HANAO SHOES JAPAN
#08


岩手|紫根染|有限会社 草紫堂

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回は有限会社 草紫堂の3代目、繁樹さんにお話を伺いました。

毎日コツコツと、手作業の絞り。

──草紫堂さんの職人さんやスタッフの方は、何人いらっしゃるのですか。

職人や販売員など、現在は9名です。職人にも染めの職人と絞りの職人がいます。
けれど絞りは社員だけではまかないきれないので、内職として外部に依頼もしています。

この2年半のコロナで、うちも創業以来初めての生産調整というか。
少しだけ仕事を休みにしたりして、なんとか生きながらえてるような状況です。
絞り仕事は休むと、風合いが全部変わってくるので、やり始めたら続けて仕上げるまでやってもらいたい。
けれど、なんせコロナでモノが売れないわけです。
売上も8割減という状況で、死ぬような思いでおりました。

──草紫堂さんのHPに工程が細かく載っていて、絞りが3カ月から半年、1年かかると。もしその期間が空いてしまったら、どうなるんですか。1年間で1つの商品につきっきりで絞りをして……。

そうなります。やり始めたら、仕上がるまでなるべく休まないで毎日コツコツ仕事をやってもらわないといけません。絞りは手作業になるので。
力加減は感覚なので、それが狂ってしまうと絞り部分に色が入ってしまいます。そうなると、B品やエラー品になる。
なるべくそれを出さないようにしてくださる職人が尊くて。
染めて糸を解くのは、また別の仕事になるので、絞り手は絞って終わりなんです。その人たちの想いを無駄にしないように私共の反物・帯類には、絞り手の名前も全部明記しています。

絞り手の仕事が滞らないように、今までずっとやってきたのですが、その絞りの工程が終わっても、コロナの影響で染めの作業で止まっている状況があったり。

──やはり工程の中でのキーポイントは、絞りですか。

そうですね。うちの反物に付いているタグには絞り手の名前と、染師の名前と、絞り検査の人の名前が記されています。
絞りと共に大事なのが「絞り検査」。

これが絞りたての生地です。
仮にこれが絞り上がったとしても、すぐには染めません。絞ったものをもう一度絞りと同じくらいの時間をかけて、絞る余地がないか、緩みがないか、一つひとつ検査する。

そんな作業を経てから、染めの作業をするので、絞り検査の人も一緒に記しています。

──その絞り検査に資格などあるんですか。

ないよ(笑)

うちのベテランの職人がずっとやっていたけど、今は若い子になかなか良い絞り手がいるので、その職人が絞り検査をやっています。


うちは卸売をしてないんですよ。自分とこで作って、自分たちで販売する。

──職人さんになるまでの修業期間や、一人前になるまでの期間はどれくらいですか。

絞り手になりたいとか、染めの仕事をしたいとか、そういう風に思って来る人がいますが、半年〜1年かける仕事に耐えられる人なのかという見極めは、お話ししてすぐに決められない。
実際にやってみないと分からないし。

最初は針に糸を通すところから始める子もいますが、縫い物など、色々簡単な絞りをやらせてみる。で、少しずつできるようになって、小さい型のついたものを絞る。
そこまでいくのに、やっぱり数カ月はかかります。
そこから本当にやれるかどうかは自分の判断。
やれる、やりたいってなれば、絞りの内職から始めてもらうことが多いかな。

──なるほど。

いきなりうちの社員希望で来る子もいるけど、この仕事だけでご飯食べていくのはきつい。

絞りもお客さんのお相手をするのも、全部しないといけないからね。 今の若い子たちは、誰の仕事でもフォローできるような体制です。

──ということは皆さん、全工程ひと通りできつつ、かつ販売員の仕事もできるということですか。

全工程ではないんですけど、絞り作業とまずは販売とか。着物のお勉強もしてもらわないといけないしね。
みんな率先して着付けをしたりしてますよ。

──へえ〜。そうなんですね。

うちは卸売(おろしうり)をしてないんですよ。ずっと自分のとこで作って、自分たちで販売する形。
年に数回、東京・名古屋・横浜などで物産展をするので、スタッフがお客様と直接話をして、うちの絞りのことや染めのことを全てお話した上で、お客様に手に取ってもらう。
最後まで自分たちで責任を持った形にしようとしています。
自分たちの力だけじゃ大変なので、東京の方にアンテナショップみたいな形で1件常設しています。

実はうちの紫根染のファンの方と色々縁があって、その方が新しく呉服屋さんをするときに「商品を扱わせてくれるだけでいい。卸してくれなくいい。草紫堂さんの上代でもらって、その上代で売ってもいいから」と言ってくれて。
その方も商売でやるので、本当にそういう気持ちでうちの物を扱ってくださるならと、今も着物と帯の10数点を扱っていただいています。

──なるほど。そのアンテナショップが「つぼみ」。そのファンの方から携わりたいという声をもらって、一緒にやっている感じなんですね。

そうですね。
ある日突然、うちの着物を着てお見えになって、「実はお店を何年か先にやりたい」と仰っていて。
「いやいやいや、そんなことしたことないし(笑)」というところから話が始まりました。
とにかくうちのものが大好きで、会社のこともよく勉強して、着物業界の実情も分かっていらっしゃる。
「草紫堂の紫根染の作り方、商品や私たちの想いをお客様に知ってもらえれば、まだまだ紫根染、南部紫根染を欲しいと思う方がいらっしゃいますから、私はその広告塔になりたい」と言ってくれました。

