緯糸(たていとよこいと)に柄を表現するところです。
僕たちが組合でくくりの機械を量産できるような機械を開発・管理して、くくり職人や若手の後継者を育てて量産体制を作っているので、今でもくくりの技術が残せているんです。そこが技術が途絶えてしまった他の産地と違うところです。
久留米絣は産地で努力して、くくりによる量産体制をちゃんと維持し続けているというところが誇りです。
だからこそ、工程の中でもくくりの部分が一番特徴的だと言えると思います。
──下川織物で作った生地はどういう製品になっているのですか。
久留米絣は着物の生地として多く使われていました。しかし、だんだんと着物の需要が減って、おそらく今は全体の生産の1割以下になっています。ここ何年か木綿の着物の需要が少し出てきたので、着物の人気も回復傾向にあります。
けれど少し前は、着物の需要ゼロというぐらいの時代もあったんです。やっぱりみんな着物より洋服を着るじゃないですか。だから今は洋服生地で使われることがほとんどですね。それ以外なら手提げ袋や雑貨物、インテリアなどに使われることもあります。
けど、生地の量を考えるとやはり洋服が多いですね。特にミセス向きの洋服に使われるのが一番多いと思います。
うちは自社製品も少しはありますけど、いろんなところとお取引して生地を使ってもらっているのとう感じですね。
変わり種だとうちの生地がメンズのスーツになったこともあります。
──最後に、HANAO SHOES JAPANの企画を通じて久留米絣に初めて出会う人に伝えたいことを教えていただきたいです。
そうですね。やっぱり、この企画をきっかけに久留米絣を知ってもらい、実際に触ってもらいたいということかな。
この生地の柔らかさや肌触り、風合いの良さはとても魅力的です。
自分は生まれたときから久留米絣が近くにあって、久留米絣があるのが当たり前で生きてきたけど、世の中にはまだまだ久留米絣を知らない人が多い。 だからこそやっぱりいろんな人の協力を得て「知ってもらう機会」を作っていきたいですね。
HANAO SHOES JAPAN
#05
下川織物
下川強臓さん
文:
HANAO SHOES JAPAN 実行委員会
撮影:
下川織物
HANAO SHOES HP:
https://wholelovekyoto.jp/category/item/shoes/
下川織物
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場所:〒834-0024 福岡県八女市津江1111-2
TEL:0943-22-2427
HP:https://oriyasan.com
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。
今回は下川織物の三代目、下川強臓さんにお話を伺いました。