HANAO SHOES JAPAN
#15


栃木|黒羽藍染|黒羽藍染紺屋

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回は黒羽藍染紺屋の小沼雄大さんにお話を伺いました。

自分が欲しいもの以外は作りたくないなっていう一心で

──工房のお名前と創業年、小沼さんで何代目か、お伺いしたいです。

工房の名前が黒羽藍染紺屋です。私で8代目になります。創業が1804年、だいたい200年ほど続いている染め元です。

──黒羽の土地で藍染が続く理由って、なんですか。

黒羽町はもともと城下町なんですけど、街の中に材木屋さんが多かったんですよ。材木屋さんが当時着ていた半纏(はんてん)や法被(はっぴ)、今はそんなに見ないと思うんですけど、そういった作業着を作るのが藍染屋の仕事だったんです。昔この黒羽の街には藍染屋が5軒あったと言われているんですけど、時代の流れとともに作業着が変わり、5軒あったうち4軒が廃業してうちだけが残ったんです。

──黒羽で藍染の染め元が小沼さんの一軒になった時期っていうのは最近のことですか。

いや、70年前の昭和40年頃にうちだけになっていましたね。

──そんなに前から。

はい。そこからどうやってうちが生き残って行ったかと言うと、時代の流れに合ったものを作り続けていったんですね。

祖父の代だと神社ののぼり旗、父の代になると贈答用の額物とかです。ただ、私が20代でこの仕事を継いだ時にはもう額物って一切出なくなったんですね。需要がないものを作り続けても在庫になるだけなんで、何かないかなと、自分なりに「作りたいやりたいものは何だろう」と作り始めたのがコースター、うちわなどの小物でした。結局自分が欲しいもの以外は作りたくないなっていう一心でやってきて今に至ります。小物以外にも大きなクッション、大きい布も色々作ります。最近だとホテルに卸したりもしています。


他とは違う色の濃さと生地の持ち

──群馬の桐生から伝わってきたということでしたが、群馬だと桐生織をHANAO SHOESに使わせて頂いて続いて藍染の工程についてお話を聞きたいなと思います。黒羽藍染と他の藍染を比べて工程の違いみたいなところはあるのでしょうか。詳しく教えていただきたいです。

工程の違いは、まず型染めをすることですね。

藍染屋さんは絞り染め(布の一部を縛って染料がしみこまないようにすることで模様を作る染め方)が多いんですけど、うちは型染め(布の上に模様を彫った型紙を合わせて防染糊を置く染め方)でやっているんです。

その型紙も他の染物屋さんは分業でやっているんですけど、うちの場合、全部私がデザインしたものを自分で切り抜いていくっていう形でやっていますね。

──一人で一貫してやられているってことなんですか!

そうですね。
うちの場合は、染めだけじゃないんです。

──型紙ってものすごく細かい柄があったりするので、作るのにもすごい時間かかるのかなって思ったんですが、一つの製品を作るはどれくらいの期間がかかるのですか。

型紙によります。小さいものだったら1日2日で彫れるんですけど、大きくて細かいものはだいたい1か月くらいかなあ。

もちろん1ヶ月ずっと型紙を彫ってるわけにはいかないので、他の作業の合間に彫っていく形にはなりますけどね。

それからもう一つの特徴が松煙墨、いわゆる墨ですね。
この墨を豆汁(ごじる)にまぜて豆入れ(ごいれ)という下染めを藍で染める前にします。豆汁を刷毛で塗り伸ばしていくんですけど、これを天気のいい日に2、3回繰り返して乾かします。

こうすることで、その上に藍染すると普通の淡い藍じゃなくて紺色の藍になります。一般的な藍染めだと水色っぽい色が主流なんですけど、うちの場合は黒っぽい紺色になります。

その2つが違いですね。製品として出来上がったときに何が違うかというと、色の濃さと生地の持ちですね。豆入れ作業をすると必ず生地が丈夫になるし、色の染まりがすごく良くなるので。型染めの工房ではこの豆入れの作業があるんですけど、墨を入れるか入れないかでやってない工房もあります。うちでは必ず通る作業ですね。

──染める際に使われる材料も近くからご自身で仕入れられてるんですか。

材料自体は松煙墨も含めて染め専門の店から買って作ってるんですけど、松煙墨ってただ墨を入れてるだけではなくて、配合とかブレンドを自分でするんですよ、膠とか色々配分しながら入れたりして。だから市販のものを入れて終わりじゃなくって、自分の色を出すみたいな。

──ご汁も自分で作られているんですか。

それも自分で作ってます。絹ごしぐらいなめらかなもので引き染めしないとダマになってしまうので。本当に水のような綺麗な豆汁で滑らかになります。


思い描いていた世界とは真逆の修業時代

──先ほどお父さんから20代でお仕事を継がれたとおっしゃっていましたが、仕事を継ごうと思ったきっかけって何かありますか。

そもそも代々続いている店なので同級生とか周りからは地元に残るんでしょ、みたいな感じで言われてたんですよ。でも自分は一切考えていなかったんです、店を継ぐことなんて。高校を卒業するときに、進学とか就職とか色々選択肢があると思うんですけど、僕は就職活動したくない、勉強が好きじゃないんで学校も行きたくないっていう理由で店を継ぐって決めたんです。

──そうなんですね。

それで店を継ぐって父に言ったらすごい喜んでくれて。私は当時17とか18だったんですけど、自宅が仕事場=自由って考えてたので高校卒業したらもう天国のような生活が待っているという考えだったんですよ、その時は。

それが、高校を卒業する年の夏休みに何も言われずに父に東京に連れて行かれまして。優しそうなおじいちゃんを紹介されたんですよ。後々師匠になる方なんですけど、何しゃべってたのかなと思って帰って父に聞いたら、「修行に行ってもらいます」って話で。