日本橋のすごく良い場所で店をやるなんて今時大変だろうなと思いながらも、熱い想いにほだされてね。
頑張っていけるように一緒にやりましょうっていう話をしました。

──その方のご出身はどちらなんですか。

出身は、岩手だそうです。
ふるさとのものを愛して発信してくださる。本当に感謝しかないです。


やっていて楽しいし、難しいし、思い通りにならないし。それをやるのはすごい夢がある。

──紫根染めの歴史について、お聞きしたいです。

紫根染って歴史や文化が元々あった訳じゃないと思うんですよ。
まずこの染物は庶民が身につけるものじゃなかった。聖徳太子の冠位十二階でも「紫」っていうのは最高部位の色ですから。
寺社仏閣でも、王様や坊主が着る袈裟(けさ)の紫は位の高い人しか着れない。
とにかく庶民が身につけることのできないものは、偉い人のところに集まる訳です。

ここの初代の当主、藤田謙は「紫根染め研究所」を創設したときに、主任技師として紫根染め復活を成し遂げたという歴史があります。
秋田県の鹿角(かづの)の職人と数年一緒に紫根染めの研究をして、うちの染めの基礎が出来上がりました。

──現在、その紫根という素材は採るのが難しいと聞きました。昔から溜めてきたものを今も使っているんですか。

紫根染に使っている「ムラサキ」という植物は、絶滅危惧種に指定されています。
私もここ何年も自生しているものは見ていません。栽培を始めて17〜8年になるけど、自分たちで使う分の紫根は取れるようにはなりました。
ただ、近年2年続けて発芽率が数パーセントっていう、状況になっています。
今までも発芽しなかったことはあったんだけれども、それも一冬こさせて播種(はしゅ:種をまくことく)*すれば出たんですよ。それが2年続けて8割ほどの芽が出なかった。詳しい先生に聞いても、原因不明だと。
染めることに関してはそんなに心配がないけれど、こだわっていた南部紫根の方が枯渇してしまうんじゃないかという恐怖があります。

──紫根染の魅力や、素材の魅力を藤田さんからの視点でお聞きしたいです。

やっていて楽しいし、難しいし、思い通りにならないし。
それでも私たちの南部紫根染の色に持ってかないといけないので、それをやるのはすごい夢があるね。やれるの俺しかいないし、って思ってます。

人がやれないことで自己満足しているのってすごい楽なんだよね(笑)
独りよがりかもしれないけど、それを全国から求めに来てくださっているのですごいことだと思っています。
だからこそこの2年半、こんなに苦しくてもやめるとは言えない、何とか残さないとって必死です。

──紫根染は、その他の染物と比較して特徴とかあったりしますか。

一番は、染めてみないと分からないところだね。

 (藤田さんが紫根を見せてくださる。)

これが紫根です。乾燥したものですね。根っこの表面しか色がない。
見た目が良くてもどのくらい色出るか分からないんです。
毎回違うわけですよ。
調子良く発色してくれたら良いんですが、やってみないと分からないという点が難しいところですね。


紫根染で1番のものを作っていると自負しています。

──紫根染と京都の関わりってあったりしますか。

若い頃、田舎で染め物をしている人たちにとって京都は憧れで。
「いわて そめ・おりネットワーク」っていう同業者の集まりで展示会を開いたことや、高島屋さんの物産展にお邪魔したこともある。
私がいろいろアドバイスをいただいていた井堂雅夫先生という、染め物の先生がいるんです。

その方が京都で染色工芸品の若手を集めて数年に一回色々やっていたのだけど、先生が亡くなってそれもなくなってしまった。
残っている人間たちでこれからやっていけるのか不透明だけど、私自身としては足を運びたい場所です。

──次に、なぜHANAO SHOES JAPANの企画に賛同して頂けたのですか。

各県一つずつの染め物・織物だという話を頂いたのがまず1つ。
そこでうちにヒットしてくれたということに関して1つ。
で、岩手の染め物で他のところが出たら変だよねって思ったのが1つ。
それだけ自分の仕事に誇りを持っています。
岩手の染め物というよりも、日本の紫根染で1番のものを作っていると自負しています。
「HANAO SHOESって、何だそれ?」って正直思いましたけどね。

──最後にHSJの企画を通してこの染め物に出会う方に向けてメッセージはありますか。

うちみたいな草木染の地味な色。たった2色で構成されたもの。
分かる方は、色を調べたり、うちにアクセスしたり、努力をしてくださってうちの価値を分かってくれる。

なぜこの値段になるのか、なぜ残っているのか、なぜみんな大事にするのかを何かのきっかけで勉強する。
めんどうだけども、その人にとっては凄い財産になる。そういう事をこれからも大切にしていけたら良いんじゃないかなと思っています。


HANAO SHOES JAPAN
#08
有限会社 草紫堂
藤田繁樹さん

文:
HANAO SHOES JAPAN 制作実行委員会

撮影:
有限会社 草紫堂

HANAO SHOES HP:
https://wholelovekyoto.jp/category/item/shoes/

有限会社 草紫堂

場所:〒020-0885 岩手県盛岡市紺屋町2-15
TEL:019-622-6668
HP:https://www.soshido.co.jp/

HANAO SHOES JAPAN
#08


岩手|紫根染|有限会社 草紫堂

伝統的な手仕事は「日本の美」として世界に誇れる、なくしてはならないものと私たちは日々感じています。HANAO SHOES JAPANは織物・染物の伝統が多くの人の目に触れ、見る人それぞれがゆかりある地場の手仕事に興味を持つ機会となるプロジェクトです。
ここでは47都道府県全ての工房にインタビューをお願いし、ここでしか聞けないお話を聞いています。

今回は有限会社 草紫堂の3代目、繁樹さんにお話を伺いました。