HANAO SHOES JAPAN
#18


山梨|甲斐絹|前田源商店

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回は前田源商店3代目前田市郎様にお話を伺いました。

復活した甲斐絹(かいき)

──それではまず工房の名称と創業年をお聞きしたいです。

弊社は株式会社前田源商店で、山梨県の富士吉田市にあります。
創業は1921年10月、法人化が1955年です。
初代が前田源太郎であることから前田源商店となりました。
富士吉田市がある郡内地域は、江戸時代から甲斐絹(かいき)といわれるシルクの織物の産地で、かつては日本全国に甲斐絹が出荷されていました。
郡内地域はシルクや長繊維の織物の産地だったのですが、時代が進むにつれてシルクの需要は減っていき、1940年代には一度途絶えてしまいます。
弊社は短繊維の織物であるレーヨン、最近ではオーガニックコットンで作る織物を中心に扱っています。
今回HANAO SHOES JAPANに採用していただいたシルクの甲斐絹は、株式会社甲斐絹座が復活させた生地を使っています。
弊社が主として作っている生地は綿です。シルクの甲斐絹は甲斐絹座のものを地元の各社がお互いに扱っているということになります。

──前田源商店さんと甲斐絹座のつながりについて教えていただけますか。

甲斐絹座は弊社も含めた富士吉田市の織物会社4社で共同出資して作った会社。
主に山梨県産の生糸で、戦後途絶えてしまった甲斐絹を現代風に復刻し、普及を図ろうといろいろ取り組んでいます。
甲斐絹座のウェブサイトをご覧いただくと分かるのですが、座布団やネクタイ、傘の生地などを作っている会社が集まっています。
サイトでは、甲斐絹の特徴が細かく紹介されているので、よくご理解いただけると思います。


仕事は違えどものを作ることは変わらない

──前田さんがこのお仕事を継ごうと思われたきっかけは何ですか。

もともと家族でやっている会社なので、生まれたときから自分が継ぐものだと思っていました。
まあ洗脳されたんでしょうね、父から。
といってもすぐに継いだ訳ではなく、一度外に働きに出てから3年後に戻って継ぎました。

──外で働かれていた3年間は、どういったお仕事をされていたんですか。

織物とは全く関係ない会社のコンピューター室に配属されて、ソフト開発をやっていました。その経験は今でもいろんなところで生きていると思います。
例えばシステムや決まりを作る際の考え方に繋がっているなあと思います。物を作るか仕組みを作るかというだけの違いで、作ることは変わらないですから。
いい経験をしたなと思います。

──畑違いの分野でもつながっているところがあると。

はい。


繊維のことを知らなければ生地は作れない

──山梨に戻られてからのお仕事についてお伺いします。職人さんの世界で一人前になるために要する年月はどのくらいですか。

たぶんね、3年くらいかかったんじゃないかな。
弊社の場合、自家設備はなくて、すべて他の工場にお願いして製品を作っているのですが、自分で作れなければ発注はできないんです。
繊維のことを知らなければ、織物の設計はできない。
だから自分のペースで織物の発注ができるようになるまで、だいたい3年くらいはかかりました。

──お父さんからいろいろ教わって。

いや、うちの父は販売とか営業を主力でやってきたもので、私の代になってから自分たちで物を作ってかなきゃいけないと。
ものを売るのと作るのではだいぶ違うのですが、私は作る方を先に学んで売る方は後からついてきた。だからものづくりのことを父から教わったことはなかったですね。自分で仕事しながら覚えていきました。


蚕からすべて山梨産のこだわり

──甲斐絹を作る工程についてなんですが、どういった工程で絹から織物に仕立てられるのでしょうか。

まず甲斐絹座で復刻した甲斐絹は生糸からすべて山梨産のものを使っています。
ですからまず、山梨の蚕を製糸工場で糸にします。
できた生糸は、まず糸によりをかける撚糸(ねんし)という工程に入ります。そして撚糸を経た糸はそのまま染色します。普通、絹の生地だと織り上げた後に染めますが、山梨の場合は先に糸に色を付ける先染めという方法で織物を作るので、糸の状態で染めるのです。
その後経糸に関して言うと整経(せいけい)という糸を整える工程があります。
まっすぐに整えられた縦糸は織機に載せて横糸を織り込んでいきます。簡単に言うとこういった工程で甲斐絹が仕上がっていきます。

──先染めという方法はあまり聞いたことがありませんでした。

でもね、皆さんがいらっしゃる京都の西陣織も先染めですよ。
でも確かに先染めの布自体はなかなかないですし、シルクの産地でいうと山梨と西陣と群馬の桐生と八王子あたりくらいですかね。