それから程なく東京に修行に出て、思い描いてた天国のような生活とは真逆で地獄のような修行生活が始まったんですよ。

──修業の場っていうのは、やっぱり結構厳しいものなんですか。

あんまり悪くは言いたくないんですけど、怒鳴り散らされるというか手取り足取り教えてもらえないのが当たり前。教えてもらうっていうスタンスでくるなって感じで、自分で学ぶんだったら気になること全部聞けって感じすね。

あとは修行先が一族でやってる方のお店で、師匠の甥っ子さんもいたんですけど、最初は一切口聞いてもらえなかったですね。こういう世界って本当にあるんだなって、ドラマのような世界でした。修行を始める初日に修行先の師匠から「1年間やって技術が習得できなかったらもう辞めていい。10年間続けて自分のものにできなかったらこの世界から去りなさい。」って言われたんですよ。要するに中途半端な気持ちでやるんだったら来なくていいって言われて。

──初日にそう言われると……。

そう言われるし、甥っ子から無視されるしで精神的にはもう参りましたね(笑)

──お父さんはお仕事継いで欲しいとずっと思ってらっしゃったんですか。

一切口にしたことはなくて、私が継ぐって言うまで一言も「継げ」とか。「自分が好きなことやったらいいよ」っていう考えの人だったんで。ただ自分で決めたことを途中で投げ出すことは絶対許さないという態度だったので、修行先から実家に逃げ出すこともできない、板挟みの状態でした。それが、私が24のときに父が急に亡くなってしまって。そこから私が引き継いだという形ですね。本当に急でした。ただ修行行ってて良かったなって、改めてそのときに思いました。


京都に行って生まれたスニーカー

──次の質問なんですけども、この黒羽藍染と私たちのいる京都との関わり、もしくは小沼さんと京都との関わりについてお話を伺いたいです。

実は京都に行くのがすごく好きで、コロナの前までは用事もなく遊びに行ったりとかしてたんです。

父が亡くなった時、何か新しい商品はないかなと思った時に、行ったのが京都だったんですよ。京都に行けば何かあると思い込んで。

いろんな染物屋さんを見せてもらって。その中でふらっと立ち寄った草木染め屋さんで一足のスニーカーを染めていらっしゃるのを見て、こういうやり方もあるんだって気づいたんです。

でも家に帰ってきて、スニーカーで藍染をするのだと同じことになっちゃうので嫌。何かできないかなと思った時に、型紙を使ってスニーカーを染めるのを思いついたんです。

普通型紙を使うと平面のものしかできなくて立体のものには置けないんですよ。でも糊を筆で書く、ヘラでこするんじゃなくて筆でこすって書いていけば一つのモール状になってスニーカーでも染めれるなと思ったんで。そのやり方でできたのがこのスニーカー、一番最初に私が作ったものなんです。取材で聞かれると必ずこの話をするんです、京都に行ってこれが生まれましたって。京都に行っていなかったら多分このスニーカーは生まれなかったと思います。

──僕ら学生も大半は京都以外から来てるんですけど、京都が好きでこの大学に来てるような人が多い気がします。まあ、京都はいいですねえ。

いいところです(笑)


まず地元に藍染屋があると知って欲しい

──ホームページなどを見させていただいて、学校の出前授業であるとか製品を作る以外の取り組みも盛んにやってらっしゃるなという印象があるのですが、そのあたりのお話もお伺いたいしたいです。

中学校では立志式(りっししき)っていう昔の元服になぞらえた大人の階段を上る行事があるんですけど、その行事の記念としての一文字書き作品を作ります。

あとは藍染ってそもそもどういったものなのかを学ぶ授業もやっています。

──毎年1回恒例みたいな感じで。

そうですね、一文字書きの方は私が中学2年の時に始まったので20何年やってます。

──全員分を一人で染められるんですか。

そうですね。24枚綴りの一反の反物に並んで書いてもらいます。

──一反なんですね。

そうです。一反ですね。1枚1枚繋がってるものに書いてもらって、出来上がったものを切ってお渡しするという感じです。中学生の授業の方は私が藍染の説明をして、何でこの地域に藍染屋があるんだろうかという話をして。型染めは難しいから絞り染めで実際に染めてもらいます。中学1年生の美術の授業の一環でやってもらっています。

──地元の工芸というか産業を学校で習うみたいな授業は、私の地元にはなかったので黒羽の中学生は羨ましいなあと思います。

授業を始める前は地元に藍染屋があるんだよっていうことも知られてないことだったんで。

大体12年前ぐらいから始まったんですが、授業の一環で藍染を使って、なにかできませんかということだったので、じゃあこうしませんかという話で出来上がったのが今の出前授業になりますね。

──最後にこのHANAO SHOES JAPANの企画にご賛同いただけた理由、きっかけなどを教えていただきたいなと思います。

最初お電話でご提案いただいたんですけれども、そのときに母が対応したんですね。

とりあえず生地を送ってと言われたんで生地を送ったんです。そこから話が進んで後からこういうことやるんだねって知って、という感じです。面白そうだなと思って、是非参加したいなと思いました。


HANAO SHOES JAPAN
#15
黒羽藍染紺屋
小沼雄大さん

文:
HANAO SHOES JAPAN実行委員会

撮影:
黒羽藍染紺屋

HANAO SHOES HP:
https://wholelovekyoto.jp/category/item/shoes/

黒羽藍染紺屋

場所:〒324-0241 栃木県大田原市黒羽向町88 
TEL:0287-54-0865
HP:https://konya.base.shop/

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栃木|黒羽藍染|黒羽藍染紺屋

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回は黒羽藍染紺屋の小沼雄大さんにお話を伺いました。