──先ほど甲斐絹に使う絹は全て山梨産とお聞きしてすごいなと思ったのですが、これは甲斐絹のこだわりということでしょうか。

そうですね。基本的に甲斐絹は山梨県産の絹でやろうと思って始めたので。県内産の蚕のストックがあるのでそれを使っています。

──工程の中で肝となる部分を上げるとするならばどこになるんでしょうか。

まあどの工程が欠けても織物はできないですけども、一番大事なのは山梨に限らずどこの産地も整経する工程ですね。経糸を整えていないとちゃんとした織物はできないです。


甲斐絹をつくってきた歴史の上に今の織物産業がある

──工房が富士吉田市にあるということなんですけど、富士吉田市と工房のつながりといいますか、地域とのつながりについてお聞きしたいです。

地域とのつながりですか。
山梨県東部の郡内地域というのは昔から織物の産地です。関東では関東平野に沿って織物の産地が点在しているんです。その中で、山梨の織物はもともと羽織とか布団を作っていたんですね。その応用として、明治時代からはネクタイとか洋服の生地をたくさん作る産地となっていきました。
甲斐絹を作っていた江戸時代からの歴史の上に、今の織物の産業が存在しているということになります。
あともう一つ、郡内地域は西陣みたいに自分で作って自分の名前で売る産地ではなくて、相手先ブランドの委託生産という形をとっている産地。
なので織物自体は江戸時代から作っていて歴史もあるけど知名度を伸ばし切れていないという課題があります。

──ありがとうございます。大学で講演をされているんですよね。

山梨学という授業が山梨県内の大学であって、山梨の魅力を知っていただくために私は年に一回山梨県内の大学で講演をしています。


見る方向で変化する色

──前田源商店さんは従業員の方が全員家族という感じなんでしょうか。

そう、社長が私なんですが、専務が私の弟で、私の家内と息子と息子の嫁さんが社員と、みな内々です。

──ファミリー企業なんですね。じゃあ食卓でもオーガニックコットンの話が飛び交うという?

そうですね、それは普通にありますね。

──最近は家族でまわしていく会社やお店がどんどん少なくなっていっている気がするので、そういうのを聞くと暖かくていいなと思います。甲斐絹の話に戻るのですが、他の産地にあるシルクの織物と比較した際に特徴はありますか。

甲斐絹座のサイトの画像の中に経糸が金で緯糸がブルーになっているものがあって。甲斐絹は経糸と緯糸に異なる色の糸を使うと、光がシルクの生地に屈折したり反射したりして見る方向によって色が変化するんです。
これをシャンブレー効果というんですが、これが他と比べた時に甲斐絹の特徴になると思います。あとは先に糸に色をつけてから織るので、深い色合いの生地になりますね。

──色の種類は何種類くらいあるのでしょうか。

色に関しては経糸と緯糸の組み合わせ次第で無尽蔵にあります。


認知度を高めるためだった甲斐絹の改名

──甲斐絹と京都との関わりについて調べていて、私たちがいる京都と何か関わりがあればお聞きしたいです。

基本的に江戸時代に甲斐絹は郡内縞とか郡内織っていう名前で流通していました。
その裏付けとして井原西鶴が著した「好色一代女」の中で、甲斐絹という名前ではなくて郡内縞という名前で作中に出てきています。
郡内縞は先染めの絹織物として日本国内あちこちに流通していて、江戸だけでなく京都でも売っていたりしたようです。

甲斐絹のルーツはいまから400年前、戦国時代までさかのぼります。南蛮船から日本に持ち込まれて海気(かいき)として定着したといわれています。
その後、明治になって5代目山梨県令の藤村紫郎が、産地の認知度を高めるために、当時使われていた海気という名称を甲斐の国の甲斐にうまく当てはめて「甲斐絹」として流通させたんですよ。

──あ、ということは甲斐絹ってもともと甲斐とは関係がなかったということなんですか。

そう、関係なかったんです。

──へえ、そうなんですね。知らないことばかりで、ありがとうございます。

まあ、地元の人でもあまり知らないと思いますよ。


甲斐絹のさらなる飛躍へ

──この甲斐絹はどういったものに製品化されているのでしょうか。

我々の復刻した甲斐絹はネクタイやスカーフなどにしています。

──その中で一番多く作っている製品は何でしょうか。

今はスカーフですね。百貨店のカタログに載ったりしています。
ここ最近は富士吉田市のふるさと納税の返礼品にもなっています。

──HANAO SHOES JAPANの企画にどうして賛同していただけたのかなというところをお聞きしたいのですが、決め手など何かあったのかなと。

実はこのあたりの織物産地は、10年以上前から東京造形大学と一緒に製品開発をしたり学生と機屋でコラボしたりしていたので、そういう話があるときは断らずにさせていただいています。
新しいアイデアがたくさん出てくるので、面白いなと思ってやっていますね。

──そうなんですね。HANAO SHOES JAPANは展示販売であったりとかで今後もいろんな活動を行っていく予定なんですが、HANAO SHOES JAPANで甲斐絹を初めて目にする方々にむけたメッセージをいただきたいなと思うのですがよろしいですか。

そうですね。
富士山のふもとで江戸時代から作られてきた織物で、先染めの異なる色の糸を使うので、角度によっていろんな色の見え方が楽しめます。
是非そういうところを見てください、というところですかね。

──ありがとうございます。


HANAO SHOES JAPAN
#18
甲斐絹座
前田市郎さん

文:
HANAO SHOES JAPAN実行委員会

撮影:
甲斐絹座

HANAO SHOES HP:
https://wholelovekyoto.jp/category/item/shoes/

甲斐絹座

場所:〒403-0004 山梨県富士吉田市下吉田2丁目25-24
TEL:0555-23-2231
HP:https://www.maedagen.co.jp/

HANAO SHOES JAPAN
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山梨|甲斐絹|前田源商店

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回は前田源商店3代目前田市郎様にお話を伺いました。